夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

宅配便の先達者、小倉昌男・氏に敬意と賛意を・・♪ ②

2005-07-01 16:52:12 | 時事【政治・経済】等
読売新聞の別ページに《評伝》というコーナーで、
記者・高橋徹・氏が綴っている。
転記させて頂きます。

30日に亡くなった元ヤマト運輸会長の小倉昌男・氏が築いた
「宅急便」の一大物流網は、国民の生活を便利にすると共に、
郵便小包が独占してきた家庭向けの小口配送が
民間にでも出来ることを証明し、
郵政民営化をはじめ「官から民」という規制改革の流れに大きな影響を与えた。

小倉氏は、ヤマト運輪の社長に就任して、わずか2年後に、
第一次石油ショックの洗礼を受ける。
輸送需要の激変で、会社は経営危機に直面。
小口荷物の配送の将来性に着目した小倉氏は1976年、
当時は「採算が合わない」が常識だった小口配送の「宅急便」事業に活路を求めた。

翌日配達や配達地域別の一律料金など
消費者に分りやすい仕組みを導入。
トラックの運転手にサービス精神を徹底させるなど
革新的な取り組みを重ね、消費者の心をとらえた。

「サービスが先、利益は後」を信条に、
常識にとらわれないアイデアを次々実行した。

この先進性は、「規制」にしがみつく行政との衝突も生んだ。
1983年に値下げを認可しない旧・運輪省(現・国土交通省)を
批判する意見広告を掲載。

1986年には、監督官庁を相手に行政訴訟も起こし、
結局は判決を待たずに、
要求していた配送路線の拡大を勝ち取った。

クレジットカードの配送に待ったをかけた旧・郵政省(現・総務省)にも
真っ向から論戦を挑んだ。

小倉氏が郵政民営化を主張したのも、
「郵便より宅急便の方が、良いサービスを提供できる」
という自負があったからだ。

「官」に頼らず、「民」の力を信じて、
80年の人生を駆け抜けた小倉氏が
晩年に選んだ仕事は、障害者の可能性を引き出すための
自立支援事業だった。

以上が記事の全文である。


☆私のコメント☆

小包等は旧・郵政省が独占だった頃を思いだしてほしい。
我々は、郵便局に荷物を持ち込んで、局員の横柄な態度に
我慢したりしていた・・。

この小倉昌男・氏は、独占していた行政の規制に
果敢に挑んだ結果、民間によるサービスと価格と質の向上を
我々国民に陽の目を与えてくれた。

この方のお陰で、突破口が開かれ、ヤマト運輸に続き、日本通運、佐川急便等の運送各社が
宅配便の業務を拡大させ、我々国民に恩恵をもたらしたのは事実である。

私は、縁もゆかりのない小倉昌男・氏に敬意と尊敬を持つ。

国も国民の多くに恩恵をもたらした人に、
勲章だったら最大級、時の総理大臣が自ら葬儀の場で、
御礼を述べるくらいは最低限つくすべきである。

何事も独占事業は、規制と傲慢をはびこらせ、
我々国民からの真からのサービスに程遠い事である。
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宅配便の先達者、小倉昌男・氏に敬意と賞賛を・・♪ ①

2005-07-01 09:36:18 | 時事【政治・経済】等
今朝、NIKEII NETを検索していたら、
小倉昌男・氏が亡くなった事を知った。

宅配便の創業者であり、社会の一面を変え、
我々の日常生活に欠かせない家庭向けサービスを
開拓した人である。

私は、こうした人こそ、日本の社会に貢献した人、として
国民は敬意と賞賛をすべき人と思われる。


今朝の読売新聞でも、この人の訃報を報じている。
転記させて頂きます。

宅配便生んだヤマト運輸 元会長
   小倉昌男さん死去

家庭向けの宅配サービスの草分けである「宅急便」を生み出した、
元ヤマト運輪会長の小倉昌男・氏が30日の午前6時7分(日本時間)、
米ロスアンゼルス市の長女宅で、腎不全のため死去した。
80歳だった。
告別式は親族のみで行なう。
喪主はヤマト運輸・取締役の長男、康嗣・氏。
ヤマト運輸うなと゜゛によるお別れ会の日程は未定。

小倉氏は創業者、小倉康臣・氏の長男で、東大経済学部卒業後、
1948年9月に大和運輪(現・ヤマト運輪)に入社。
1971年3月に、2代目の社長に就任し、
1976年に周囲の反対を押し切って、宅配便事業を始めた。

「クロネコヤマトの宅急便」の愛称で知名度を上げて、事業を拡大した。
「ゴルフ宅急便」や「クール宅急便」など、
消費者ニーズに合ったアイデアを繰り出し、業界首位に育てた。

郵便小包で競争する旧・郵政省(現・総務省)と対決姿勢を鮮明にしたほか、
配送網の路線免許を出さない監督官庁の旧・運輪省(現・国土交通省)を
相手に訴訟を起すなどした。

1993年に私財を投じて、
障害者の自立を支援するヤマト福祉財団を設立した。

2度にわたって会長を務めた後、
1995年6月に経営から身を引き、
福祉の仕事に専念した。

以上が記事の全文である。


《続く》
コメント (1)
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初夏、木槿の咲く頃・・♪

2005-07-01 08:17:00 | 定年後の思い
茶花として、夏は木槿(むくげ)、冬は椿が代表されると言われている。

初夏のひととき、部屋の中に、宗旦木槿を一輪挿すのも、清々しい・・。

私は、高砂木槿は嫌いである。
宗旦木槿に似た底紅であるが、花びらが白でなく、淡紅色である。

或いは、宗旦木槿は和室に良く、ホテルのロビーの外れには、高砂木槿は引き立つ。

このようなことを思い立っていたら、
山口瞳・氏の随筆を通して、向田邦子・女史の顔立ちがほんのりと浮んできた。

初夏の朝のひととき、庭先を見詰め、このようなことを考えていた・・。
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