先程、文藝春秋が運営されている多彩なニュースサイトの【文春オンライン】を見ている中で、
『「明日は、楽しみにしてるよ」「体調に、気をつけてね」
“高齢者の文章”や“おじさん構文”には本当に“読点”が多いのか?
読みやすい読点(テン)の打ち方とは? 』、
と題された見出しを見たりした・・。
私は東京の調布市に住んでいる年金生活の77歳の身であるが、
若き20代の前半に於いて、映画青年やがて文学青年の真似事をして、
あえなく敗退した身である。
過ぎし2004年(平成16)年の秋に、民間会社を定年退職した後、
多々の理由で年金生活をしている中、たまたまブログの世界を知り、
これ以来、パソコンの故障、国内旅行、入院をしていない限り、
殆ど毎日投稿を重ねてきた・・。
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)として残したいからであった。
そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。
恥ずかしながら数多くの駄文を綴ってきたが、
ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
こうした中で、60代の投稿文の内容は、やはり幼年期~現役サラリーマン時代の想いでが多く、
或いは年金生活を過ごす実情を脚色もせず、数多くの投稿文を綴ってきたりした。
そして70代になると、自身の体力の衰えを実感した為か、
健康、病気、介護、葬儀、家計などを学んだことに、
私の思いを前後に加味した投稿文に変貌した内容となり、
まるで餡子(あんこ)の入った『お饅頭(まんじゅう)』のような投稿文となり、独り微苦笑する時もある。
こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
投稿文の中では、読点(テン)を多くして、改行も多くして、
3行ぐらいの後には、一行分は空間を開けるようにしている。
或いは10年近く前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
不勉強の為に筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。
しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省する時もある。
このような深情を重ねてきた私は、
今回の《・・“高齢者の文章”や“おじさん構文・・》って、どのようなことなの・・、
そして《・・読みやすい読点(テン)の打ち方・・》学びたく、
記事を読んでしまった。
この記事は、『三省堂国語辞典』編集委員など国語辞典編纂者の飯間浩明さんの寄稿文であり、
【文春オンライン】に於いて、2021年7月6日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。
《・・
☆年配者はよくテンを打つのか
いきなり名前を出して恐縮ですが、作家の坂井希久子さんがツイッターで、
お父さんから来たメールの文面について、
〈読点の打ち方が高齢である〉と評しています(2021年5月24日)。
新型コロナウイルスワクチンの予約がなかなか始まらず、
〈政府の、対応の、悪さには、凄く腹が立ちますね!〉と怒っていたそうです。
ワクチン接種の進行状況については、私なりに思うところはありますが、
この文章の眼目はそこではありません。
読点(テン)の打ち方に世代差があるのか、どう打てば読み手に伝わりやすいのか、
ということを考えてみたいのです。
坂井さんのお父さんの文を見ると、〈政府の、対応の、悪さには、〉
と文節ごとにテンを打った部分があります。
国語の教科書ではこういう打ち方はあまりしません。
では、これは年配者の打ち方かというと、必ずしもそうではなさそうです。
国語辞典を作る私は、利用者からの感想文を読む機会がありますが、
年配の人の文章でも、テンを使わずに長文を続けるものがあります。
「何十年も前に買った辞書をずっと使い続けてきましたが最近は俳句の会にもよく顔を出すようになったので思い切って新版を求めました」(実例に基づく作例)
テンの打ち方は、書き手の個性や、その時の必要などによって変わります。
いら立つ気持ちを強調する効果を狙って、あえて文節ごとにテンを打つ場合もあるでしょう。

☆若者から見れば「句読点オジサン」
年配の人の文章にテンが多い、と若い人たちが感じるとすれば、
それはLINEなどの文章をイメージするからではないでしょうか。
一般に、若い世代は、LINEを含むSNSの文章で句読点をあまり使いません。
「英語のリスニング能力低すぎて先生の言ってること全然わからん もっと勉強しないと授業ついて行けんくなるかも」(作例)
などと、少し長い文でもテン・マルなしですませます。
一方、上の世代では、一般的な文章を書くのと同じ感覚で、
SNSでもテンを使う人がいます。
それで、若者の目からはテンを多用しているように感じられるのでしょう。
テンの多い文は、いわゆる「おじさん構文」の特徴のひとつにも挙げられています。
2017年4月、ツイッターで「オジサンになりきろう講座」というのが投稿され、
おじさんっぽいLINEの文章の特徴が紹介されました。
やがて、これが「おじさん構文」として広まりました(正確には「構文」というより「文体」です)。
その「おじさん構文」のひとつに「句読点オジサン」というのがあります。
〈明日は、楽しみにしてるよ。/体調に、気をつけてね。〉
顔文字や絵文字は使わず、句読点の多い文を書きます。
現実に、こんなふうにテンを乱打するおじさんが何パーセントいるのか、それは知りません。
ただ、ごく控え目にテンを打つ年配者でも、
テンをまったく使わない若者と比較すれば、十分「句読点オジサン」に分類されるでしょう。

