私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
確か1951年(昭和26年)に小学校に入学して以来、
年賀状は友人、知人に書いてきた。
やがて25歳に民間会社に中途入社して、
会社の上司、同僚など、そして親戚の御方に出してきた。
この後、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、多々の理由で年金生活を始めて、
これまでの人生航路で、色々と御世話になった御方・・相変わらず出している。
たとえは会社時代の上司には、
何かと一般常識に欠けていた私を社会人として通用するように、
そして企業戦士になれるように鍛えて下さった感謝の念から、書いている。
或いは会社関係で知り合った知人には、同じ業界で共に時代を過ごし、
この後のお互いのセカンドライフの状況を報告するように、書いたりしてきた。
もとより兄妹、親戚の御方にも、
これまでの人生航路に感謝しながら、 毎年書いたりしてきた・・。
こうした中、確か平成30年の年賀状を頂いた中、
会社時代の上司の中のある御方より、 新年のあいさつ文の後半に
《・・昨年後期高齢者のお仲間入りをしました
人生の一区切りをつけたいと思います
確か1951年(昭和26年)に小学校に入学して以来、
年賀状は友人、知人に書いてきた。
やがて25歳に民間会社に中途入社して、
会社の上司、同僚など、そして親戚の御方に出してきた。
この後、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、多々の理由で年金生活を始めて、
これまでの人生航路で、色々と御世話になった御方・・相変わらず出している。
たとえは会社時代の上司には、
何かと一般常識に欠けていた私を社会人として通用するように、
そして企業戦士になれるように鍛えて下さった感謝の念から、書いている。
或いは会社関係で知り合った知人には、同じ業界で共に時代を過ごし、
この後のお互いのセカンドライフの状況を報告するように、書いたりしてきた。
もとより兄妹、親戚の御方にも、
これまでの人生航路に感謝しながら、 毎年書いたりしてきた・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/98/000a281702b7e40afe1211725b553804.jpg)
こうした中、確か平成30年の年賀状を頂いた中、
会社時代の上司の中のある御方より、 新年のあいさつ文の後半に
《・・昨年後期高齢者のお仲間入りをしました
人生の一区切りをつけたいと思います
大変勝手ですが新年の賀状ご挨拶は
来年から失礼させて頂きたくお許し下さい
来年から失礼させて頂きたくお許し下さい
これまでのご厚誼を深く感謝申し上げます・・》
このように賀状を頂き、やはりこれからの御歳を召されることを配慮されて、
このような文面になった、と私は深く考えされられた。
このような深情を秘めてきた私は、
昨今は「終活年賀状」の風潮も広がっている、と学び、
昨今は「終活年賀状」の風潮も広がっている、と学び、
こればかりのご当人をお考えがありから・・と微苦笑を重ねたりしいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/3d/90121580712fb3201cee924e83d5f6a3.jpg)
そして私は従来通り、これまで人生航路にお世話になったお方に、
せめて年賀状で、平素は御無沙汰の御方を含め、
私の年金生活のささやかな状況の報告を兼ねて、
私の年金生活のささやかな状況の報告を兼ねて、
つたない文面を綴り、元旦に配達されるよう、
12月25日まで郵便ポストに投函しょう、と思い重ねたりしている。
12月25日まで郵便ポストに投函しょう、と思い重ねたりしている。
しかしながら、いつの日にか介護・要になってしまった時は、
やむなく年賀状は断念して、電話連絡などに変貌するのかしら・・
と思い馳せたりしている。
そして私は、齢を重ねるたびに無念ながら友人、親しい知人が、
この世からお別れとなってしまい、
今や年賀状は、わずか34通となり、溜息をしたりしている。