夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ある日、貴女は・・♪

2006-12-09 12:04:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、早朝から雨が降り、寒い朝を迎えている・・。

私は玄関庭の軒下で煙草を喫いながら、
小雨の中のもみじの朱色、花梨(カリン)の黄色の色合いを観たりしていた。
それぞれの樹木は、半分近く落葉はしたが、
それなりに風情があった。

私は居間に戻り、煎茶を飲みながら、主庭の白梅を見たりした。
黄色の葉は大半落とし、樹木の周辺に褪(あ)せた黄色いの葉が散り乱れている。

そして、もみじの朱色の葉は、小雨を受けて、ときおり数枚の葉が音も無く落下している。

♪静かな雨 並木の雨
 あなたを待つ 胸に降る

 【訳詞・高田 三九三】 

私は小声で唄いだした・・。

♪流れる唄 懐かし唄
 夢をささやく あのメロディー

家内が傍でいたが、どういう風の吹きまわしかしら、
と笑っている・・。

♪いつの日にか また逢いみん
 溢れくるわ 涙

私は小声で鼻歌を唄っていたが、どうしてこの歌を唄っているのかしら、
と思ったりしていた。

ここ数日、私の20、30代の頃の日記やらメモ書きを整理している。

バラバラに書きとめてあったりしているので、
パソコンの日記のようなの形態ソフトに転記していたりしている。

ときおり拙(つたな)い字で書きなぐるように綴られたりしているが、
まぎれもなくあの頃の思いが書かれていた。

例えば、35年前前後に『銀巴里』に行き、シャンソンをよく聴いたりしていた。

家内と結婚する前に、二人で『銀巴里』とか、
近くのシャンソンを聴かせてくれるカフェ・バー形式のような処にも行ったりした。

新婚まもない時、東急ホテルの小さなレストランで、
デイナー形式でシャンソンを聴きながら、夕食を頂くのに、私達は参加した。

歌い手は私が魅了されている金子由香里さんで、
家内に『銀巴里』と違った面がこのお方は表現できる人であり、
せひ観て欲しかったのである。

3曲を唄った後、ボーイさんがリクエスト曲の用紙を廻してきた・・。

私は万年筆で、『小雨降る径』と書き込んだ。

20分過ぎた頃、リクエストの3番目として、
『どなたが・・この《小雨降る径》をリクエストして下さったのでしょうか・・』
とこのお方は言った。

私は片手を少し挙(あ)げた。

このお方は少し驚いた表情されたが、唄いだした・・。

この後、数曲唄われた後、私達のテーブルに近寄ってきた。

『今晩・・来て下さって・・あたくしの歌を・・よく聴いてくださる方ね・・』
と私に向って、このお方は言った。

私はカフェ・バーなどで、よく通ったので、ときおりリクエストなどをしていたのであった。

私は、家内を連れていたので、このお方にしてみれば、
人生の駆け出しの私達を観て、慰めと励ましでわざわざ、と思ったりしている。


若き日々人生を歩みだした時、『小雨降る径』をリクエストしたのだから、
この頃の私は人生に気負っていたのかしら、と先程から苦笑している。







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脚本、そして監督・・♪

2006-12-09 09:03:00 | 定年後の思い
私は映画青年の真似事を若き頃していたことがあった。
映画しか解からないが、脚本は映画の基盤であり、家の場合で表現すると、
設計をした上で土台、建て前までの柱が観えるまでの範囲と思っている。

この後は、総合的ご自分のイメージなりで思案した上、
壁、建具、瓦、前庭、家具を入れ、そしてその家に住居する人々の動き、表情などを
総合的に表現されるのが監督と思っている。
私は東京オリンピックを過ぎた数年は、このように思っていた。

今朝の読売新聞で、明確に証言されたお方がいた。
【時代の証言者】連載特集記事に於いて、
ここ2週間前後、映画監督の山田洋次・氏が取り上げられている。

『男はつらいよ』の1作目、2作目までは、脚本と監督をされた後、
このシリーズでこの後の作品を、他の方に監督をまかせた状況下の証言である。

日本映画の最前線で、現在最も輝いている監督ご自身のお方の発言なので、
私は精読した。

貴重な発言であるので、無断であるが、引用させて頂きます。


・・
3作目も4作目も僕が脚本を書き、同じ俳優が同じ役を演じている。
それなのに、僕が望む物と何だか違う映画になってしまった感じがしました。
同じ材料を使って同じように調理した料理なのに、
板前が違うと、違った味になってしまう。
演出ってそういうとなのかもしれません。
・・


このように発言されていた。


私はテレビ・ドラマで『北の国』などで著名な倉本 聡・氏の随筆が思い出された。
脚本を書かれた後、出演者のお方に台本を読んで頂き、この範囲まで手がけるのが、
このお方の意思である。
このようなお考えを度々綴られているので、私なりに理解している。

されど脚本、されど監督・・このようなことを今朝考えたりしている。








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