先程、ときおり愛読している【 日刊ゲンダイヘルスケア 】を見ている中で、
『 精神的な健康のピークは82歳前後にある 米大学の研究で判明 』、
と題された見出しを見たりした。
私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の76歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
『 精神的な健康のピークは82歳前後にある 米大学の研究で判明 』、
と題された見出しを見たりした。
私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の76歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
こうした中、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活を丸16年半を過ごしてきた。

そして私は何よりも認知症、心筋梗塞など恐れ、
殆ど毎日のように自宅の周辺3キロ範囲にある遊歩道、公園、住宅街を歩き、
ときおり認知症だけは勘弁してねぇ・・と秘かに祈願しながら歩く時もある。
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活を丸16年半を過ごしてきた。

そして私は何よりも認知症、心筋梗塞など恐れ、
殆ど毎日のように自宅の周辺3キロ範囲にある遊歩道、公園、住宅街を歩き、
ときおり認知症だけは勘弁してねぇ・・と秘かに祈願しながら歩く時もある。
しかしながら、70歳の頃から体力の衰えを実感し、
時折もの忘れもあり、独り微苦笑をしたりしている。
こうした中、厚生労働省の公表によると、2016(平成28)年時点で、
日本人の健康寿命は、男性が72.14歳、女性が74.79歳と推計され、
平均寿命と健康寿命の差は、男性約9年、女性約12年と報じられている。
もとより「健康寿命」は、日常的に介護を必要としないで、
自立した生活ができる期間であり、
私は今年の9月の誕生日を迎えれば、77歳となり、
何んとか男性の健康寿命には、何とか現状では乗り越えている、
と思ったりする時もある。
しかしながら私の友人、知人の7人は、すでにあの世に旅立っているし、
或いは私より8歳ご年配の知人は、心身溌剌とされている御方もいて、
あくまで健康寿命も男性の平均であるよなぁ・・と思ったりしている。

このような深情のある私は、今回の《・・精神的な健康のピークは、82歳前後・・》って、
どのようなことですか、と思いながら記事を精読してしまった・・。
この記事は、明治大学教授、言語学者の堀田秀吾 さんの連載寄稿文のひとつであり、
時折もの忘れもあり、独り微苦笑をしたりしている。
こうした中、厚生労働省の公表によると、2016(平成28)年時点で、
日本人の健康寿命は、男性が72.14歳、女性が74.79歳と推計され、
平均寿命と健康寿命の差は、男性約9年、女性約12年と報じられている。
もとより「健康寿命」は、日常的に介護を必要としないで、
自立した生活ができる期間であり、
私は今年の9月の誕生日を迎えれば、77歳となり、
何んとか男性の健康寿命には、何とか現状では乗り越えている、
と思ったりする時もある。
しかしながら私の友人、知人の7人は、すでにあの世に旅立っているし、
或いは私より8歳ご年配の知人は、心身溌剌とされている御方もいて、
あくまで健康寿命も男性の平均であるよなぁ・・と思ったりしている。

このような深情のある私は、今回の《・・精神的な健康のピークは、82歳前後・・》って、
どのようなことですか、と思いながら記事を精読してしまった・・。
この記事は、明治大学教授、言語学者の堀田秀吾 さんの連載寄稿文のひとつであり、
【 日刊ゲンダイヘルスケア 】に於いて、6月4日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。
無断であるが転載させて頂く。

《・・年齢を重ねてくると、どうしても体力や記憶力は衰えていきます。
昔は簡単にできたことができなくなり、戸惑いや不安が押し寄せ、
自信を失ってしまう機会にもつながってしまいます。
しかし、衰えてしまうのは自然の摂理なのですから、
過度に落ち込む必要なんてありません。
「しょうがないよな」と深く考えないことが大切です。
しかも、ハーバード大学を含めた共同研究(2015年)によれば、
「50歳を過ぎてからピークを迎える能力がある」。
50歳は、まだまだ老け込むような年齢ではないんですね。
研究は、4万8000人を超える老若男女を対象に
オンライン上から集めたサンプル(アンケート回答や実施されたIQテストなど)をもとに分析しました。
その結果、最も計算能力が高かったのは50歳前後の人たちで、
シンプルな計算問題は年長者の方が良いパフォーマンスを残したといいます。
一方、記憶力に関するテストでは、
若い被験者に劣る結果が明らかになりました。
また、情報の処理速度に関しても、20代が圧倒的に成績が良く、
頭の回転に関しては若者に勝てないことが示されました。
こればかりは仕方がないですよね。

