伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

東京の戦争遺跡05…元陸軍中島飛行機跡地

2014-03-15 23:26:51 | 戦争遺跡


国際基督教大学


ここは陸軍中島飛行機跡地だ。

現在の国際基督教大学は、ダグラス・マッカーサーが創設者の一人である。

「平和」・「学術基礎」・「専門知識」を統合しながら、日英バイリンガリズムによる世界基準の「全人教育」を行うことを教学方針とした大学である。

学内各所に、その名残がある。

だが、この日(2007年5月13日)は、何か所も戦争遺跡を散策していたので時間をかけてみることはしなかった。

中島飛行機と言えば、現富士重工。

名車スバルで有名な自動車会社である。

某有名ディーラーと比べると、職人気質の人間が集まる会社と聞いている。

その中島飛行機は、エンジンや機体の開発を独自に行う能力と、自社での一貫生産を可能とする高い技術力を備えた会社であった。

大戦終了までは、東洋一の航空機メーカーだった。



中島飛行機を象徴するノコギリ屋根の工場(1943年当時の試作工場…現富士重工三鷹製作所)


このノコギリ屋根の建物が当時のものかは分からないが、最初の建物はこの形状で作られていたという。

中島飛行機は、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の量産台数は開発元の三菱を上回った。

現在の日本は戦争アレルギーではある。

そしてゆきたんくは戦争アレルギーではないが(歴史的に見て)戦争賛成者ではない。

しかし、自分の国を自分で守れる気概を持つ国民や体制ではあってほしいと思っている。

ゆきたんくが戦争遺跡にこだわるのは、戦争に対する興味関心が第一ではない。

近代史の中で残さねばならないものが残らない状況であることが残念なのだ。

日本各地にある防空壕は埋められ、地下壕も壊されている。

負の遺産と言われるかもしれないが、当時の日本を知る上では貴重な遺産ではないだろうか。

広島産業奨励館(原爆ドーム)も残す残さないでは議論があった。

現在では世界遺産である。

たまたま戦時ではあったが、そこには日本の誇る素晴らしい技術があった。

それが、表に出ない状況が残念だと感じている。

あっ、話がそれてしまった・・・

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東京の戦争遺跡04…掩体壕・白糸台

2014-03-14 23:40:13 | 戦争遺跡

前に、茨城県阿見の掩体壕を紹介した。

今度は民家の中にはないが、すぐ隣にある掩体壕だ。


 


少し小ぶりな掩体壕に見えるが、下の方が埋まっているからだろうか。


 入り口は塞がれている。

 いつ落盤事故のような状態になるか分からないからであろう。



家屋の大きさと比べると、その規模が分かるだろう。


https://goo.gl/maps/i5xia ← ここをクリックするとグーグルマップに飛び、掩体壕の位置が分かる。

近くの調布飛行場までは、直線距離で1㎞くらいである。

調布飛行場は大戦当時は主に帝国陸軍が使用したそうである。

この掩体壕も帝国陸軍のものだったのである。

ここを訪れたのは2007年5月13日のことであった。

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東京の戦争遺跡03…近衛騎兵連隊3

2014-03-13 23:23:50 | 戦争遺跡

さて、「東京の戦争遺跡02…近衛騎兵連隊2」の最後の方に書いた。

グーグルマップに写真が貼れたので、お知らせする。

というよりも、グーグルアースに貼れたと言った方が正確か。

グーグルアースの画像と、グーグルマップのリンクを貼るのでお暇な方は見ていただきたい。



グーグルアースのスクリーンショット。写真中央に近衛騎兵連隊の野外演奏場である。


グーグルマップのリンクは「https://goo.gl/maps/Gbvzl」だ。

こちらには、まだ写真のリンクが貼られてはいない。

待ち遠しい。

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柏の戦争遺跡03…秋水燃料倉庫跡(花野井)B-29ヲ邀撃セヨ!

2014-03-12 23:22:35 | 戦争遺跡

いやぁ、ゆきたんくの好きな戦争遺跡は、地上物である。

戦争遺跡仲間の間では上物(うわもの)と呼ぶこともある。

地面の下は地下物(ちかもの)。

あとは、戦車やら戦闘機やら、武器やらと・・・

ゆきたんくはどっちかというと上物好きだと思う。

ただ、その上物から戦闘機に繋がった物件がある。

この伝えたんくで2回目になるが、ロケット戦闘機秋水関連のものである。


 


この角度の写真が有名な、柏市花野井の畑から突き出たヒューム管


 

