夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
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100歳の現役ピアニスト「室井摩耶子さん」、恥ずかしながら初めて学び、敬意を重ねて・・。

2021-06-29 14:03:26 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【 ディリー新潮 】を見ている中、

『 100歳の現役ピアニスト「室井摩耶子さん」 
        練習は1日4時間 楽しく生きるコツは?  』
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の身であるが、
恥ずかしながら楽譜も読めなく、楽器も弾くこともできないが、
音楽を聴くことが好きなひとりである。

こうした私であるが、恥ずかしながらピアニスト「室井摩耶子さん」は未知の御方であるが、
《・・100歳の現役ピアニスト‥》に驚きながら、
どのような人生航路を歩まれて、日常生活はどのようにお過ごししているのか、
真摯に学びたく、記事を読んでしまった・・。

この記事は、ライターの小川美佳(おがわ・みか)さんが寄稿され記事であり、
【 ディリー新潮 】に
2021年6月28日に配信され、
無断であるが記事、写真を転載させて頂く。

 

室井摩耶子さん1

大正生まれの国内最高齢のピアニスト・室井摩耶子さん。
東京音楽学校(現・東京藝術大学)を首席卒業後、デビューは戦時中だった

 

《・・ 国内最高齢のピアニストとして活動する室井摩耶子さんが、
4月7日、百寿を祝う「第509回日経ミューズサロン 室井摩耶子百寿記念スペシャル・コンサート」(東京・日経ホール)を開催し、
2公演で4曲を披露した。

4月18日に100歳を迎えた現在もピアノを弾き続け、8枚のCDが発売中だ。

2012年、91歳のときに「第22回新日鉄音楽賞・特別賞」を、
19年には「文化庁長官表彰」を受けるなど、その実績は高く評価されている。
室井さんに音楽活動の原動力や、楽しく豊かに生きる秘訣、
そしてピアノとともに歩んだ94年間を振り返っていただいた。

☆コンサート会場が遺体置き場に

1921年(大正10年)に生まれた室井さんは、
成城小学校(現・成城学園初等学校)に入学したのを機に、6歳でピアノを始めた。

「全人教育」という教育理念のもとに設立された成城小では、
画一的で詰め込み型の受験教育ではなく、宗教・芸術・道徳・哲学・労作教育を柱に、
調和のとれた人格を育む教育が行われていた。

「成城小学校の音楽の授業では、国定教科書ではなく、
シューベルトやブラームスといったものを教材として使っていたの。

ヨーロッパに留学した経験を持つ先生は、とても自由な考えを持っていて、
音楽に合わせて身体を動かすリトミックを授業で取り入れたりしていました。
今思えば、幼いころの教育環境は非常に恵まれていましたね」

自由かつ芸術を重んじる成城小の校風は、後のピアニスト人生を支える礎となった。

その小学校の音楽の先生に勧められて、
4年生のときに東京音楽学校の教授をしていた高折宮次に師事し、
室井さんは本格的にピアノの道を歩み始める。

その後、1941年には東京音楽学校(現・東京藝術大学)を首席で卒業。
45年1月、日本交響楽団(現・NHK交響楽団)のソリストとしてプロデビューを果たした。

日比谷公会堂で開催されたデビューコンサートは、
戦時中にもかかわらず大盛況となり、3日間すべてが満席だった。

「連日満席となったのは、みんな音楽に飢えていたのだと思います。
しかし、コンサートの直後に空襲があり、会場だった日比谷公会堂は、遺体置き場になってしまいました。

戦争が終わり、その後リサイタルを何度も重ねて好評も得ましたが、
自分には“何かが足りない”という思いがずっとありました。

どうしてもその“何か”がわからず、
このときはピアノを止めようと思うくらい追い詰められていたんです」

室井摩耶子さん2

1941年12月、日比谷公会堂で行われた東京音楽学校(現・東京藝術大学)の新人演奏会。
当時の式用制服は黒紋付だった(写真提供:室井摩耶子)

室井摩耶子さん3

1943年12月、東京音楽学校(現・東京藝術大学)のクラスメート、
クロイツァ教授と(室井さんは右から2番目)(写真提供:室井摩耶子)

