夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

女性専用車両は必要・・?!

2005-07-08 18:56:48 | 時事【社会】
読売新聞の夕刊で、『TALK ing』という特集記事があるが、
今回は『女性専用車両は必要?』であった。

真摯なご意見があったので、転記させて頂きます。


【不必要】
~肌の露出多すぎる~

私も女性専用車両は、必要ないと思います。
痴漢をする人が最低なのは言うまでもありませんが、
される側にも全く原因がないとは言い切れないからです。

時々、極端に短いスカートをはいている女性を見かけますが、
同じ女性として、痴漢に遭わないような坊業策を
講じるべきではないかと思います。
電車の揺れで肌の露出の多い女性に触れてしまって痴漢と間違えられ、
一生を棒に振ってしまう男性もいるのです。

専用車両の導入は、対症療法にすぎず、
乗る人の意識こそ大切だと思います。

       菅原愛実 女性 高3 千葉県



【必要】
~不幸招かぬため~

神経質な女性や露出の激しい女性は、
進んで女性専用者に乗ってほしいと思いました。
少しぶつかっただけで、しかめっ面をしたり、
肌の露出がひどい割に、周囲の視線に嫌悪感をむき出しにする女性もよく見かけます。

毎日、満員電車に揺られ、通勤する男性たちを気の毒に思うこともよくあります。

ひとつ間違えば、痴漢行為となり、一生を棒に振ってしまうことだってあるのです。

卑劣な痴漢行為には、毅然として立ち向かうことが必要ですが、
勘違いから不幸な人を作っては絶対だめです。
見極めは大変だと思いますが、女性の方々、よろしく~です。

            KUMI 女性 28歳 会社員 千葉県


☆私のコメント☆

私は定年後であり、満員電車には、一年に数回ぐらい利用する身です。
後輩の男性が、言っていました。
誤解されるのが怖いので、両手をなるべく、つり革などに捕まっている。
間違えられて、突き出され、一生を棒に振るのは、たまらないから・・。

本当の痴漢行為をした人は、腕の一本、二本は折られても止む得ないと
私は思っています。
そして、『場所をわきまえろ。
夜の風俗店じゃないのだから・・』と言います。

KUMIさんが、見極めは大変だと、発言されていますが、
偶然に触れてしまった、或いは最初から意識して痴漢行為、
女性の立場からは当事者になった時、冷静な判断が出来るか、
残念ながら疑問です。

それにしても、不必要、必要のお二人の女性が、
男性が偶然に触れてしまって、痴漢の誤解を受け、
一生を棒にしてしまう・・お考えになっている点は、
心の奥行きのある女性と感じました。
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随筆の名手、倉本聰・氏・・♪

2005-07-08 10:58:53 | 読書、小説・随筆
今朝の読売新聞で、三井住友フィナンシャルグールプの広告を一面の記事で、
倉本聰・氏の随筆が載っていた。
確か私が目にするのは、二度目である。

今回の随筆も、この時代に綴る数多い随筆家の中でも、気高い水準のある
一編となっている。

あえて、転記させて頂きます。


          「お札」   
               作・倉本 聰

その頃うちは貧しかった。

母は心の病み、ボケが始まり、一寸前のこともすぐに忘れた。

その母が死ぬ前年の正月のことだった。
貧しい筈の母が僕らにお年玉を呉れた。
小さなのし袋に入れられた千円札のお年玉。
僕と妹と弟に、珍しく母はお年玉を呉れた。
母はとっても嬉しそうだった。
お年玉をもらう習慣が我が家ではそれまでなかったから、
僕らはびっくりして顔を見合わせた。
ところが。
それから十分程して、母は又嬉しそうにお年玉を呉れた。
もうもらったよとおどろいて云うと、
母は一瞬ショックを受け、そうだったっけと、母は悲しそうに引っ込めた。
ところが更に十分程してから、母は再びいかにも嬉し気に、
僕らに又お年玉を差し出したのである。

僕らは今度は逆らわず戴いた。

その時もらった二枚の千円札を、使うことが出来ずに
母の死後まで僕は持ち続けた。

それは単なる千円という価値の金券でなく、
一万にも十万にも相当する全く別の価値を持った宝物に思えた。

そういうことがなかったかと、ある日塾生に問うてみたら、
半数以上があると答えた。


一人の少年が故郷を捨てて東京に出る時、
貧しい父は長距離便のトラックのむ運転手に子供を託し、
そのお札にと二枚の一万円札を運転手に押しつける。
走り出してから運転手が少年に云う。
その金は取れない。見てみろ、ピン札に泥がついている。
お前の親爺の指についてた泥だろう。
お前がずっと持って宝にしろ。
そういうドラマを書いたことがある。


お札には時にドラマがある。
それを呉れた人ともらった自分との、間に横たわる小さなドラマである。
それを単なる金券と見るか、捨てがたい記憶の記念品と見るか。
そのことでお札の価値は急変する。

七十を過ぎた僕は今でも時折、
使うに使えないお札を頂戴してしまうことががある。
そういうお札は大切にしまっておく。


以上が今回の全文である。
尚、転記する際、ブログ上で伝わりやすいように、
原文をあえて改行したりしました。

この人の随筆は、ちょっと目に触れると、最後まで魅了させて
読んでしまう力を秘めた人である。
数多い随筆家の中で、特に際立っている。

何故なのか、と私は考えた。
やはり、ニッボン放送のラジオ・ドラマ、テレビ・ドラマの脚本時代、
面白くなかった他の番組に変えられてしまうので、
いかに人の心を引き込んでしまう技能と
この人の本来の根底にある人間性の魅力とが合致した結果と見る。

それにはそれなりのたゆまぬ努力が当然として、前提条件が存在する。

今回の随筆で、母のボケのお年玉の件は、
名画の1981年の『駅 STATION』の脚本家として、主人公の母に結実させている。

私の知る限り、随筆の名手として、
亡き立原正秋・氏、山本夏彦・氏、山口瞳・氏、宮脇俊三・氏がいましたが、
今はこの倉本聰・氏と久世光彦・氏しか知らない。

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イチジク・・♪

2005-07-08 08:24:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、どんよりとした曇り空です。
午後になると、雷雨に伴いにわか雨が降る、とニュースは伝えています。

ロンドンでは、テロによる爆破で多くの人々が亡くなり、そして負傷した。
宗教・民族の相違による思想の違いで、それぞれが制圧・除去と最悪の事態となっています。

こんな事を思い、考えながら庭を歩いた。

ふと、イチジクの樹木に目をそそいだ。

三本のイチジクには、たわわに実をつけている。


このイチジクは、家内の友達より、十五年前頃に頂いた樹木である。

幹が1センチで、60センチ位のかよわい樹であったが、三年後には実をつけた。
そして数年後は、幹が5センチとなり、高さは2メートルに達した。

四月の中旬に芽吹き、日増しに葉を拡げ、六月になると、小さな実がたわわになる。

そして今は、5センチ前後に成長している。

夏の間に成熟し、私は頃合いを見て、もいでいる。
家内は、成熟状況により、食べたり、ジャムにしたりしている。
そして、ジャムの完成した頃、長兄の宅に届けたりしている。

イチジクは、婦女子の食べ物であるので、私は食べない。

十一月の初旬になると、早くも黄葉し、中旬になると落葉する。

梅、紫木蓮、もみじの樹木の中で、いちばん遅く芽吹いて、
いちばん早く黄葉する不思議な樹木である。

こうして春から、晩秋にかけて、うつろう日々を
確かに彩ってくれる樹木のひとつである。
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