人の土地である。

不法侵入ではない。

ちゃんと地主さんに断わってから入っている。

そして、全日本戦争遺跡研究会のメンバーである。

ゆきたんくのように千葉県民ばかりではない。

東京、神奈川、静岡、千葉と遠くからもメンバーが来ている。

秋水ヒューム管の上で記念写真である。


 


隊長はナウスラ氏。 そろそろ久しぶりに集合がかかるか・・・ ゆきたんくもいるよ


 

 秋水は実際に戦争で活躍した訳ではないので一般的なデータがあまり手に入らない。

というのはゆきたんくのような勉強不足な奴の言い訳である。

このメンバーはどこで資料を手に入れるのか、ちゃんと予習をしてから参加してくる。

ちなみに、この時のホストがゆきたんくだったので緊張していたのである。

さて、ヒューム管から400m離れたところにも燃料庫が残されている。


 


柏市花野井の花野井交番のすぐ裏手にある燃料倉庫


 

秋水の燃料は過酸化水素水と、水化ヒドラジンという反応の激しい薬品である。

この2つの薬品の反応によって、3分間で10000m上昇の推進力を得ようというのである。

よって揮発性が高く、燃料庫が吹っ飛んでしまう危険性があったので、ヒューム管が登場する訳である。

実戦で使われたことはなく、試作運用で終わり、パイロットが殉職された。

次の動画は、運用されたらこんな活躍をしてくれたらという思いにさせてくれる。

残念ながら、実際には無理であったろうと思う。


 

B-29ヲ邀撃セヨ!

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忘れてはならない日

2014-03-11 23:02:49 | 言いたんく

3年前の今日。

多くの方々が亡くなった。

心の底から冥福をお祈りする。

自分が生かされていることの奇跡に対して感謝すると共に

亡くなった方々がたくさんいらっしゃったことを忘れない。

あの日、職場で大きな長い揺れに遭い、職責を全うすることだけを考えていた。



2011年3月11日15時57分の空


安全の確保が確認され、職場の動きが一段落した時の空模様が写真の空である。

急に真っ黒な雲が空全体を暗くした。

それが次第に引いていく時の様子である。

自分はその時、「いやぁ、これで終わった。」と思ったものである。

ところがその時、東北では大変なことになっていた。

後で動画や写真等で何が起こったのかを知ることはできた。

あまりの被害に心が痛んだ。

あの日のことは絶対に忘れてはいけない。

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2014-03-10 15:46:12 | 健康

命の母

ウルトラマン

少年

少女

いや、

面目ない。

インフルエンザに罹ってしまったのである。

病院で検査。

鼻の奥に長い綿棒が・・・

結果。

A型。

その後のことである。

行きつけの医員であるが、行ったことのない奥の部屋へ通され、

そこで、会計を済ませ、処方箋をもらう。

医員の隣にある薬局でも、処方箋を見せたとたんに、個室へ。

そこでイナビルを2つ吸い、治療は終わり。


 


吸って治療は終わり


個室で薬(解熱剤)を受け取り、会計を済ませた。

そう隔離状態で行われたのである。

マスクをいただき、寝不足(昨夜は40度近い熱にうなされた…寝てはいないのだ)の顔で完全な怪しいおじさん状態。

家に帰って大人しくしましたとさ。

めでたし、めでたし。

ではない、職場に迷惑をかけてしまった。

行けば行くで迷惑をかけるし・・・

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再構築

2014-03-09 23:46:52 | コンピューター

さあて、コンピューターが届いた。

GatewayのDXシリーズのタワー。

モニターはアイ・オー・データの23型、大きいわぁ。

初めてのウインドウズ8。

初老のおじさんに操れるのか。



こんな感じ。ちらっかてるなぁ・・・


 主要アプリのペイントショップとホームページビルダーは入れた。

 2つのサイトデータ専用ハードと、その他データ用ハードとのアクセスもOK。

 フレッツ光回線のブロードバンドと2つのwifi接続も良し。

 トレンド・マイクロと提携しているフレッツウィルククリアも働いた。

 あとはオフィス待ちだ。

 それがなければ、ただの趣味用PCになってしまう。

 そう、アプリの立ち上げがものすごく速いのには驚いた。

  仕事も趣味も頑張るぞ。

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竹弦囃子

2014-03-08 23:47:27 | 音楽

「出会いはいつでも 偶然の風の中」

ゆきたんくのフェバリット・アーティストさだまさし氏の「天までとどけ」の一節である。

昨年の大男三人組ココフカ旅行和歌山で、見事な偶然で出会うことができた「竹弦囃子(ちくげんはやし)」のお二人。

和の篠笛と洋のギターという珍しいデゥオである。

今日はゆきたんくの女房、のりたんの誕生日である。

竹弦囃子の素晴らしい演奏を誕生日プレゼントとして聴かせたかった。

 なんと、国際交流基金(ジャパンファウンデーション)の、日本・カナダ修好85周年を記念し、11月20日から29日、「和」と「洋」が融合した音楽を持ち味とする「竹弦囃子」(ちくげんばやし)のカナダ3都市巡回公演の凱旋公演ということである。