室井摩耶子さん4

プロデビュー後、人気ピアニストとして注目を集めていた時代の室井さん(写真提供:室井摩耶子)


☆「現代音楽の室井」と注目

室井摩耶子さん5

1955年、映画「ここに泉あり」に本人役のピアニストとして岸恵子さんと共演。
山田耕作さんの指揮で、チャイコフスキーのコンツェルトなどを弾いた(写真提供:室井摩耶子)

音楽の本質は何かと、自分自身に問い、モーツァルトやベートーヴェンは、
日本人には理解できないのではないか、と思い悩んだ室井さんは、コンサートではクラシックを避け、
ポール・デュカスやエリック・サティといった現代音楽を数多く演奏した。

「現代音楽の室井」と注目されるようになった1955年、
「ここに泉あり」(監督:今井正、主演:岸恵子)という大ヒット映画に、
指揮者の山田耕筰とともにピアニストの本人役で出演する。
34歳のときだった。

ピアニストとして一世を風靡したが、
それでも、何かが足りないという思いを拭い去ることができず、
ヨーロッパで音楽の本質を掴みたいという思いは、より一層強くなっていった。

そんな中、1956年にウィーンで開催された「モーツァルト生誕200年記念祭」に、
日本代表として派遣された。

同年、第1回ドイツ政府給費留学生にも推挙され、ベルリン音楽大学に留学することになる。

室井摩耶子さん6

1960年、ベルリンでのリサイタルのプローベ(舞台稽古)(写真提供:室井摩耶子)

室井さんがドイツで師事したケンプ教授は、
若くて優秀なピアニストを世界中から呼び寄せ、ベートーヴェンのゼミを開講した。

ゼミの修了時、教授の勧めでベートーヴェンのソナタ4曲を弾くリサイタルを開催し、
これが思いの外好評だった。

そのリサイタルをきっかけにその後20年にわたり、
ドイツを拠点に海外13カ国で演奏活動を行うようになった。

1964年には、ドイツで出版された『世界150人のピアニスト』に選出され、
世界的なピアニストとしての地位も築いた。

当時は日本でもコンサートを度々開催しており、
高松宮殿下が室井さんのファンで、
コンサート会場に毎回訪れたという逸話もあるほどだ。

「ドイツにいざ行ってみたら、20年も向こうで過ごすことになってしまいました(笑)。
 ドイツ人は、私はこう思う、私はこうしたい、私はこう感じるということ、
私というものをとても強く持っていて、とても大事にしているんです。

それは、音楽をするということについても全く同じなのです。
私は20年かけて、『音楽語(音楽で物を言うということ)』を見つけることができました」

 

室井摩耶子さん7

1960年、ベルリンの街頭に貼られたデビューリサイタルのポスター。
「MUROI」の文字が見える(写真提供:室井摩耶子)

 

☆音楽は、音で作った詩であり小説であり戯曲

1982年、61歳で帰国した後も、
自ら構成やトークを考えた「トーク&コンサート」を定期的に開催するなど、
活躍を続けてきた。

そんな室井さんだが、ピアニストとしてある使命感に駆られているのだという。

「ドイツ語に『ムジチーレン(Musizieren)』という言葉があるの。
日本語に直訳すれば、『音楽をする』という意味になるけれど、
ドイツでは『音楽は、音で作った詩であり、小説であり、戯曲である』
という意味で使われているんです。

ドイツで学んだこの“音楽の本質”を、日本でももっと広めたいと思ったんです。

子どもたちに音楽を教えるとき、五線譜を把握するのは難しいので、
何となく弾ければいいとなりがちで、例えば休符ひとつとってみても、
なぜここで休符が出てくるのか、
そもそも休符とは、何かを真剣に理解しようとする姿勢が、日本の音楽には欠けています。

