先程、パソコンを立ちあげて、ヤフーより配信されているニュースを見ている中で、

なぜそこまで頑なになってまで上限1万人の有観客にこだわるのか、
ネットで公開された記事で学んだりしてきた・・。
【JBpress】に臼北 信行さんが6月17日に寄稿された一部の中で、
「ひと言で言い表せば、“日本のメンツ”というのもある。
販売済みの入場チケットも含め、これ以上払い戻しの必要に迫られれば、
必然的にコロナ前までの時点で当初見込んでいた約900億円の入場料収入は
ゼロベースでさらに大幅な下方修正を強いられる。
それに加え、無観客になれば、
スタンドで観戦するIOC関係者ら海外から来日した外国人の要人たちの姿が
異様に目立ってしまい、確実に大会期間中は批判の対象となってしまう可能性が大。
実はこれも厄介なマイナスポイントであり、その“目くらまし”とするためにも、
それなりの数の有観客化は必要不可欠という背景もある。
実に馬鹿馬鹿しく、ショボ過ぎる忖度だ。
短絡的な発想だが、観客が多く入っていれば盛り上がりのムードも煽ることにつながり、
世界と国内に東京大会の成功を大きく印象付けられる。・・ (略)・・
強行開催どころか、有観客までゴリ押しされ、残り40日弱で開幕を迎える東京五輪。
国民の多くから望まれない政府自称「安心安全の大会」は、
日を追うごとに逆行する“修正”を繰り返し、コロナ再蔓延の危険度を増している。・・ 》
このような記事を読んでいた私は、東京オリンピツクに関して、
新型コロナウイルスの終息の気配もない中、開催させようとしている。
そして開会式の入場者数について、1万人とか騒がれているが、
国民には『三密(密集、密接、密閉)』を長らく強制して、
オリンピックだけは特例として、狭い選手村、各競技場は人出で密集させ、
菅首相は狂気のような言動で邁進している。
先程、【キャリコネニュース】読んだりしていると、
《・・神奈川県の50代女性は、
「子どもたちの学校行事はやらせてもらえないのに、
海外から出入りのあるオリンピックやるなんて絶対おかしい。
まず国民が普通の生活を取り戻すのが、オリンピックなんかより絶対先」と憤る。
このように、子どものイベントを中止している中での五輪開催に疑問を持つ声は多い。
50代男性も、「目の前の子どもたちの体育祭などを中止にしているのに、
オリンピックって・・・」と呆れた様子で、
「国を挙げての祭典かもしれないですが、五輪延期から1年たった今でも、
すべてにおいてコロナ対策が中途半端な感じなので、
この際思い切って中止にしたほうがいいのでは?」
(東京都/企画・マーケティング)と綴っている。・・》
このような記事を学びながら、無力な私は溜息ばかり重ねている。