しかし、興味深いのは、「他人の感情を目を見るだけで正しく認識する能力」において、
50代の成績が最も良かった点です。
亀の甲より年の功。
50年も生きていれば、酸いも甘いも噛み分けていますから、
他人の感情を察知する能力に秀でているのでしょう。
この検証では、認知能力のピークが、
世代によってかなり差異があることが明らかになっています。
成人の早い時期に、いくつかの認知能力が安定するため、
30代になると低下し始める人もいます。
ただし、あくまで安定するだけであって、
ピークを迎えるのではない。

つまり、中には50代近くになってピークを迎える人もいる。
裏を返せば、30代にどんな人生を送っているかが、
昔は簡単にできたことができなくなり、戸惑いや不安が押し寄せ、
自信を失ってしまう機会にもつながってしまいます。
しかし、衰えてしまうのは自然の摂理なのですから、
過度に落ち込む必要なんてありません。
「しょうがないよな」と深く考えないことが大切です。
しかも、ハーバード大学を含めた共同研究(2015年)によれば、
「50歳を過ぎてからピークを迎える能力がある」。
50歳は、まだまだ老け込むような年齢ではないんですね。

研究は、4万8000人を超える老若男女を対象に
オンライン上から集めたサンプル(アンケート回答や実施されたIQテストなど)をもとに分析しました。
その結果、最も計算能力が高かったのは50歳前後の人たちで、
シンプルな計算問題は年長者の方が良いパフォーマンスを残したといいます。
一方、記憶力に関するテストでは、
若い被験者に劣る結果が明らかになりました。
また、情報の処理速度に関しても、20代が圧倒的に成績が良く、
頭の回転に関しては若者に勝てないことが示されました。
こればかりは仕方がないですよね。

しかし、興味深いのは、「他人の感情を目を見るだけで正しく認識する能力」において、
50代の成績が最も良かった点です。
亀の甲より年の功。
50年も生きていれば、酸いも甘いも噛み分けていますから、
他人の感情を察知する能力に秀でているのでしょう。
この検証では、認知能力のピークが、
世代によってかなり差異があることが明らかになっています。
成人の早い時期に、いくつかの認知能力が安定するため、
30代になると低下し始める人もいます。
ただし、あくまで安定するだけであって、
ピークを迎えるのではない。

つまり、中には50代近くになってピークを迎える人もいる。
裏を返せば、30代にどんな人生を送っているかが、
ポイントになるといえるかもしれません。
また、別の研究では、社会的対立についての推論は、
老年期(60代以上)に向上する傾向があるという結果が出ています。
対立する問題を分析したり、解決したりするのは、
60代が得意というわけです。
といっても、老害化する人もいますから、
個人差があることは付記しておきます。
昨今、老後については、さまざまな問題が叫ばれていますが、
あまり悲観しない方がいいでしょう。

南カリフォルニア大学のストーンらの研究(2010年)では、
「精神的な健康のピークは82歳前後」
という驚くべき結果があるほどです。
あらゆる世代の被験者に、10段のはしごを思い浮かべてもらい、
一番上の段(10段目)=最高の人生、
一番下の段(1段目)=最悪の人生として、
自分の人生が現在何段目に位置するかを尋ねたところ、
最年長のグループ(82~85歳)が一番満足度が高く、
平均して7段目と回答したそうです。
加齢は“衰え”ではなく、“一歩先に進んでいる”。
そう考えると、毎回誕生日がハッピーになると思いませんか?・・ 》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

