私は東京の調布市に住む年金生活の77歳の身であるが、
今朝、ぼんやりとカレンダーを見ると、『大寒』と明示されていた。
やがて天気情報を見ると、朝の6時は、マイナス2度、昼下がりは7度前後、
夜の6時は5度前後・・冬晴れのおだやかな一日となります、
と報じられていた・・。
今朝は、何かと鈍感な私でも、今年一番の寒い朝と感じたので、
やはり『大寒』だよねぇ・・と心の中で呟(つぶや)き、微苦笑したりした・・。

☆ 過ぎし4年前、小雪が降った ☆
こうした時、私は何故かしら『冬景色』の歌を心の中で唄ったり、
人影のいない遊歩道の中で、かぼそい声で『冬景色』を唄ったりしているのが、
定年後の年金生活の中で多くなっている。
http://www.youtube.com/watch?v=r3sZKBnr6t4
【『冬景色』 作詞・作曲 不詳 文部省唱歌、唄・芹 洋子、合唱・東京放送合唱団 1984/1 放送 】
私の幼年期、私の住む地域でもこの当時は、
田畑が広がり雑木林もある緑豊かな農家の児として育ち、私は心のふるさとの限りない情景として、
齢を重ねるたびに愛惜が深め、このような深情を秘めているひとりである。

この歌は、1913年(大正2年)に刊行された『尋常小学唱歌 第五学年用』が初出と知られているが、
作詞はどなたが創られた不明であるので、この創られた御方に心を寄せたりし、
ときおりこの歌を聴いたりすると、どなたが歌っても、私は涙ぐんでしまう時が多い・・。
遠い幼年期を想いださせるのか、
或いは失ってしまった純粋な心を甦(よみがえ)させようとする
もうひとりの自分に哀歓を寄せているのかは解らない。
何より、この作詞の日本語は、はかなく美しい。

今朝、ぼんやりとカレンダーを見ると、『大寒』と明示されていた。
やがて天気情報を見ると、朝の6時は、マイナス2度、昼下がりは7度前後、
夜の6時は5度前後・・冬晴れのおだやかな一日となります、
と報じられていた・・。
今朝は、何かと鈍感な私でも、今年一番の寒い朝と感じたので、
やはり『大寒』だよねぇ・・と心の中で呟(つぶや)き、微苦笑したりした・・。

この時節は、過ぎしの5日に『小寒(しょうかん)』を迎え、寒さの始まりの『寒の入り』と伝えられ、
この頃から寒さは厳しくなり、そして本日の20日には『大寒(だいかん)』を迎えて、
一年で最も寒い時期と古来から伝えられている。
そして『小寒』から『大寒』までの15日間、
その後の『大寒』から2月4日の『立春(りっしゅん)』までの15日間の合計30日間を『寒の内』と
古人から長らく伝えられてきている。
もとより『小寒』、『大寒』そして『立春』の『寒の内』は、
旧暦であるので、今の暦に於いては2月中旬頃から始まると思われるが、
私の住む地域でも、寒い時節となる。
こうした中、私は自宅の周辺を散策して、冬晴れの中、落葉樹の冬木立に見惚れたり、
ときにはこの地域でも小雪舞い降る時もある。
この頃から寒さは厳しくなり、そして本日の20日には『大寒(だいかん)』を迎えて、
一年で最も寒い時期と古来から伝えられている。
そして『小寒』から『大寒』までの15日間、
その後の『大寒』から2月4日の『立春(りっしゅん)』までの15日間の合計30日間を『寒の内』と
古人から長らく伝えられてきている。
もとより『小寒』、『大寒』そして『立春』の『寒の内』は、
旧暦であるので、今の暦に於いては2月中旬頃から始まると思われるが、
私の住む地域でも、寒い時節となる。
こうした中、私は自宅の周辺を散策して、冬晴れの中、落葉樹の冬木立に見惚れたり、
ときにはこの地域でも小雪舞い降る時もある。

