夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

山村美智さんの36年半連れ添った亡き夫との日々を綴るエッセイ、77歳の男性の私は、真摯に学び・・。

2021-11-02 15:13:17 | 喜寿の頃からの思い
山村美智氏が新作について語る

山村美智氏が新作について語る

【著者インタビュー】山村美智氏/『7秒間のハグ』/幻冬舎/1430円


「私も闘病記の類を読むのは苦手だし、書こうとも思わなかった。
この本は『こんな夫婦もいるんだな』という面白い読み物として、
楽しんで下されば嬉しいです」


元祖ひょうきんアナとして知られ、現在は女優としても活躍する山村美智氏。
昨年12月、彼女は元フジテレビの名物プロデューサー、宅間秋史氏を1年半に亘る闘病の末に亡くし(享年65)、
その心身の空白を綴ったのが本書、『7秒間のハグ』だ。

表題は、夫婦が日課とした、ごくごく軽めの抱擁のこと。

「食道癌が見つかったのが2019年7月。
元々ハグは毎日していましたが、7秒すると絆が深まるらしいよって、
夫がどこかから聞いてきて。

体調の悪い時や喧嘩の最中でも、いーち、にーいってふざけた感じでいいの。
歯磨きなんかと同じで、ただの決め事だから。
でもその7秒を毎日やることで、本当につらい時も深く向き合えるようになるんです」

驚くことに第1稿完成は、夫の死からわずか半年後。

「最初は『書いた方がいい。少しは哀しみから抜け出せる』って人に勧められても、
『絶対無理』って逃げ回っていたんです。

でも毎日泣いてばかりもいられないし、彼がどんなにチャーミングな人だったか、
仕事の面も含めて知ってほしいという使命感から、
『書いてもいいかも』って、ふと思った。

ただ、いざ書き始めると、本当につらくて、
痛くて、涙を洪水のようにボタボタ流すことにもなった。
でも結果的に書いてよかったです。



彼は編成局のプロデューサーだったから、一般にはあまり知られていなかったし、
退院後に作りたい映画の企画が5本もあって、
全然諦めていなかった姿を書くこともできたので」

ドラマ『29歳のクリスマス』や映画『ウォーターボーイズ』等を手がけ、
ミスター・フジテレビとも呼ばれた秋史氏。

その横顔を、山村氏は〈モダン会〉なる気の合う局内の仲間同士で行った、
大磯の海から書き起こす。

顔ぶれは2人の他、現フジテレビ副会長の遠藤龍之介氏、
『東京ラブストーリー』や『ロングバケーション』を後に演出する永山耕三氏、
そして寺尾のぞみ氏の5人。

部署もバラバラな彼らは、青春を取り戻すかのように、夜の海ではしゃぎ、
その中の2人が結婚に至るのも、よくある話ではある。

「5人だからよかったんでしょうね。
どこか俯瞰的な感じがあって、1対1の時より人のことが多角的に見える。
その中で、あっ、この人、いい人だなって。

そうやって結婚前の話や局アナ時代の裏話、
あとは秋史の浮気が発覚した時の修羅場も交えつつ、幅広い層が読める本にしたかった。

それこそ浮気の証拠を見つけた時は、『これはドラマ?』って思いました(笑)。
昔、『徹底的に愛は・・・』というドラマで、外務官僚の夫に浮気された妻を演じたんです。

その時、大きな窓に鬼の形相で、花瓶か何かを投げつける場面があったんですね。
『さすがに激し過ぎたかな?』って後で離婚経験者の友人に聞いたら、
『全~然。現実の修羅場はあんなもんじゃないわよ』って(笑)。

まあうちは窓こそ割れなかったものの、
夫が独立したり病気になったり、ドラマ以上にドラマチックな36年半ではありました」


多忙ですれ違いも多かった夫婦は2003年、夫の転勤でNYへ。

父を早くに亡くし、母1人子1人で育った山村氏には、
母の呪縛から逃れるために、結婚した部分もあったが、
秋史氏は、そんな母に対する愛も憎も、丸ごと受け止めてくれた。


「私は3人以上の家族経験がなく、母といた時も結婚直後も、
ずっと1人で淋しかったんです。
それが何事も、2人単位のNYで夫婦の時間を持てて、やっと家族になれた気がした。

例えば再び1人になった私のことを心配して下さる方は、有難いことに大勢いる。
でも家族じゃないんですね。

こうやって取材を受けたり、女優のお仕事をしている時もそう。
私は元気なフリをしていて、本当の気持ちが、時々わからなくなるんです。
受け止めてくれる家族がいないから。

とりあえず今は97歳になった母や、ワンコがいるから
意地でも生きなくちゃって思ってますけど、いつかフリがフリじゃなくなる日がくるのかなあ・・・」


☆最後の最後まで奇蹟を信じた

夫婦は〈二心二体〉だと主張する夫に、一理あると思いつつも抗う妻の関係は、
最長110日にも及ぶ入院生活を通じて徐々に変化。

中でも北向きの窓から注ぐ日差し、
〈ノースライト〉に包まれた2人だけの時間は、コロナ禍で面会が制限される中、
たとえささやかでもあってよかったと思うほど、穏やかで、かけがえがない。


「祈祷も含めて、やれることは全部やりました。
『気が済むまでって何?』って言いたくなるくらい、
私たちは最後の最後まで、奇蹟を本気で信じた。
それしか、救われる術がなかったんですね。

そんな中、最後の病室が北向きで、微かな日光しか拝めない毎日でしたけど、
夫の隣で寛ぎ、体温を直に感じられたのは、本当に幸運でした。

確かに一心同体の危うさもわかる。
でも夫婦が運命共同体にならざるを得ない局面は必ずあって、
相手のダメな部分や綻びをむしろ愛おしく感じ、
長所より欠点で結ばれた存在が、家族なんじゃないかな?」

〈大切な人と別れることが、人間の宿命だから〉
という友人で脚本家の大石静氏の言葉を、彼女は最後に引く。

「それだけ大切な人との時間は、1分1秒も軽んじてはいけない。
いっそのこと夫婦や家族のナナハグ運動でも始めましょうか!(笑)」

おそらくその孤独も傷も、2人だけが分かち得た固有のものだからこそ、
人々を広く繋ぐ普遍たり得るのだ。

【プロフィール】
山村美智(やまむら・みち)/1956年三重県生まれ。
津田塾大学学芸学部英文学科在学中に東京キッドブラザースの東由多加代表にスカウトされ入団。
卒業後はフジテレビに入社し、「オレたちひょうきん族」等で活躍。

1984年に宅間秋史氏と結婚し、翌年退社。
以来女優業等で幅広く活動し、2002年に自ら脚本・主演・演出を務めた2人芝居「私とわたしとあなたと私」を発表。
NY滞在中の2007年には、同作の英語版をオフ・ブロードウェイで上演した。166cm、B型。

構成/橋本紀子 撮影/朝岡吾郎 ・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。 
 
 

今回、私は無念ながら、山村美智さん、そしての元フジテレビの名物プロデューサーの宅間秋史さん、
いずれも作品を鑑賞したことはないが、
宅間秋史さんの晩秋期の入院生活の中で、看病される山村美智さん、
いずれも情愛につつまれた情景・・多々教示されたりした。

果たして私たち夫婦が、どちらかがこの世と別れる時期・・、
どのような深情になるか・・と思い馳せたりした・・。

こればかりは、その時の置かれた状況に、
残された方が愛惜を秘めながら対処するのかしら、
と思い重ねたりしている・・。
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