 場所は神楽坂のThe glee(グリー)。ゆきたんくが行ったことのないおしゃれな場所である。


 


グリーの入り口。地下にホールがある。


階段を降りていくとコントラバスがお出迎え。


カナダ公演の話をはさみながら、素晴らしい楽曲を聴く贅沢。

のりたんはビールを、ゆきたんくはペリエを飲みながら、プレートを食べながら楽しむ。

ギターの愛川氏が空港でとめられた話は、自分も経験があるので共感して聞くことができた。

愛川氏は職質に近い内容だった。他のメンバーの方たちがsightseeingでさっさと通り抜けた話には腹を抱えた。

ところで、私の場合はロンドン・ヒースローだったのでテロリストに見えたのだと思う(笑)

アンコールは新曲でご家族に関係のある曲。

内容の濃い時間をのりたんと二人で過ごすことができたことに感謝。

昨年旅行した高野山金剛峰寺の辺りが暑かったので、冷房の効いた高野山大学講堂に緊急避難し竹弦囃子さんと出会えた。

動機は不謹慎(コンサートを聴くことではなく、避暑がわり)ではあったが、素晴らしい方たちと巡り会った偶然に感謝。

これからの活躍もお祈りしたいし、応援していきたい。



2013年8月11日高野山大学松下講堂黎明館にて

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東京の戦争遺跡02…近衛騎兵連隊2

2014-03-07 23:29:02 | 戦争遺跡

さて、ネタが腐る前に。

2007年7月28日に戦跡調査の仲間と東京に出かけた。

近衛騎兵連隊の軌跡を辿るためである。

われわれの隊長はハンドル名、ナウスラ氏。

体調を崩されたが、もう少しで復帰という話を聞き、嬉しく思っている。

今日のネタは山の手線内で最も標高の高い箱根山周辺だ。

かつて、この一帯は尾張徳川家の戸山屋敷で、箱根山は、庭園に造られた築山だ。

そこに陸軍戸山学校と陸軍幼年学校があった。

戦跡というと、物騒な感じがするが、基本的には国を守るために建築されたものである。

気の引き締まる思いが過去に思いを馳せることが多い。

ただ、戦跡とは言え、リラックスして鑑賞した物件である。

ゆきたんくにとっては初めての経験だった。



戸山学校軍楽隊の野外演奏場


聴いたことはないが、かつてここで演奏されていただろう楽曲を目をつぶって想像したゆきたんくであった。

場所は新宿区戸山、箱根山のふもと。

グーグルマップに写真を貼り付けたけれど、まだ認証されていないのでリンクを貼れません。

貼れたらご報告します。

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記憶のいい加減さ

2014-03-06 23:44:38 | 言いたんく

友人の家に遊びに行った。

そこでもてなしで出たお菓子について薀蓄をたれたゆきたんくである。

いただいたお菓子の写真がこれ。



十字架のようなマークがある。キリシタンの町の長崎銘菓「クルス」だ。


 長崎銘菓とも知らずに、ゆきたんくはこう続けた。

 この形は前に見たことがある。

 姫路城に行った時に一か所だけ鬼瓦が十字架が刻んであった。

 このような形だった。

 「へぇー。」

周囲は感心した。

ゆきたんくは得意げだった。

そして帰宅して意気揚々と写真を見たら・・・

「ガチョーン・・・」



似ても似つかない形の十字架だった。


大ウソつきのゆきたんくである。

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そうか、そうだったのか・・・

2014-03-05 23:43:29 | 家族

ゆきたんくは鈍いやつである。

このブログに書いて良いのか・・・

まっ、独り言だから。

女房ののりたんと結婚する前のことだ。

実家に招かれて、ご馳走されていた。

当時のゆきたんくは一人暮らしだった。

のりたんと付き合う前は、一人か、友人と食事ということが多かったから家庭の雰囲気の中での食事は嬉しかった。

カップに出されたスープを飲んでいた。

何も気にせずに飲んでいた。

のりたん「そのムーミンのカップ。」

ゆきたんく「ん?」

ゆきたんくがスープを飲んでいるカップにはムーミンのイラストがあった。

のりたんのにはノンノンのイラストが・・・

のりたん「私さぁ、結婚する時にはそのカップを持ってお嫁に行くんだ。」

ゆきたんく「ふーん。」

客観的に見れば、ここで「ふーん。」はないだろ、「ふーん。」は。

誤解を招いても嫌なので、言い訳を・・・

ゆきたんくが鈍いだけなのだから。

ゆきたんくの気持ちは、それを聞いて

「いいなぁ、羨ましいなぁ。」である。

(のりたんと結婚すると、新居の食卓でムーミンのカップでスープを飲めるんだぁ・・・そいつっていいなぁ)