☆ 過ぎし4年前、小雪が降った ☆
こうした時、私は何故かしら『冬景色』の歌を心の中で唄ったり、
人影のいない遊歩道の中で、かぼそい声で『冬景色』を唄ったりしているのが、
定年後の年金生活の中で多くなっている。
http://www.youtube.com/watch?v=r3sZKBnr6t4
【『冬景色』 作詞・作曲 不詳 文部省唱歌、唄・芹 洋子、合唱・東京放送合唱団 1984/1 放送 】
私の幼年期、私の住む地域でもこの当時は、
田畑が広がり雑木林もある緑豊かな農家の児として育ち、私は心のふるさとの限りない情景として、
齢を重ねるたびに愛惜が深め、このような深情を秘めているひとりである。

この歌は、1913年(大正2年)に刊行された『尋常小学唱歌 第五学年用』が初出と知られているが、
作詞はどなたが創られた不明であるので、この創られた御方に心を寄せたりし、
ときおりこの歌を聴いたりすると、どなたが歌っても、私は涙ぐんでしまう時が多い・・。
遠い幼年期を想いださせるのか、
或いは失ってしまった純粋な心を甦(よみがえ)させようとする
もうひとりの自分に哀歓を寄せているのかは解らない。
何より、この作詞の日本語は、はかなく美しい。
私は詩の世界は、恥ずかしながら理解する素養はないが、
声により唄いつながれて行く言葉の結晶である作詞の世界は、少しは解るつもりである。
声により唄いつながれて行く言葉の結晶である作詞の世界は、少しは解るつもりである。

こうした中、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活を丸17年を過ごしてきた。
そして私は何よりも認知症、心筋梗塞など恐れ、
殆ど毎日のように自宅の周辺3キロ範囲にある遊歩道、公園、住宅街を歩き、
ときおり認知症だけは勘弁してねぇ・・と秘かに祈願しながら歩く時もある。
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活を丸17年を過ごしてきた。
そして私は何よりも認知症、心筋梗塞など恐れ、
殆ど毎日のように自宅の周辺3キロ範囲にある遊歩道、公園、住宅街を歩き、
ときおり認知症だけは勘弁してねぇ・・と秘かに祈願しながら歩く時もある。

私の住む世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みの地域は、
この三寒四温の時節は、冬晴れに恵まれることが多い・・。
こうした中で、容姿は制服のようになった冬の長袖のスポーツシャツの上に、カーデンガン風のフリースを着て、
冬の長ズボン、そして冬の帽子を深くかぶり、ウォーキング・シューズで足元を固め、
そして紳士バックを園児のように斜め掛けにして、颯爽と歩いたりしている。
しかしながら天上の気候の神々が、御機嫌が悪い時は、
北風が吹き、寒さが増すので、やむなく防寒着を着込んで、歩いたりしている・・。
そして体力の衰えた私は、人生は気合いだ、と自身を叱咤激励をしたり、
或いは夏の暑さを思い浮かべて、 足早に歩いているのが実情である。
こうした時、ときおり ♪しあわせは 歩いてこない だから歩いて ゆくんだね・・
何かと単細胞の私は、1968年(昭和43年)の頃に流行(はや)った
【『三百六十五歩のマーチ』の歌を心の中で唄い、歩く時もある。
このように私は、水前寺清子さんが唄った『三百六十五歩のマーチ』の歌に、
ときおり叱咤激励されて、 何とか健康寿命の範囲にいられるので、
作詞された星野哲郎さんに感謝をしながら、
私にとっては『三百六十五歩のマーチ』の歌は、心身のビタミン剤だ、
と思いを深める時もある。
やがて『立春』の2月4日を過ぎ、この後の女の子が全国民から祝杯される
3月3日のひな祭りと称される『桃の節句』を迎えて、
英語に何かと苦手な私でも、『Spring has come (スプリング・ハズ・カム)』、
と心の中で呟(つぶや)いたりしている。