『心のアンチエイジング~米寿になって思うこと』と題された連載寄稿文のひとつで、
無断であるが、記事を転載させて頂く。
《・・数学者でノーベル賞受賞者でもあるバートランド・ラッセルには、
色々な著作がありますが、中でも「幸福論」は一般の方にも人気がある本の一つで、
内容は全て「心のアンチエイジング」に通じるものがあります。
そして、ラッセルが「幸せをもたらすもの」の一つとして、
まず挙げている言葉が「熱意」です。
ですが、よく読むと、むしろ「熱中」と言ったほうが良いかもしれません。
周りのことはすっかり忘れ、ある一つのことに夢中になった状態ですね。

☆子供の頃はだれでも経験した夢中になる感覚
これは子供の頃は、どなたでも経験した心境ではないでしょうか。
例えば男の子の多くが、一度は夢中になる昆虫採集。
僕の場合は天文学でした。星座表を手にして、夜空を眺める。
そしてプラネタリウムに日参する。
四六時中そのことばかり考えて、他のことは頭に入らない。
小学生ならそれが許されました。
しかし、小学生の頭ではあるところまで行くと、学力がついていかない。
そして、興味の対象は移っていきます。
中学に入ってからは、化学の実験でした。
家のガレージの2階を実験室にして、当時手に入る試薬類をかたっぱしから入手し、
中学1年のレベルでできる実験を総なめしました。
こうして、ただただ夢中で打ち込めることは、
確かにラッセルの言うように幸せな状態でした。
高校、大学と進むにつれ、現実的になっていきます。
専門を選ぶにあたっても、これで食えるかどうかという、動機が優先します。
僕の場合は、食いっぱぐれがなかろうと 親父 の職業、つまり医師の道を選びました。
こうして確たる目的意識もなく医学部に入ったので、
授業になじめず、これでいいのかと悩んだことを今思い出します。
ですが、医業の良いところは、いったん患者さんを診るようになると、
医師としての自覚が生まれ、仕事に意義を感じるようになることです。
そして、さらに形成外科に魅せられ、65歳の定年まで無事勤め上げることができました。

☆サラリーマンのアンチエイジングは定年退職後が問題
これが普通のサラリーマンですと、
ポストによってそれぞれに仕事の面白さがあると思いますが、
いつも希望通りというわけにはいかないでしょう。
そして、定年が来れば、職場を去らねばなりません。
心のアンチエイジングの立場からの問題は、定年後にあります。
ことに日本の場合、企業人は現役の時は会社が全ての会社人間で、
それを奪われると、ぽっかり穴が開いてしまうのではないでしょうか。
そこで、どう生きがいを見いだすか。
つまり、高齢期のQOLをどう保つかですね。
そこで役に立つのが、一つは趣味の世界です。