また、別の研究では、社会的対立についての推論は、
老年期(60代以上)に向上する傾向があるという結果が出ています。
対立する問題を分析したり、解決したりするのは、
60代が得意というわけです。
といっても、老害化する人もいますから、
個人差があることは付記しておきます。
昨今、老後については、さまざまな問題が叫ばれていますが、
あまり悲観しない方がいいでしょう。

南カリフォルニア大学のストーンらの研究(2010年)では、
「精神的な健康のピークは82歳前後」
という驚くべき結果があるほどです。
あらゆる世代の被験者に、10段のはしごを思い浮かべてもらい、
一番上の段(10段目)=最高の人生、
一番下の段(1段目)=最悪の人生として、
自分の人生が現在何段目に位置するかを尋ねたところ、
最年長のグループ(82~85歳)が一番満足度が高く、
平均して7段目と回答したそうです。
加齢は“衰え”ではなく、“一歩先に進んでいる”。
そう考えると、毎回誕生日がハッピーになると思いませんか?・・ 》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

今回、明治大学教授、言語学者の堀田秀吾さんの寄稿文に導かれて、
多々教示され、やがて微笑み返しをしてしまった・・。
多々教示され、やがて微笑み返しをしてしまった・・。
私たち夫婦は、過ぎし2018年までの年金生活14年間は、
幸運にも大病に遭遇せずにきたりした。
しかしながら2019年は予告もなく私は、
新年そうそうの1月3日の夜10時過ぎ、 心臓の左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
やむなく救急車で循環器専門の『榊原記念病院』に搬送されたりした。
やがて『胸膜炎』(急性冠症候群)と病状とされ、
しばらく経過観察したく・・ と入院が余儀なくされて、
結果的に8泊9日の入院となったりした。
幸運にも大病に遭遇せずにきたりした。
しかしながら2019年は予告もなく私は、
新年そうそうの1月3日の夜10時過ぎ、 心臓の左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
やむなく救急車で循環器専門の『榊原記念病院』に搬送されたりした。
やがて『胸膜炎』(急性冠症候群)と病状とされ、
しばらく経過観察したく・・ と入院が余儀なくされて、
結果的に8泊9日の入院となったりした。
更に3月の初めの頃、私は突然に左眼だけが酷い白内障になったように視力が激変し、
結果的には4月2日より、眼科医院に6泊7日して左眼の 硝子体手術を受けたりした・・。

この間、私が3月は左眼の検査で忙しくしている時、 家内が体調を崩して内科を検診した後、
まもなく膵臓(すいぞう)に異変があることが推定された。
やがて私の住む地域の大きな総合医療センターで、 3回ばかり通院して、
専門医師のアドバイスされる中、初期の膵臓(すいぞう)がんです、と診断されたりした。
そして4月17日より2泊3日で、家内は検査入院した後、
5月12日より摘出する手術で入院をして、この後の経過状況、
やがて回復状況も医師より順調と診断され、19泊20日間を得て退院となり、
我が家に生還してきた。
もとより、この間は、最悪の場合を想定することもあったりして、
私たち夫婦は激しく揺れ動いたりした・・。

このように私は新年早々から、入院生活を2回も体験し、
家内は結婚以来、初めての入院生活を過ごすこととなり、
お互いに病院に通う日々が多くなり、微苦笑を重ねあったりした。
そして家内の退院後の定期検査のたびに、転移されていないか、
私たち夫婦は、心の底におびえ、何とか今日まで、
幸運な神様か仏様に支えられて過ごしたりしている・・。
私たち夫婦は激しく揺れ動いたりした・・。

