私は、以前にもこのブログに綴ったことがあるが、
40歳を過ぎた頃から、年を重ねるたびに『樹木葬』への思いが強くなった。
読売新聞で7月14日付で『家族』第三部《きずなのリセット》と題した特集記事がある。
転記させて頂きます。
千葉県・外房の大原町にある天徳寺。
6月はじめ、車で2時間離れて小見川町の笠原正行さん(61歳)、由紀子さん(58歳)夫婦は、
墓地の一角にハナミズキの苗木を植えた。
いつかは二人の遺骨は、その根元に埋められ、ピンクの花が咲かす木が、墓標となる。
いわゆる「樹木葬」を夫婦は、生前予約した。
三女家族と同居し、老後の不安はないが、「墓」には悩んだ。
夫婦ともに新潟県生まれ。
三男で会社員の正行さんは、岡山、茨城と転勤し、昨年に定年退職。
12年前、居を定めた千葉県に地縁はない。
長女、二女も結婚しており、「笠原家之墓」を建てても無縁になるだろう。
継承者がいなくてもいい樹木葬には、娘も反対しなかった。
少し離れたキンモクセイは、神奈川県・相模原市の68歳と67歳の夫婦が植えた。
元・公務員の夫は、徳島県出身。
両親の位牌を抱えて、十数か所を転勤し、法事のたびに見知らぬ土地で寺探しに苦労した。
「死んでまでも娘二人に、苦労をかけたくない」。
キンモクセイは、お彼岸の頃に咲く。
「あの芳香で、思い出してくれたらそれでいい」
以上、新聞記事で二つの家族の思いを転記させて頂きました。
私の場合は、地の者であるが、子供がいなく、墓を建った所、生者の慰めでもあり、
親族に迷惑を掛けるので、思考したりした。
40歳を過ぎた頃、別所温泉に温泉滞在をしていた時、付近のお寺を散策した。
お寺の隣あわせに里山を切り開いたように、緩やかな傾斜のある広大な墓地があった。
そのはずれに小高い丘があって松林となっていた。
苔に覆われた墓石が横たわっていたり、松の葉で埋もれかけた墓石もあった。
無縁の墓地に木漏れ日が地上を彩っていた。
私は、これが土に還えるなだなぁ、と家内に呟いた。
こうした思いから、通常のお墓でなく、
無縁仏に近いことを考え始めた。
ここ数年前頃、岩手県のあるお寺で、樹木葬を知り、家内に言った。
「俺が先に死んだら、花巻温泉で静養し、気が向いた時でいいから、お墓には寄ってくれればよい」
お墓といっても、そこには私共の好きな樹木のひとつがあるだけである。
40歳を過ぎた頃から、年を重ねるたびに『樹木葬』への思いが強くなった。
読売新聞で7月14日付で『家族』第三部《きずなのリセット》と題した特集記事がある。
転記させて頂きます。
千葉県・外房の大原町にある天徳寺。
6月はじめ、車で2時間離れて小見川町の笠原正行さん(61歳)、由紀子さん(58歳)夫婦は、
墓地の一角にハナミズキの苗木を植えた。
いつかは二人の遺骨は、その根元に埋められ、ピンクの花が咲かす木が、墓標となる。
いわゆる「樹木葬」を夫婦は、生前予約した。
三女家族と同居し、老後の不安はないが、「墓」には悩んだ。
夫婦ともに新潟県生まれ。
三男で会社員の正行さんは、岡山、茨城と転勤し、昨年に定年退職。
12年前、居を定めた千葉県に地縁はない。
長女、二女も結婚しており、「笠原家之墓」を建てても無縁になるだろう。
継承者がいなくてもいい樹木葬には、娘も反対しなかった。
少し離れたキンモクセイは、神奈川県・相模原市の68歳と67歳の夫婦が植えた。
元・公務員の夫は、徳島県出身。
両親の位牌を抱えて、十数か所を転勤し、法事のたびに見知らぬ土地で寺探しに苦労した。
「死んでまでも娘二人に、苦労をかけたくない」。
キンモクセイは、お彼岸の頃に咲く。
「あの芳香で、思い出してくれたらそれでいい」
以上、新聞記事で二つの家族の思いを転記させて頂きました。
私の場合は、地の者であるが、子供がいなく、墓を建った所、生者の慰めでもあり、
親族に迷惑を掛けるので、思考したりした。
40歳を過ぎた頃、別所温泉に温泉滞在をしていた時、付近のお寺を散策した。
お寺の隣あわせに里山を切り開いたように、緩やかな傾斜のある広大な墓地があった。
そのはずれに小高い丘があって松林となっていた。
苔に覆われた墓石が横たわっていたり、松の葉で埋もれかけた墓石もあった。
無縁の墓地に木漏れ日が地上を彩っていた。
私は、これが土に還えるなだなぁ、と家内に呟いた。
こうした思いから、通常のお墓でなく、
無縁仏に近いことを考え始めた。
ここ数年前頃、岩手県のあるお寺で、樹木葬を知り、家内に言った。
「俺が先に死んだら、花巻温泉で静養し、気が向いた時でいいから、お墓には寄ってくれればよい」
お墓といっても、そこには私共の好きな樹木のひとつがあるだけである。