先程、ヤフージャパンより配信されたニュースを見ている中、
『 周りはみんな死んでいったが・・・
“100歳超え”のお年寄りに聞いた「リアルな生活」』、
と題された見出しを見たりした。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごしている。
こうした中で、私は年金生活を丸17年過ごしてきた中、
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、過ごしてきた。
そして私は何よりも認知症、心筋梗塞など恐れ、
殆ど毎日のように自宅の周辺3キロ範囲にある遊歩道、公園、住宅街を歩き、
ときおり認知症だけは勘弁してねぇ・・と秘かに祈願しながら歩く時もある。

こうした中で、70歳の頃から体力の衰えを実感し、
過ぎし日に、厚生労働省の公表によると、2016(平成28)年時点で、
日本人の健康寿命は、男性が72.14歳、女性が74.79歳と推計され、
平均寿命と健康寿命の差は、男性約9年、女性約12年と報じられている。
もとより「健康寿命」は、日常的に介護を必要としないで、
自立した生活ができる期間であり、
私は今年の9月で、満77歳となり、何んとか男性の健康寿命には、
何とか乗り越えている、と思ったりする時もある。
しかしながら私の友人、知人の7人は、すでにあの世に旅立っているし、
或いは私より8歳ご年配の知人は、心身溌剌とされている御方もいて、
あくまで健康寿命も男性の平均であるよなぁ・・と思ったりしている。
このような深情を秘めている私は、
今回の《・・“100歳超え”のお年寄りに聞いた「リアルな生活」・・》って、
どのような日常生活をお過ごししているのですか、
と思いながら記事を精読してしまった・・。
この記事は、『週刊現代』2021年10月2・9日号に掲載された記事で、
関連の【 現代ビジネス 】に於いて、11月3日に配信され、
無断であるが、記事を転載させて頂く。

ただ自然のなすがままに任せていたら、いつの間にか長生きしてしまったんです」
今年5月で111歳を迎えた、日本人男性の最高齢者である上田幹藏さんは、ゆっくりと語った。
現在は、奈良県内の介護老人保健施設に入所し、
孫やひ孫とのオンライン面会を励みに、毎日を過ごしている。
幹藏さんのような100歳を超える高齢者は、全国に約8万6000人いる。
昨年と比べて8%近く増えており、51年連続で過去最多人数を更新するという。
そのうちの9割を女性が占めているが、
男性の総数も今年初めて1万人を超えた(9月15日時点、厚生労働省の調査による)。
医療の進歩などで、ご長寿が増えることは喜ばしいことであり、
実際に長生きしたい人も多いに違いない。
だが、その人たちは、毎日を幸せに過ごせているだろうか。
喜びも悲しみも幾歳月。人生が長ければ、幸福を感じる機会も増える。
だが反対に、他の人が経験しない、
つらい出来事にも向き合わなければならないことがあるかもしれない。
そこで、100歳まで生きる人たちに、
どんなことを思いながら、日々生活しているかを、ストレートに聞いた。
ご長寿の方々が明かしてくれた率直な気持ちは、この先の人生を考えるうえでのヒントになるはずだ。

☆ご長寿の方々が明かしてくれた率直な気持ち
「川柳や囲碁など、自分の好きなことができている。よかった」
そう答えるのは、神宮寺敬さん(101歳、山梨県在住)である。
敬さんは、県内全域の電柱に掲出する広告を企画・製作する会社を
1953年に起ち上げ、経営してきた。
「今でも自分のつくった会社に通い続けていますよ。
片手が不自由になった妻に代わって料理もつくっていますし、
犬と猫2匹の世話もしています。
娘や息子たちの支援がなければ、このような生活は難しいですから、
家族に恵まれたこともよかったんだ、と感謝しています」(敬さん)
その会社の後を継いだ長男の元さんが、言葉を続ける。
「これまで大病を患ったことがなく、医者から低血圧を指摘されても、
『そのほうが、省エネ運転だ。だから長生きできている』と父は言う。
『医食同源』が、健康の秘訣だと、
米、味噌、野菜を自分でつくって、食べる生活を続けています。
車の運転も、ずっとしてきましたが、誰かを傷つけてからでは遅いので、
昨年、100歳のときに説得して、何とかやめてもらいました。
元気すぎて、心配するくらいです」