帰国した当時から、日本の音楽教育では技術ばかりが、
優先されているのは、おかしいと感じていました。

ただ楽譜通りに上手に弾くのではなく、
曲に何が描かれているか、何を伝えたいかを読み解いて、演奏することが大切なのです」

だからこそ、室井さんの教え子には、プロのピアニストとして活躍している人も少なくないのだろう。


☆発見がないとダメ

室井摩耶子さん8

1960年、ベルリンの街頭に貼られたデビューリサイタルのポスター。
室井さんの顔写真も(写真提供:室井摩耶子)

介護していた父親が亡くなった後、
「平屋暮らしだったから、どうしても2階建てに住んでみたい」
と、80歳を超えて家を新築したというが、

「防音にすると言ったら、ご近所の皆さんが、ピアノの音が聴こえなくなるから、
やめてっておっしゃるんですよ」
とほほ笑む。

そんな室井さんは今でも、1日4時間の練習を欠かさない。
それは深夜にまで及ぶことがあるという。

室井摩耶子さん9

ドイツで活躍していた時代の室井さん(写真提供:室井摩耶子)

「この弾き方の方が、綺麗かもしれない、作曲家はこう語りたかったんじゃないか、
と考え出したら、それを突き詰めるように、ずっと弾いてしまうんです。

音の種類や深さが、自分の生き方からにじみ出てくるので、
これまで演奏した曲でも、自分が変化すれば、表現も変わってきます」

以前はつまらないと思っていたバッハの曲も、
年齢を重ねるにつれ、曲から匂いたってくるものを感じるというのだ。
だから年齢もあまり気にしていなかったと笑う。

「いくつになっても『発見』がないとダメなのよね。
同じ曲を何百回も演奏しているけれど、
前と同じように演奏しても、聴いている人には伝わらないのよ。

感動が生まれない。
新たな発見があった分だけ、感動してもらえるのです。

室井摩耶子さん10

1963年、ベルリンフィル新ホールの開館式典に招待されたときの様子。
エスコートしているのは政府高官(写真提供:室井摩耶子)


百寿のコンサートのときには、
そうか私は100歳なのかなんて、あらためて考えました。

年齢相応と言われる考え方や、行動に縛られるのが嫌で、過ごしていたら、
いつの間にか100歳になっちゃった(笑)。
でもこの頃は、“100歳効果”もあるんだからと、大いに威張ってるのよ(笑)」


エネルギッシュに過ごす室井さんだが、実は70代で肺がんを患っている。
96歳のときには大腿骨を骨折し、手術とリハビリを余儀なくされた。

それでも「ピアノを弾き続けたい」という一心で、病気も怪我も克服してきた。
そんな強靭な精神力と体力を持つ室井さんにとっては、
コロナの存在もどうということはないようだ。

「最初は、コロナと人間とのケンカだと思っていたけれども、
ベートーヴェンを弾いていて、とってもうまくいったある日に考えが変わったんです。

コロナさん、私たちはみんなベートーヴェンの音楽に浸りきっていますから、
そこにいたければ、いたっていいのよって」

ポジティブな言葉が、ユーモアを交えて繰り出される。
明るく元気に生きる秘訣は、いったいどこにあるのだろうか。

室井摩耶子さん11

1967年、ニッポン放送公開録音にて、高松宮殿下と(写真提供:室井摩耶子)

室井摩耶子さん12

室井さんのファンだったという高松宮殿下は、
音楽会には足しげく通っていたという(写真提供:室井摩耶子)

 

