私は東京の調布市に住む年金生活の老ボーイの76歳の身であるが、
我が家は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごしている。
こうした中、平素の我が家の買物は、年金生活を始めた2004年(平成16年)の秋の当初より、
私が自主宣言をして、家内からの依頼された品を求めて、
スーパー、専門店に殆ど毎日行っている買物メール老ボーイとなっている。
こうした中で、路線バスは最寄り駅まで、頻繁に走行しているが、
私は原則として乗車しないで、独り徒歩20分前後の歩道を往還している。
この後、帰宅した私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、
季節のうつろいを享受している。
こうした根底には、もとより健康でなければ、私自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮する為、
歩いたりしている。

★掲載した写真は、13日に都立・神代植物公園、深大寺を訪れ、園内と周辺の情景である★
私の住む地域では、平年ならば、11月3日の『文化の日』の頃から、
あまたの落葉樹の葉は、朱色、紅色、黄色などに多彩に染め始め、
やがて11月23日の『勤労感謝の日』の頃になると、
周囲一帯までは朱色、紅色、黄色などに染められる錦繍(きんしゅう)の情景となる。
こうした中、私は毎年スキップしたくなるような心情で、公園、遊歩道などを散策をしてきた・・。

しかしながら今年に限り、新春の頃より、
世界の誰しもが予期できなかった新型コロナウイルスに伴い、
世界の多くの人が、生死の関わる難題に遭遇して、今日に至っている。
過ぎし日の2月上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、これ以来何かと重苦しい風潮の中、
私は戸惑いながら過ごしてる。
こうした中で、12月初旬にはイチョウの黄色い葉が、
たわわに地上には吹き寄せのように彩(いろど)り、晩秋の終わりを告げ、
初冬の時節を迎えるが、今年は秋が暖かった為か、数週間遅れている・・。
そして私の住む地域は、晩秋の名残りの時節となり、
いつものように歩いたりしている。

たまたま13日の日曜日には、都立の神代植物公園から深大寺めぐりをしたが、
数週間ごとに訪れている上、人出の多い処を避けて、周遊したりした。

しかしながら四季折々に散歩道を変えたりしているが、
やはり私の好みがあり、同じ路を歩いたりすることがあり、
独り微苦笑する時もある。

こうした時、ときには『年々歳々 花相似 年々歳々 人不同・・』、
漢詩のひとつが脳裏から舞い降りた・・。
もとより中国の初唐時代の詩人である劉廷芝(りゅうていし)が、
『白頭(はくとう)を悲しむ翁(おきな)に代(かわり)て」と題する詩の第4節ある。
私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の頃に、
小説家・阿川弘之(あがわ・ひろゆき)氏の作品から学んだひとつの詩である。
《・・年々歳々 花相似 年々歳々 人不同・・・》
歳月は過ぎ去ってしまえば、実に早いと感じたりし、
毎年この季節は同じように、花が巡って、さりげなく咲いているが、
この花を観賞できる人は変っている・・。


もとより自然の悠久さと人間の生命のはかなさを対峙させて、人生の無常を詠歎した句であるが、
私はこのように解釈しながら、人生のはかなさ、哀歓を若き二十歳の時に、
この詩を学びだし、早くも55余年の歳月が流れてしまった。
私は古稀と称せられる70歳を卒業して、早や76歳となり、
私は50代の後半から、私の大切な6人の友人、同世代の知人が不幸にして大病に遭遇して、
やがて逝去され、幾たびか冥福をしたりしてきた・・。
こうした中、つたない人生航路を歩んだ私は、こうして生きている・・。

たまたま今回、晩秋の名残りの情景に心を寄せたりすると、
このような思いになってしまったりした。
そして私は、時折あと4年・・80歳の誕生日を健康寿命で迎えられたら・・、
と願ったりして、空を見上げたりしている。
我が家は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごしている。
こうした中、平素の我が家の買物は、年金生活を始めた2004年(平成16年)の秋の当初より、
私が自主宣言をして、家内からの依頼された品を求めて、
スーパー、専門店に殆ど毎日行っている買物メール老ボーイとなっている。
こうした中で、路線バスは最寄り駅まで、頻繁に走行しているが、
私は原則として乗車しないで、独り徒歩20分前後の歩道を往還している。
この後、帰宅した私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、
季節のうつろいを享受している。
こうした根底には、もとより健康でなければ、私自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮する為、
歩いたりしている。

★掲載した写真は、13日に都立・神代植物公園、深大寺を訪れ、園内と周辺の情景である★
私の住む地域では、平年ならば、11月3日の『文化の日』の頃から、
あまたの落葉樹の葉は、朱色、紅色、黄色などに多彩に染め始め、
やがて11月23日の『勤労感謝の日』の頃になると、
周囲一帯までは朱色、紅色、黄色などに染められる錦繍(きんしゅう)の情景となる。
こうした中、私は毎年スキップしたくなるような心情で、公園、遊歩道などを散策をしてきた・・。

しかしながら今年に限り、新春の頃より、
世界の誰しもが予期できなかった新型コロナウイルスに伴い、
世界の多くの人が、生死の関わる難題に遭遇して、今日に至っている。
過ぎし日の2月上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、これ以来何かと重苦しい風潮の中、
私は戸惑いながら過ごしてる。
こうした中で、12月初旬にはイチョウの黄色い葉が、
たわわに地上には吹き寄せのように彩(いろど)り、晩秋の終わりを告げ、
初冬の時節を迎えるが、今年は秋が暖かった為か、数週間遅れている・・。
そして私の住む地域は、晩秋の名残りの時節となり、
いつものように歩いたりしている。

たまたま13日の日曜日には、都立の神代植物公園から深大寺めぐりをしたが、
数週間ごとに訪れている上、人出の多い処を避けて、周遊したりした。

しかしながら四季折々に散歩道を変えたりしているが、
やはり私の好みがあり、同じ路を歩いたりすることがあり、
独り微苦笑する時もある。

こうした時、ときには『年々歳々 花相似 年々歳々 人不同・・』、
漢詩のひとつが脳裏から舞い降りた・・。
もとより中国の初唐時代の詩人である劉廷芝(りゅうていし)が、
『白頭(はくとう)を悲しむ翁(おきな)に代(かわり)て」と題する詩の第4節ある。
私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の頃に、
小説家・阿川弘之(あがわ・ひろゆき)氏の作品から学んだひとつの詩である。
《・・年々歳々 花相似 年々歳々 人不同・・・》
歳月は過ぎ去ってしまえば、実に早いと感じたりし、
毎年この季節は同じように、花が巡って、さりげなく咲いているが、
この花を観賞できる人は変っている・・。


もとより自然の悠久さと人間の生命のはかなさを対峙させて、人生の無常を詠歎した句であるが、
私はこのように解釈しながら、人生のはかなさ、哀歓を若き二十歳の時に、
この詩を学びだし、早くも55余年の歳月が流れてしまった。
私は古稀と称せられる70歳を卒業して、早や76歳となり、
私は50代の後半から、私の大切な6人の友人、同世代の知人が不幸にして大病に遭遇して、
やがて逝去され、幾たびか冥福をしたりしてきた・・。
こうした中、つたない人生航路を歩んだ私は、こうして生きている・・。

たまたま今回、晩秋の名残りの情景に心を寄せたりすると、
このような思いになってしまったりした。
そして私は、時折あと4年・・80歳の誕生日を健康寿命で迎えられたら・・、
と願ったりして、空を見上げたりしている。