夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

年賀状、いつの日にか書けなくなる齢がくる、と76歳の私は思い馳せ・・。

2020-12-22 06:11:07 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
確か1951年(昭和26年)に小学校に入学して以来、

年賀状は友人、知人に書いてきた。

やがて25歳に民間会社に中途入社して、

会社の上司、同僚など、そして親戚の御方に出してきた。

この後、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、多々の理由で年金生活を始めて、
これまでの人生航路で、色々と御世話になった御方・・相変わらず出している。

たとえは会社時代の上司には、

何かと一般常識に欠けていた私を社会人として通用するように、
そして企業戦士になれるように鍛えて下さった感謝の念から、書いている。

或いは会社関係で知り合った知人には、同じ業界で共に時代を過ごし、
この後のお互いのセカンドライフの状況を報告するように、書いたりしてきた。

もとより兄妹、親戚の御方にも、

これまでの人生航路に感謝しながら、 毎年書いたりしてきた・・。

              

こうした中、確か平成30年の年賀状を頂いた中、
会社時代の上司の中のある御方より、 新年のあいさつ文の後半に
 《・・昨年後期高齢者のお仲間入りをしました

    人生の一区切りをつけたいと思います
   大変勝手ですが新年の賀状ご挨拶は
    来年から失礼させて頂きたくお許し下さい
   これまでのご厚誼を深く感謝申し上げます・・》

このように賀状を頂き、やはりこれからの御歳を召されることを配慮されて、
このような文面になった、と私は深く考えされられた。

このような深情を秘めてきた私は、
昨今は「終活年賀状」の風潮も広がっている、と学び、
こればかりのご当人をお考えがありから・・と微苦笑を重ねたりしいる。



そして私は従来通り、これまで人生航路にお世話になったお方に、
せめて年賀状で、平素は御無沙汰の御方を含め、
私の年金生活のささやかな状況の報告を兼ねて、
つたない文面を綴り、元旦に配達されるよう、
12月25日まで郵便ポストに投函しょう、と思い重ねたりしている。

しかしながら、いつの日にか介護・要になってしまった時は、
やむなく年賀状は断念して、電話連絡などに変貌するのかしら・・

と思い馳せたりしている。

そして私は、齢を重ねるたびに無念ながら友人、親しい知人が、
この世からお別れとなってしまい、
今や年賀状は、わずか34通となり、溜息をしたりしている。
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