☆「私は肉食人種長寿族」

「お肉は、よく食べます。フィレ肉がいいの。エネルギーの持ちが違う。

昔は、フィレ肉って、なんでこんなに高いのかしらと思っていたけれど、
与えられるエネルギーが全然違うんだから、
しょうがないのかなと思うようになりました。

朝食も、トーストにハムかソーセージといった肉けのものを一緒に、というメニューを、
ドイツに住んでいた頃から60年以上続けています。

今でも、肉を食べて、胃もたれするということはありません。
内臓がうまく働いてくれていると思うので、祖先に大いに感謝しないと」

「私は肉食人種長寿族だから」と冗談めかして笑い、
食事の基本は「好きなものを好きなときに、好きなだけ食べる」ことだという。

ピアノに生涯を捧げ、現在も一人暮らしをしているが、
ホームヘルパーに来てもらう週2日以外は、
身の回りのことは、すべて自分でこなしている。

ストレスを意識しないことも、健康で長生きできる秘訣のようだ。

「“好きなこと、やりたいことをやる”というのが、
ストレスをためずに、健康でいられる秘訣。

いくつになっても、ああベートーヴェンは、こんなこと語っている、
すごいなーなんて感じるのは、ありがたいことですよね。

好きなことをしているからきっと、
“あの人はわがまま放題”って言われているかもしれません(笑)。

それと楽しく生きるコツを強いて言えば、
人様の考えが自分と合わないときには、
自分とは違うその人の考え方と割り切って、サッと流す。

くよくよもしない。
何があっても、『もういいよ。次に行こう』と切り替えることです」


☆「神様、もうちょっと向こう向いてて」

室井摩耶子さん13

室井さんは、今でも1日4時間の練習を欠かさず、深夜に及ぶこともあるという

決して偉ぶって、語ろうとはしない。
人の悪口は、絶対に言わず、ポジティブな言葉しか使わない。

そんな室井さんの生き方のスタンスそのものが、
豊かに生きるということなのかもしれない。

生涯現役のピアニストとして、ここからさらに目指すこととは。

「4月7日に開催したコンサートの映像をテレビで観た方が、
ベートーヴェンの月光の最初の一小節を聴いただけで、
(感動で)鳥肌が立ったとおっしゃってくださいました。

その言葉を聞いて、もう天にも昇らんばかりにうれしかったんです。
聴いた方に喜んでいただけることこそ、私にとっても最高の喜び。

演奏によって、物語が紡がれていくと、
聴いている人の気持ちも、また豊かに膨らみを増すものです。

音楽はやはり、演奏者と聴衆が一体となって作っていくもの。
聴いている人が、演奏家に心を委ねて、一緒になって楽しんで感動してくれたら、
演奏家としてその幸福に勝るものはありません。

まだまだ現役でいたい。
だから高齢と言われる年齢に達してからは、
『神様、私ね、まだまだやらなきゃならないことがあるから、
もうちょっと向こう向いててね』
って、ずっと思っているんですよ」

確かな技術を伴いながら円熟味を増し続ける演奏と、しなやかで柔和で芯の強さを感じる人柄。
現役のピアニストとしてはもちろんのこと、室井さんには、人としても惹きつけられる魅力があった。

小川美佳(おがわ・みか)
千葉県出身。文化、医療、健康、グルメ、街ネタ等幅広く取材する雑食系ライター。
医師やアーティスト、アイドル、学芸員、飲食店店主、高校生等、インタビューした数は1,000名以上におよぶ。
どのジャンルにおいても、正確な情報を分かりやすく伝えることをモットーとしている。

デイリー新潮取材班編集・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



記事を読みながら、「室井摩耶子さん」は大正の時代より長年の人生航路を、
私は初めて学びながら、人生に対して、前向きな思考で過ごされ、
音楽に対する深い思い・・
圧倒されながら、多々学んだりした。

こうした中で、特に《・・ただ楽譜通りに上手に弾くのではなく、
曲に何が描かれているか、何を伝えたいかを読み解いて、演奏することが大切なのです・・

「この弾き方の方が、綺麗かもしれない、作曲家はこう語りたかったんじゃないか、
と考え出したら、それを突き詰めるように、ずっと弾いてしまうんです。

音の種類や深さが、自分の生き方からにじみ出てくるので、
これまで演奏した曲でも、自分が変化すれば、表現も変わってきます」・・》

そして《・・聴いた方に喜んでいただけることこそ、私にとっても最高の喜び。

演奏によって、物語が紡がれていくと、
聴いている人の気持ちも、また豊かに膨らみを増すものです。

音楽はやはり、演奏者と聴衆が一体となって作っていくもの。
聴いている人が、演奏家に心を委ねて、一緒になって楽しんで感動してくれたら、
演奏家としてその幸福に勝るものはありません。・・》

こうした思考を学びながら、恐れ入りました・・、敬意を重ねたりしている。

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