☆もどかしい。けれど
一方、幸せかと言えば、「そうでもない」と言うのは、
アダム・スミス研究の世界的権威で、
名古屋大学名誉教授の水田 洋さん(102歳、愛知県在住)だ。
学問の深奥を見極めたい。
しかし、それをする体力が、もうないのが悔しいと言う。
「自分自身は、何も変わっていないつもりですし、深めたい研究もありますが、
いざやろうとすると、手がついてこない。
学会誌を読んでいても、すべての研究をフォローできていないのが
学者としてもどかしいんです。
ただ、100歳を超えたから、仕方がないなどとは諦めきれません。
大げさなことを言ってはいけませんが、私にとって生きるとは、研究をすること。
最後までそうやって、生涯をまっとうしたいのです」
100歳を超えた人たちは、水田さんのように、
日々打ち込める何かを持っているのか。
―毎日どうやって過ごしていますか?
東京五輪の聖火ランナーを務めて話題を呼んだ箱石シツイさん(104歳)に聞いた。
すると、今も現役で、理容師の仕事を続けているという。
1934年、理容師試験に18歳で合格して以来、
仕事一筋で毎日を過ごし、栃木県内で理容室を営んでいる。
本人は、声がかすれてきたと話すが、それを感じさせない明朗な口調だ。
「予約が入ったときは、今でも調髪していますよ。
子供の頃から来てくれた常連さんと、ずっと繋がっていることが楽しいですね。
90年近く理容師をやってきましたが、最近、ちょっとだけ手が震えることがあって、
お客さんの髭を剃るときなどは、決して傷をつけてはならないと緊張します。
若くないので、そろそろ辞め時かなとも考えます。
ただ、常連さんを無下に断るわけにもいきませんから、なるべく続けたい気持ちもあって、
揺れ動いています。
アメリカでは108歳まで理容師だった方が、ギネスに登録されていますが、
私は109歳まで、ハサミを持つという夢もあるんです」
100歳まで生きることで、聖火ランナーという思わぬ大役を担うことができた。
好きな仕事を続ける生きがいもある。
それでも、1世紀という時の流れは、残酷だ。
シツイさんと同じ時代を生きた人が、皆長生きできたわけではない。
―孤独をどう感じていますか?
実際、シツイさんにもつい最近、悲しみに暮れる出来事があった。
「聖火ランナーを務めた当日に応援しに来てくれて、親子のように仲良くしていた姪が、
その翌日に突然、脳出血で亡くなってしまったんです。
87歳でした。
孤独感から、ひどくがっかりしてしまい、しばらくは外も歩けず、
寝て起きるだけを繰り返す生活になりました」
長年連れ添った伴侶はもちろん、わが子にまで先立たれる。
そうした寂しさも、味わわなくてはならない。・・ 》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
私は1944(昭和19年)の9月に農家の三男坊として生を受けて、
今年は数え年77歳となり、9月の誕生日を迎えて満77歳となり、
お祝いの言葉で表現すれば、『喜寿(きじゅ)、』の年となる。
これまでと同じように散策したりすれば、何とか「健康寿命」で迎えられるかしら、

過ぎし2010年8月下旬の頃に、私は医学博士で病院長の帯津良一さんに、紙上でめぐり逢えた。
新聞の出版広告で偶然に読み、この雑誌が女性月刊誌の『婦人公論』と知り、
私は恥ずかしながら買い求めて、精読したりした。
《・・(略)・・
人生は生老病死・・・つまり死も含めて、丸ごと自分の人生なのだから、
「死に時」も「死に方」も自分らしくありたいという考えが基本です。
「いたずらに死を恐れるあまり、不要に長生きしても意味がない」と考えるようになったのは、
このホリスティック医学の考え方に共鳴し、
その理念に基づいて自らの病院を設立した40半ば以降です。
・・(略)・・
年齢に関していえば、80歳くらいまで生きれば、十分ではないですか。
もちろん、肉体面でも精神面でも、人それぞれ個人差がありますから、一概には言えません。
しかし、自力で自由に動けるのは、せいぜい80代まででしょう。
90代になると、何かしら衰え、欠けてくる。
いくら頭がしっかりとしている人でも、足腰が立たなくなったり、その逆のケースも起こります。
ましてや100歳なんて、どんな人でもポンコツになっているはずですよ(笑)。
おめでたいと言うけれど、100歳以上は、やはり「生き過ぎ」だと私は思います。
これとこれができなくなったら、自分はそろそろ「死に時」かもしれない。
その線引きは、人それぞれですし、それがわかれば、
「生きているうちに、これだけはやり遂げておこう」という人生のテーマも見えてくる。
つまり、自分にとってベストな「死に時」を考えことは、
今、生きているこの時間を、最大限に充実させて生きていくことにもつながるのである。(略)・・》
このようなことを私は深く学び、今後の確かな晩年期の導きの御人にめぐり逢えた、と深く感じて、
これ以降、帯津良一さんの言動、ご著書も購読したりして、信愛を重ねている。
そして私は、いつの日にか大病か介護・要になってしまった時、
自身で食べ物を口に運べなくなった時は、
この世にお別れする時だ、と深く思ったりする時もある。

このような思いを秘めてきた私は、
数え年88歳(満87歳)の『米寿(べいじゅ)』には、
あと10年かょ・・と漠然と思い馳せたりした・・。
こうした中で、日常生活を自立した言動で迎える健康寿命には、
余りにも高望みと思ったりした。
益々体力の衰えも実感して、生かされても要支援で過ごせれば、
幸いだよなぁ・・と微苦笑したりしている。
しかしながらこればかりは、自身の自助努力も大切であるが、
神様か仏様が采配される世界だよなぁ・・と微苦笑したりしている。
尚、今回、学んだ『 周りはみんな死んでいったが・・・“100歳超え”のお年寄りに聞いた「リアルな生活」』、
続編として、『 死にたくても死ねない・・・長寿大国の日本で「100歳まで生きた人」が抱える胸の内 』、
掲載されていたが、近日に私なりの思いをこのサイトで公表する。