正式名称は「東京陸軍兵器補給廠田奈部隊・同填薬所」である。
現在は「こどもの国」として多摩丘陵の自然を生かした約100万平方メートルの広さを誇る遊び場である。
ゆきたんくも、小学校時代の遠足でお世話になった。
こどもの国
しかし、戦時中は弾薬が製造され、この地には弾薬庫が数多く残っている。
子どもの遊びのスペースを外れると遊歩道があり、山の中を歩いているゆったり感に浸ることができる。
しかし、その道の両側に点在しているのが・・・
このような窪みである。
奥に進むと、弾薬庫の入り口がある。
戦争終結後、米軍に接収され引き続き弾薬製造が行なわれていた。
1961年(昭和36年)に返還され、現在ではこどもの国に至っている。
先日の松戸市千駄堀の塹壕もそうであるが、かつて戦争に関係した場所が平和の象徴のような場所に生まれ変わっているのは嬉しいことである。
もう一方で、日本がたどった歴史(特に戦争関係は避けているので)もしっかりと教育する環境が必要であると思う。どもの国協会」御提供、作成者=永野達代、1997年に制作した復元鳥瞰図:詳細は【参考文献】(3)による)(クリックで拡大できます)。