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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

都心の郊外は、晩秋の名残りの時節、平素の私の散歩道のひとつには・・。

2020-12-16 07:48:33 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の老ボーイの76歳の身であるが、
我が家は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごしている。

こうした中、平素の我が家の買物は、年金生活を始めた2004年(平成16年)の秋の当初より、
私が自主宣言をして、家内からの依頼された品を求めて、
スーパー、専門店に殆ど毎日行っている買物メール老ボーイとなっている。

こうした中で、路線バスは最寄り駅まで、頻繁に走行しているが、
私は原則として乗車しないで、独り徒歩20分前後の歩道を往還している。

この後、帰宅した私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、
季節のうつろいを享受している。

こうした根底には、もとより健康でなければ、私自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮する為、
歩いたりしている。



掲載した写真は、13日に都立・神代植物公園、深大寺を訪れ、園内と周辺の情景である★


私の住む地域では、平年ならば、11月3日の『文化の日』の頃から、
あまたの落葉樹の葉は、朱色、紅色、黄色などに多彩に染め始め、
やがて11月23日の『勤労感謝の日』の頃になると、
周囲一帯までは朱色、紅色、黄色などに染められる錦繍(きんしゅう)の情景となる。

こうした中、私は毎年スキップしたくなるような心情で、公園、遊歩道などを散策をしてきた・・。




しかしながら今年に限り、新春の頃より、
世界の誰しもが予期できなかった新型コロナウイルスに伴い、
世界の多くの人が、生死の関わる難題に遭遇して、今日に至っている。

過ぎし日の2月上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、これ以来何かと重苦しい風潮の中、
私は戸惑いながら過ごしてる。

こうした中で、12月初旬にはイチョウの黄色い葉が、
たわわに地上には吹き寄せのように彩(いろど)り、晩秋の終わりを告げ、
初冬の時節を迎えるが、今年は秋が暖かった為か、数週間遅れている・・。

そして私の住む地域は、晩秋の名残りの時節となり、
いつものように歩いたりしている。




たまたま13日の日曜日には、都立の神代植物公園から深大寺めぐりをしたが、
数週間ごとに訪れている上、人出の多い処を避けて、周遊したりした。




しかしながら四季折々に散歩道を変えたりしているが、
やはり私の好みがあり、同じ路を歩いたりすることがあり、
独り微苦笑する時もある。





こうした時、ときには『年々歳々 花相似 年々歳々 人不同・・』、
漢詩のひとつが脳裏から舞い降りた・・。         

もとより中国の初唐時代の詩人である劉廷芝(りゅうていし)が、
『白頭(はくとう)を悲しむ翁(おきな)に代(かわり)て」と題する詩の第4節ある。

私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の頃に、
小説家・阿川弘之(あがわ・ひろゆき)氏の作品から学んだひとつの詩である。

《・・年々歳々 花相似 年々歳々 人不同・・・》

歳月は過ぎ去ってしまえば、実に早いと感じたりし、
毎年この季節は同じように、花が巡って、さりげなく咲いているが、
この花を観賞できる人は変っている・・。






もとより自然の悠久さと人間の生命のはかなさを対峙させて、人生の無常を詠歎した句であるが、
私はこのように解釈しながら、人生のはかなさ、哀歓を若き二十歳の時に、
この詩を学びだし、早くも55余年の歳月が流れてしまった。

私は古稀と称せられる70歳を卒業して、早や76歳となり、
私は50代の後半から、私の大切な6人の友人、同世代の知人が不幸にして大病に遭遇して、
やがて逝去され、幾たびか冥福をしたりしてきた・・。

こうした中、つたない人生航路を歩んだ私は、こうして生きている・・。





たまたま今回、晩秋の名残りの情景に心を寄せたりすると、
このような思いになってしまったりした。

そして私は、時折あと4年・・80歳の誕生日を健康寿命で迎えられたら・・、
と願ったりして、空を見上げたりしている。

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