私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
いつものように自宅の3キロにある公園、遊歩道、住宅街の歩道を散策すると、
あじさい(紫陽花)は多彩に彩っているが、
まもなく桔梗(ききょう)、木槿(むくげ)が咲く頃かしら、
と歩いたりしてきた・・。
過ぎし一週間前に、公園の中で、今年初めての木槿(むくげ)の花を見て、
今年も咲いてくれた・・と微笑みながら、見惚れてきた・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/29/9ddb96699ff4243fe611004f0765fd2e.jpg)
そして遊歩道の片隅にも、咲き始めて、初夏の彩りの情景に、
心は和(なご)んだりした・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/f6/e441d842cf746e5fe71d43550f86f47c.jpg)
昨年の2月より、新型コロナウィルスの烈風に伴い、幾たびの自粛に私は戸惑い、
閉塞感のある世の中に息苦しく感じていた私は、
多種多彩な木槿(むくげ)の花に、心が浄化されたりした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/c7/9cde7416ef276fdf52b0564d953f073b.jpg)
このような心情で散策していると、6日前に桔梗(ききょう)にめぐり逢えて、
青年期に恋焦がれた恋人に逢えたような心情で、
長らく見惚れたりした・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/0f/431279453643c6f3ee55b62922704637.jpg)
私が桔梗(ききょう)の花に魅了されたのは、
思い馳せれば東京オリンピックが開催された1964年より、数年後であった・・。
東京オリンピックが開催される直前、私は二十歳の誕生日を迎え、
映画の脚本家になりたくて、大学を中退した後、アルバイトをしながら、
養成所に通い映画青年の真似事をし、シナリオの習作をしたりしていた。
この後、養成所の講師の知人の新劇の長老からアドバイスを頂き、
映画で生活をするは大変だし、まして脚本で飯(めし)を喰(た)べていくは困難だょ、
同じ創作するなら、小説を書きなさい、このような意味合いのアドバイスを頂いたりした。
私は遅ればせながら高校に入学してまもなく、突然に読書に目覚めて、
この時から小説、随筆、ノンフェクション、月刊雑誌などを乱読してきた。
読書に魅せられるのは、創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時の感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力から、
高校生の時からとりつかれたりした・・。
そして小説・随筆系は文学全集のひとつ中央公論社の『日本の文学』90巻を基盤として精読した上、
純文学の月刊誌『文学界』、『新潮』、『群像』、
中間小説の月刊誌『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を購読したりしたりした。
こうした中で、魅了された作家は20名ぐらいあったが、
圧倒的に魅せられたのは、井上 靖、そして立原正秋の両氏であった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/e1/42ad67ec116daee7844048b41ab2d01e.jpg)
私は作家・立原正秋氏に関しては、確か純文学の月刊誌を購読してまもないころ、
氏の著作の『剣ケ崎』(新潮社)の短編集を購入し、
深く魅せられて、過去に発売された単行本の『薪能』(光風社)を古本屋で買い求めたりした。
そして、これ以降は作品、随筆が発表されるたびに、
買い求めて、熱愛し、精読していた・・。
この当時の私は、アルバイト・契約社員などをしながら、小説の習作に専念していた。
確かな根拠はなかったが、私には独創性がある、と独りよがり自信にあふれて、
純文学の新人コンクールの小説部門に応募したりした。
しかしながら、当選作の直前の最終候補作の6作品の直前に敗退し、
こうしたことを三回ばかり繰り返し、
もう一歩と明日の見えない生活をしていた。
こうした中、街中の園芸店で、片隅にあった桔梗(ききょう)の花に、
立原正秋氏の書物から感じられる香りに、漠然としながら感じたりした・・。
やがて春の彼岸の時、私の実家で、お彼岸の懇親の時、親戚の小父さんから、
『今は若いからよいとしても・・30過ぎから・・家族を養えるの・・』
と素朴に叱咤された。
結果としては、30代に妻子を養う家庭のことを考えた時、
強気の私さえ、たじろぎ敗退して、やむなく安定したサラリーマンの身に転向したのは、
1970年(昭和45年)の春であった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/97/002011bf8369a5b7aaf210706cdd6af2.jpg)
やがて、1980年(昭和55年)の夏、立原正秋氏は無念ながら病死され、
これ以降も追悼などで、立原正秋氏の綴られた未刊の小説、随筆が出版されたり、
或いは立原正秋氏の友人、知人らに寄る氏に関する随筆が出版され、
私は買い求めていた・・。
こうした中、私は園芸店で桔梗(ききょう)を10前後買い求めて、
庭先の片隅に植えたりし、まもなく桔梗(ききょう)の花が20数輪彩ったりした。
その後、三周忌記念出版として、『立原正秋全集』全24巻が角川書店から、
昭和59年(1984年)から発刊され、私の書棚には単行本が少なくとも30数冊はあったが、
心新たにの思いで購入した。
そして、愛惜を重ねながら、毎月配本されるたびに改めて精読したのである。
私は拙(つたな)い読書歴なかで、小説・随筆に関して、
明治以降の作家の中で、最も影響を受けたのが、立原正秋氏となった。
作品はもとより、文体、そして庭園、茶事、食べ物、日本酒、焼き物など、
私の青年期から30代の終わりの頃まで、多大に教示された人であった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/1a/a1744b3fc194aa884b6a2b3dcb235152.jpg)
そして私は氏が埋葬されている北鎌倉にある寺に、
心の節度としてお墓参りに訪れた時、境内に桔梗(ききょう)の花が7輪咲いていて、
御手本のように整然と植えられて、感銘させられたりした。
しかしながら、まもなく会社の業務も多忙となり、庭の手入れもままならず、
やがて宿根草の桔梗(ききょう)でも雑草にまみれて、あえなく消え去ってしまった。
これ以来、我が家の小庭には桔梗(ききょう)はなく、
自宅の3キロにある公園、遊歩道、住宅街の歩道を散策した時、
めぐり逢えた時、愛惜を重ねながら、お待ちしていましたょ・・、
と心の中で呟(つぶや)きながら、長らく見惚れたりしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/a2/30c9fbcc27a10ddb6d1ebf917f8928ae.jpg)
余談であるが、桔梗(ききょう)は万葉集の中で、
秋の七草と称され「朝貌の花」は本種であると、学んだりしてきた。
そして秋の七草覚えるには、
・女郎花(オミナエシ)
・薄(ススキ)
・桔梗(キキョウ)
・撫子(ナデシコ)
・藤袴(フジバカマ)
・葛(クズ)
・萩(ハギ)
上から頭の文字をつなげて「お好きな服は(おすきなふくは)」という覚え方が、
やさしいですょ・・と年配のうるわしき女性から、
私が40代の初めに教えて頂いたりしてきた。