まるで他人事である。

もう、お笑いの世界である。

お前がそのカップで、今スープを飲んでいるんだろう。

その時ののりたんの気持ちを考えるだけの、脳みその隙間はなかったのだ。

このことに結婚してしばらくして気が付いた。

「あっ、まずかったな。」

ゆきたんくはとんでもない奴である。

きっと現在に至るまでも、こんなことたくさんしているんだろうなぁ。

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コンピューターの診断結果が・・・

2014-03-04 23:18:32 | コンピューター

ゆきたんく愛用のヒューレットパッカーのデスクトップの診断結果が届いた。

ケーズデンキで購入時に5年保証をつけたやつだ。

3年経過なので、保障中である。

具合が悪かったのは、デスクトップ裏にある蛍光灯らしかった。

診断結果だが、なんと修理費が保障費を超えてしまうということだ。

ゆきたんくの選べる道は、、、

1 差額を払ってでも、修理をお願いする。

2 保障費の範囲で新しいPCの購入を検討する。

3 「なんがなんでも、元通りにしろ、ビタ一文払わん」とモンスター化する。

である。

ちなみに2番はケーズデンキさんからご提案いただいた。

手元にメインパソがない時間が長いほど損だと、割り切った。

修理に出しているPCは、ケーズデンキさんの特価品が並んでいるカゴの中にあったやつ。

性能は、CPUの頭の良さで言えば抜群の奴だったらしい。

それに見合うやつを保証額の範囲で物色した。

GatewayのAMD-A10という脳みそを積んでいる性能の良いやつがあったのでそれに決めた。

1週間ほど待ちとのことである。

もうしばらくエーサーにお世話になる。

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グーグルって

2014-03-03 23:20:07 | コンピューター

グーグルトップページのロゴはおしゃれだと思う。


通常時はこんな感じ


 

それが今日3/3だと・・・


お内裏様とお雛様


このようにデスクトップテーマを替えてくる。

そのデザインや絵もかわいいものが多いのだ。

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ゆきたんくの近隣では

2014-03-02 23:43:04 | 戦争遺跡

昨日は「掩体壕」について記事を書いた。

千葉県の印西市には「無蓋掩体壕」がある。

無蓋というのは読んで字の如しで蓋が無いのである。


見事な馬蹄形である。この中に飛行機を格納したのである。


 ところで、この掩蔽壕は飛行機の出入り口以外は横から強いが、上からの攻撃には耐えられない。

現在印西市には完全な形で残っているものは1基だという。

少し前に市では保護する方向だと聞いたのだが・・・

 

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永遠のゼロに出てきた掩蔽壕とは

2014-03-01 23:35:46 | 戦争遺跡

「永遠の0」は今映画で大ヒット中である。

日本人の心の琴線に響くからであろう。

特攻隊員の方々の「生」に対する気持ちは・・・

自分では到底想像がつかない。

現在の自分の年齢の半分の時に、命をなげうった主人公宮部久蔵。

まだ映画を見ていないので、近いうちに見たい。

ところで、飛行機の格納庫に掩蔽壕(えんたいごう)というのがある。

「永遠の0」の中では掩蔽壕(えんぺいごう)と呼ばれていた。

戦跡調査の仲間と茨城に行った時だ。

その掩蔽壕を初めて間近で見た。



掩蔽壕だ。前を歩いている友人との比較で大きさが分かるだろう。


 この掩蔽壕ができているコンクリートの量、頑丈さでは壊したり片づけたりするのは一個人ではままならないだろう。

 実際、ここにお住まいの方で、家の敷地の中に掩蔽壕があると、その空間を住まいや倉庫の一部として使うことが多いという。



掩蔽壕の中からみた景色である。ここは倉庫になっていて、飛行機の尾部が入るところは住まいになっていた。


 このような戦争遺跡が千葉県や茨城県には、たくさん残っている。

 ゆきたんくの住む松戸市には、戦争末期の物資が十分でないころの掩蔽壕跡が残っている。

 コンクリート不足で、基礎の部分だけ残っているのだ。

 私宅なので、地図のリンクは貼らない。

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