夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

初詣、神様そして仏様に、77歳の私は願いを託して・・。

2022-01-02 11:09:36 | 喜寿の頃からの思い
私は年金生活の77歳の身であるが、
私の住む地域は、世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅で、
生家に近く、私としては結婚前後5年間を除き、
この地域に72年ばかり住んでいる。

昨日の元旦の日、私は初詣をしょう、
と近くにある神社、寺院を訪ねることを思い立ったした・・。

私は高校時代から都心の学校に通った頃から、初詣に関しては、
きまぐれに原宿駅に近い『明治神宮』、鎌倉の『鶴岡八幡宮』、
或いは我が家から3キロばかり歩いた『深大寺』などに、参拝したりしてきた。

やがてサラリーマンを定年退職してから、多々の理由で年金生活を始め、
人出の多い中が苦手となり、込み合う季節は避けて、参拝したりしてきた。


何かしらここ数カ月は、コロナ新変異株の影響で、
従来通り、苦手なマスクをして、三密(密集、密接、密閉)を避け、
やがて終息するまで、無念ながら自粛の延長戦と思いながら、
私たち夫婦は年末年始も、たったふたりだけで過ごそうと話し合ったりしてきた。



このような深情を秘めてきた私は、地元の神社、寺院だったら、人出も少なく、
ゆったりした心で参拝できると思い秘めていた・・。

                        
こうした心情を秘めてながら、独りで暖かな冬の暖かな陽差しの中、
人影も少ない静寂の中を歩いたし、私は霞嶺(かすみね)神社に寄ったりした。

私は農家の三男坊として育てられ、幼少期から馴染みのある神社でもあり、

故郷の里のような処でもある。

しかしながら境内に着くと、ご近所にお住いと思われるご家族の人が、
30名前後の参拝の御方が見え、
こんなに多くの御方が初めてであったので、微苦笑をしたりした。

まもなく私は、わずかながらお賽銭をした後、祈願した・・。



祈願したことを発露すれば、家内は過ぎし2019年の4月、

家内が体調を崩して内科を検診した後、
まもなく膵臓(すいぞう)に異変があることが推定された。

やがて私の住む地域の大きな総合医療センターで、 3回ばかり通院して、
専門医師のアドバイスされる中、初期の膵臓(すいぞう)がんです、と診断されたりした。

そして4月17日より2泊3日で、家内は検査入院した後、
5月12日より摘出する手術で入院をして、この後の経過状況、
やがて回復状況も医師より順調と診断され、19泊20日間を得て退院となり、
我が家に生還してきた。 

                   
もとより、この間は、最悪の場合を想定することもあったりして、
私たち夫婦は激しく揺れ動いたりした・・。


この後、家内の退院後の定期検査のたびに、転移されていないか、
私たち夫婦は、心の底におびえ、何とか今日まで、

幸運にも神様か仏様に支えられて過ごしたりしている・・。

こうした深情もあり、これからも転移しませんように・・。

そして私は、おまけとして・・あと3年で80歳まで健康寿命で生かしてくれ・・・
このようなことを願いを神様に託したりした。
                         

やがて私は、隣接した明照院(みょうしょういん)寺院に寄ったりした。

         

この霞嶺神社、明照院は、1985年(昭和60)年に調布市の市制30周年を記念の中、
調布市内の自然、史跡などの中から市民に選ばれ、『調布八景』のひとつとなっている。

そして先程と同じようなことを祈願したりした・・。

やがて寺院を辞したりしたが、初詣に際して、
神様そして仏様に、77歳の私は願いを託してしまったが、
果たして・・と思いながら歩きだしたりした。

この後、私は雑木林が残る道を歩いたりした・・。






私は初冬の時節、昼下りのひととき、風もなく暖かな陽だまりの中、
遊歩道の外れにコナラ、クヌギなどが群生している冬木立の情景を眺めたり、
大きな欅(ケヤキ)の樹が陽射しを受けながら、
悠然(ゆうぜん)と、青い空に向うように、たわわな枝を伸ばしている情景も、
この時節は私の好きな光景でもある。




やがて我が家の近くに流れ野川の遊歩道に出て、
まばゆい冬の陽射しの中を歩いたりした・・。





まもなく一時間ばかり歩き、やがて自宅に向かったりした。
コメント (2)
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