私は東京の調布市に住む年金生活の77歳の身であるが、
昨日の朝、11月3日の『文化の日』の頃より、朱紅色、紅色、黄色、茶色などに
染められた錦繍(きんしゅう)に彩(いろど)った11月に、
愛惜を重ねながら別れを告げたりした・・。
そして今年も確かな秋が受容できました、と感謝しながらカレンダーを破いたりした。
新たな『師走(しわす)』の12月に、こんにち~は、と心の中で呟(つぶや)いたのであるが、
月日の流れは余りにも早く過ぎ去った、というのが年金生活を過ごしている実感である。
そして笑っても泣いても、あと一カ月で新たな新年を迎えるのか、微苦笑したりした。
12月は、古来より『師走』とか『年満月』と称されているが、
幼年期の頃に農家の児として育てられた田舎者の私は、
何かの本で中世の頃は、『為果(しは)月』とも命名されているのを学んだりしてきた。
たとえ身体は衰えてきたが、少なくとも気力と感性だけは12歳ぐらい若い、と秘かに私は思っているので、
今年最後の12月ぐらいは、せめて何とか目標をたてて成果ある月に、しなければならない、
自身にすまない、と思ったりしているだけで、安楽に享受していることが多い・・。
このような心情を重ねている私は、ヤフー・ジャパンより配信されたニュースを見ている中、
『 「お坊さんが走るほど忙しい」は俗説 12月の呼称 』、
と題された見出しを見たりした。
私は齢ばかり重ね、何かと無知なことが多く、
どのようなことなの・・と思いながら記事を読んだりした。
この記事は、【 ウェザーニュース 】より12月1日に配信され、
無断であるが記事を転載させて頂く。
《・・いよいよ12月、1年の最後の月に入りました。
12月を「師走(しわす)」と呼ぶことは、広く知られていますが、
それ以外にも多くの異称があることをご存知でしょうか。
『二十四節季と七十二候の季節手帖』などの著書がある作家の山下景子さんに、
師走の由来とその他の12月の異称について伺いました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/ba/e0cb4f948d766bb6f7cd734bdf5ac506.jpg)
☆なぜ「師走」と呼ぶのか?
「旧暦の時代に使われていた各月の和名を、和風月名(わふうげつめい)といいます。
12月の代表的な和風月名は師走で、
普段落ち着いている僧侶でさえ、走り回るくらい忙しい月、という語源説がよく語られます。
しかし、これは俗説だとされています。
“しわす”という言葉は、仏教が伝来した頃には、すでに使われていて、
十有二月、十二月、季冬などと書いて、“しわす”と読ませていました」(山下さん)
では、なぜ1年の最後の月を師走と書くようになったのでしょうか。
山下さんによると、「歳果(としは)つ」や「為果(しは)つ」が変化したというのが
有力な語源説だそうです。
つまり、「としはつ」、「しはつ」と呼び慣わされていた言葉が、
「しはす」から「しわす」に変化し、師走という当て字で、書かれるようになったことになります。
歳が果てる、万事を為し果たす・・・まさに、1年の締めくくりの月にふさわしい名称です。
☆その他の12月の呼び名は?
師走以外にも、旧暦の時代は、12月の異称がたくさん使われていたそうです。
その中から代表的な呼び方を山下さんに解説していただきました。
◎「極月」(ごくげつ、ごくつき、きょくげつ、きわまりづき、きわまるつき)
読み方は「ごくげつ」と読むのが一般的ですが、このようにさまざまな読まれ方がされてきた異称です。
「極」(ごく)という漢字にも、「極(きわ)まる」という言葉にも、終わるという意味があります。
どの読み方であっても、1年の最後の月という実感がこもっています。
◎「限りの月」(かぎりのつき)
「の」を略して「限り月」という言い方もあります。
「限る」はもともと、時間などに境目(さかいめ)をつけるという意味です。
つまり、節目の月ということになります。
今年もこの月限り・・・と、1年の終わりを惜しむ心情にあふれた呼び名です。
◎「除月」(じょげつ)
「除」という漢字には、払い除(のぞ)くという意味があります。
従って「除月」は、旧年を払い除く月という意味です。
同じ意味で、大晦日(おおみそか)を「除日(じょじつ)」、
その夜を「除夜(じょや)」といいます。
古い年をリセットして、まっさらな気持ちで新年を迎えたいという思いは、
今も昔も同じですね。
よくないことがあった年は、特に12月を「除月」と呼びたい気持ちになるかもしれません。
◎「年積月」(としつみづき、としつもづき)
年が終わるのではなく、積み重なるという考えから生まれた12月の異称です。
旧暦の時代は誕生日ではなく、正月になるとみんなが1歳年をとりました。
月日だけでなく、年齢も積み重なることから、この呼び名ができたのでしょう。
同じような意味で、12月には「年世積月(としよつむつき)という異称もあります。
こちらの方が、やさしい響きになりますね。
◎「春待月」(はるまちづき)
旧暦の時代の元日は、立春(2月4日頃)の前後でした。
そのため新年は、春の始まりでもあったのです。
その春を待つ月ということで、旧暦12月は「春待月」とも呼ばれました。
現代の12月は、これから冬本番に向かう時季です。
そのため「春待月」と呼ぶには、ちょっと早すぎる気がします。
しかし、新年を待つ心の華やぎは、春を待つ気持ちと似ていないこともありません。
◎「年満月」(としみつづき)
12月には「年満月」という異称もあります。
1年を大きさが決められた時の器と考えると、そこにさまざまな経験や思い出が満ちていくのです。
いいことも悪いこともあふれるように詰まった1年・・・。
最後の月が満ち足りた思いで、締めくくれるといいですね。
このほかにも、12月の異称はたくさんあるそうです。
みなさんの気持ちに、ぴったりくる異称はあったでしょうか。
月の呼び方ひとつで、過ごし方が変わってくるかもしれません。・・ 》
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/12/226324d0df5c88860485452a48e37169.jpg)
今回、12月の多彩な異称を何かと無知な私は初めて学び、
知らなかったょ・・と心の中で呟(つぶや)き、やがて微笑んだりした。
もとより多忙の御方は、せんなくことょ・・、と切り捨てられてしまうことであるが、
年金生活のひととき、こうしたこともお勉強だょねぇ、と思い馳せたりしている・・。