このように私は新年早々から、入院生活を2回も体験し、
家内は結婚以来、初めての入院生活を過ごすこととなり、
お互いに病院に通う日々が多くなり、微苦笑を重ねあったりした。
そして家内の退院後の定期検査のたびに、転移されていないか、
私たち夫婦は、心の底におびえ、何とか今日まで、
幸運な神様か仏様に支えられて過ごしたりしている・・。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、2人だけで第二人生の歳月を過ごすので、
結果としては定年後の長い人生は、お互いの趣味を尊重して、堅実な生活を過ごせば、
年金生活でも何とかなると、定年後に年金生活を始めたりした・・。
そして定年前のサラリーマン時代の私は、数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた。
そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩すのは天敵と確信し、
平素の買物専任者を自主宣言したりした。
或いは昼食だけは、お互いに制約することなく、自由な時間で、
お互いに殆ど我が家で、きままに食べたりしている。
そして午後から夜の大半は、私は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、 或いは音楽も聴いたりしている。
こうした中で、家内は料理、掃除、洗濯などを従来通りしてくれるので、
せめて家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、
日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

そして人だれしも長所、短所はあるが、
私は短所の方が多いので、 家内の短所には目をつぶり、長所を伸ばそうと心がけてきた・・。
家内は料理、洗濯、掃除などを積極果敢にする専業主婦の優等生であるが、 血液型A型となっている。
そして我が家では一年に数回、私はB型、家内はA型の為か、
ボタンの掛け違いのように差異が発生し、 険悪になることもある。
やがて私は、映画、文學、音楽に関しての粗雑なコメント以外は、
私たちの人生に大勢に影響がないと判断して、
いつまでも心のわだかまりを残すことは、夫婦としてよくないと思い、15分以内に妥協して、
『ボクが悪かった・・XXちゃんのおしゃる通りです!!』
と家内の前で、私は床に伏して詫びたりしている。
このように我が家は家内安全となり、離婚などは無縁である、と私は微苦笑したりしている。
こうした中、私たち夫婦の年金生活を、ご近所の方の奥様たちが見かけて、
あなたたちは仲良し恋しねぇ、と社交辞令のお世辞を頂くこともある。
しかしながら日常生活の実情は、私は家内のことを、
婚約する前の頃から、『XXちゃん・・』と呼んだりしている。
家内は日頃の多くは、私のことを『あなた・・』と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで、『XXクン・・』と苗字で呼ぶこともある。
やがて2004年(平成16年)の秋、年金生活を始めてまもない頃、
私は家内から依頼された買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ・・』 と家内は笑いながら、私に言ったりした。
この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、 『ボケチィンねぇ・・』とか、
ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』 と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。

私たち夫婦は年金生活を過ごして、早や17年目になっているが、
40数年寝食を共にしてきた結婚生活の中で、幾重かの人生の荒波を乗り越えてきたが、
ここ16年過ぎた年金生活は、定年退職するまで何かと悪銭苦闘が多かった為か、
予測した以上に安楽の日々を過ごしてきた。
世の中は少年時期から青年時期を過ごした後、やがて後年になって、
ボクの青春時代はあの時期だった、 と回想する走馬灯ように、
その時の出来事を思い馳せたりすることがある。
このようなことも人生に於いてあるので、
いつの日にか現在の生活を思い馳せた時、 今こうして過ごしている私たち夫婦は最良の日々かしら、
と私は感じたりしている。
これからの日々は、体力の衰えを増すことを実感しながら、
やがていつの日にか、どちらかが不運にも大病になったり、
最悪の場合は死別して、おひとりさまとなったりする。
こうしたことは自助努力も必要であるが、 こればかりは神様か仏様か解らないが、
天上の采配に寄ること思ったりしている。
このように思案している私は、こうして過ごしている昨今こそが、 いつまで続くか解らないが、
私たち夫婦にとっては最良の日々、と私は感じ深めている。

このように私は思い馳せたりすると、
《・・精神的な健康のピークは、82歳前後・・》と今回学び、
何かと単細胞でプラス思考の私は、あと5年ぐらいは、
自身の日頃のささやかな願いを叶えられる期間かしら、
と微笑んだりしている。
《・・精神的な健康のピークは、82歳前後・・》と今回学び、
何かと単細胞でプラス思考の私は、あと5年ぐらいは、
自身の日頃のささやかな願いを叶えられる期間かしら、
と微笑んだりしている。