☆趣味の世界、仕事の延長、社会活動・・。
子供の頃に夢中になったことの復活もありです。
蒐集 などもいい趣味だと思います。
周りを眺めると、写真なども定年後の趣味としては最高のようです。
今はやりのインスタも悪くはないですが、今少し本格的なフォトに凝って
芸術作品を目指すのもQOLの向上につながるのではないでしょうか。
美は心を豊かにしてくれます。
僕と同世代の友人の何人かはピアノやチェロなどに精を出して幸せそうです。
もちろん、定年前の仕事を生かした働き方もありでしょう。
でも、その場合でも一旦はリセットして、
現役の時の役職にこだわらないことが必要です。
医師の場合は、定年があるようなないような感じです。
臨床医の場合は、たとえ勤務医でも患者対医師の1対1の関係が存在するからです。
そして退官しても、開業することは可能だからです。
仕事や趣味の他にボランティア活動も役に立つでしょう。
ボランティア活動の良いところは、自分の生きがいだけではなく、
世のため、人のためになることです。
最近の災害時のボランティア活動は、目覚ましいものがありますね。
ですが、高齢者にはちょっと厳しいかもしれません。
NPO(特定非営利活動法人)という仕組みは、
ボランティア活動の支援も目的のひとつと聞いています。
既存のNPOで自分に合った活動に参加するとか、新たにNPOを立ち上げるとか。
僕が定年後に始めたアンチエイジングネットワークもNPOです。
そう、新しい分野を開拓すること、それ自体が良きアンチエイジングではないでしょうか。
「人生百年時代」。
お上に頼るのではなく、我々で切り開いていこうではありませんか。・・ 》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
私は年金生活の当初から、我が家の平素の買物は、 私は自主的に買物専任者として宣言し、
家内から依頼された品を求めて、 独りで殆ど毎日、スーパー、専門店など歩いて行き、
買物メール老ボーイとなっている。
この後は、やはり独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。
例外として、家内のボディガード、お供そして荷物持ちで、3週間に一度ぐらい駅前で買物、
或いは年に3回ぐらい都心の新宿にある伊勢丹、小田急、京王などのデパートに買物、
そして庭の手入れ、国内旅行、懇親会、冠婚葬祭などで小用がない限り、過ごしてきた。
このような午前中の過ごし方を、一昨年の新コロナウィルスの烈風のまでは、
定例事項のように過ごしてきた・・。
私の午後の大半は、随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
こうした中、ブログの投稿文を綴ったり、数多くの御方の投稿文を読ませて頂き、
多々シニア世代の日常生活を学び、人生の確かな教科書と学んだりしている。
私は恥ずかしながら青年時代に、映画、そして文学青年の真似事をして敗退し、
やがて音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤めた為か、
書物やビデオ・テープ、DVDなどの映画作品、
或いはレコード、カセット、CD、DVDなどの音楽作品は、程々に所有している。
こうした中で、2年前にビデオ・テープ、レコード、カセットは、
やむなく処分したりしてきた。
こうした中、その日に観たい映画は、居間にある映画棚が引き抜いて、
少し大きなテレビ画面を通して、鑑賞している。
そして私なりのつたない鑑賞歴でも、魅了された作品は、何回でも観るタイプである。
例えば邦画の場合は、『二十四の瞳』、『東京物語』、『浮雲』、『雨月物語』等である。
洋画に関しては、『街の灯』、『市民ケーン』、『第三の男』、『逢びき』、『ライムライト』、
『ジョニーは戦場に行った』等は、10年ごとに観たりしている。
或いは最初の一ヶ月に於いて、少なくとも10回以上熱中して観る映画もある。
邦画の『七人の侍』、『用心棒』、『駅~STATION~』、
洋画の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』、『ディア・ハンター』、
『ゴットファーザ Ⅱ』などが鮮明に記憶に残っている。
このように若き時代の一時には、映画館に通ったりして、程ほどに映画作品を鑑賞してきたので、
1966(昭和41)年頃までに上映された作品は知っているつもりであるが、
その後は数多くのサラリーマンと同様に多忙な時代を過ごしたので、余り鑑賞する機会がなくなった。
定年後は年金生活をして、2000年(平成12年)の頃までに制作された作品が圧倒的に多いので、
古き良き時代の映画の愛好者のひとりかしら、と微苦笑する時もある。
そして私は、その時に観たい映画作品は、何故かしら、やはり季節に応じて観てしまう。
冬の季節の時などは、『アラビアのロレンス』、『プラトーン』、
『イングリッシュ・ペイシェント』等の砂漠、荒野、ジャングルの背景が多くなる。
そして夏の時節は、『ドクトル・ジバコ』、『カサブランカ』、『かくも長き不在』等の
寒冷地、静寂な戦争を背景にした選定が多くなったりしている。
不思議なことであるが、猛暑の夏の時、『アラビアのロレンス』の砂漠、
『戦場にかける橋』の熱帯林の背景は、やはり暑くて落ち着かないのである。
かといって、居間を寒いぐらいに冷房を冷やして、
鑑賞するのは映画の内容からして、おかしな事と思ったりしている。
このようにして私は鑑賞しているが、1950年代、1960年代の公開された作品が圧倒的に多く、
ときおり私は、どうしてかしらと微苦笑したりしている。
あと3年過ぎれば、生かされていれば満80歳となるが、
何とか健康寿命で迎えたい、秘かに念願している・・。
もとより私の自助努力は大切であるが、
私の友人、知人の多くが、この世を去った今、