☆昔の人は多くテンを打ったか
テンの乱打というと思い浮かぶのは、細菌学者・野口英世の母シカの手紙です。
海外にいる息子・英世に対し、早く帰国してほしいと頼む内容です。
1912年に書かれました。
〈おまイの。しせ〔出世〕にわ。みなたまけました〔驚きました〕。
わたくしもよろこんでをりまする。
なかた〔中田〕のかんのんさまに。さまにねん〔意味不明〕。よこもり〔夜籠もり〕を。いたしました。〔下略〕〉
シカが文字を覚えたのは少女時代で、幕末のことでした。
寺の住職にお手本を書いてもらい、繰り返し練習したといいます。
この手紙は彼女の独学のたまものです。
全文を読むと、文節ごとに「。」(現在のテンおよびマルに相当)を打っている箇所が複数あります。
シカは漢字が書けませんでした。
「。」を多用したのは、仮名が長く続くのを避けようとしたからでしょう。
ただし、昔の人がみな、シカと同じようにテンを多く打っていたわけではありません。
歌人・与謝野晶子は、同じく1912年にヨーロッパに渡った際、こんなはがきを次男に送りました。
〈カアサンハズヰブン〔随分〕クルシカツタデスノオルドー汽車〔北急行〕ハシマヒニ百円カラタカクナツタノデスカラカアサンハフツカホドアサニパントカフヘー〔コーヒー〕ヲノンダダケデナニモタベマセンデシタ。ダカラナホツカレマシタ。〉
これだけ長い文章で、テンは使わず、マルも2か所使っているだけです。
読みにくいからテンを打とうという発想は、この文章にはありません。

☆20世紀になって句読点が定着
筆に墨をつけて続け書きをするのが普通だった昔、
文章を書きながら句読点を打つことは一般的ではありませんでした。
句読点に類するものは、漢文訓読などのために古代から使われていましたが、
日常生活で文章を書くときは、テンもマルもなく続けていました。
たとえば、「枕草子」の冒頭。
〈春はあけほのやう\/しろく成行山きはすこしあかりてむらさきたちたる雲のほそくたなひきたる夏はよる月の比はさら也やみも猶ほたるの多く飛ちかひたる〔下略〕〉
古典の教科書では句読点と濁点を打って読みやすくしていますが、原文はこんな感じでした。
現代の人々がLINEでテンを打たないのは、古典の方式に立ち返ったのだと考えることもできます。
句読点の定着までにはいろいろ試行錯誤がありましたが、
現在のように広く定着したのは、実に20世紀に入ってからです。
学校教育で句読点を教えるようになり、
人々は自分で文章を書くときにもテンとマルを使うようになりました。
初期の教科書を見ると、今よりも若干テンが多い印象を受けます。
それが、何年も経たないうちにこなれてきたというか、現在とさほど変わらない感じになりました。
したがって、昔の教育を受けたからテンが多い文章を書くとか、
今の教育を受けたからテンが少ないとか、そういうことはなさそうです。

☆本多勝一さんの「2大原則」
日本語の文章で句読点を打つ習慣は定着しましたが、
理想的なテンの打ち方については、学校教育が始まって100年以上経っても、
いまだに共通理解がありません。
多くの人は、なんとなく一息入れたいところでテンを打つ、
というのが実情でしょう。
1906年に「句読法案」、
戦後の1946年に「くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)」というのが出ています。
でも、これはテンを打つルールをずらずら多く箇条書きにしたものです。
一般の人々がこれを覚えて使うには、高いハードルがあります。
そんな中、ジャーナリストの本多勝一さんが提唱したテンの打ち方は画期的でした。
本多さんは〈長い修飾語が二つ以上あるときその境界にテンをうつ〉
〈語順が逆になったときにテンを打つ〉という2大原則を立てました。
詳細は『〈新版〉日本語の作文技術』
『〈新版〉実戦・日本語の作文技術』(ともに朝日文庫)にまとめられています。
この原則に従えば、必要なテンは打てるという趣旨のことを、本多さんは述べています。
この原則は記憶しやすく、私も影響を受けました。
ただ、私自身は、これとはちょっと違う原理に基づいてテンを打っているような気もします。

☆私の「テンの打ち2か条」
私なりのテンの打ち方を、本多さんにならって2か条にまとめると、こんな感じでしょうか。
第1条・「出来事」と「出来事」の間に打つ。
テンとは何のために打つのか、根本のところを考えてみると、
要するに、話が次に進んでいる(論理が展開している)ことを表すために打つのです。
話というものは、複数の出来事がつながってできています。
その出来事と出来事の切れ目にテンを打てばいいのです。
たとえば、冒頭に紹介した長い文――
「何十年も前に買った辞書をずっと使い続けてきましたが最近は俳句の会にもよく顔を出すようになったので思い切って新版を求めました」
この文には3つの出来事が記されています。すなわち、
(1)辞書をずっと使い続けてきたこと。
(2)最近は俳句の会に顔を出すようになったこと。
(3)思い切って新版を買い求めたこと。
この3つの出来事が明瞭に区別されるようにテンを打つと、以下のようになります。
「何十年も前に買った辞書をずっと使い続けてきましたが【、】
最近は俳句の会にもよく顔を出すようになったので【、】
思い切って新版を求めました」
このように、出来事と出来事を分けることができれば、
テンの役割の大部分は果たされていると考えます。
第2条・割り込んだ部分の直前に打つ。
もうひとつは、誤読を避けるための原則です。
たとえば、「次男はヨーロッパに行った母からはがきをもらった」という文があるとします。
「次男はヨーロッパに行った……」まで読むと、一瞬「次男が行ったのかな?」と思います。
その直後に誤解は解けますが、読者にとってはストレスです。
この文で骨格となるのは、「次男は母からはがきをもらった」の部分です。
そこに「ヨーロッパに行った」という句が割り込んでいるのです。
そこで、その割り込んだ部分の直前にテンを打ちます。
「次男は【、】
ヨーロッパに行った母からはがきをもらった」
これで、次男がヨーロッパに行ったと受け取る読者は減るはずです。

☆よりよく伝わる文章にするためのテン
このほか、実際に文章を書いていると、個人的なルールは次第に増えていきます。
たとえば、「ただし」「したがって」のような接続詞の後にもテンを打ったほうが、
論理展開が分かりやすくなります。
あるいは、「ここではきものを脱いでください」のように仮名が続く場合、
誤読を防ぐために「ここで、」とテンを打つこともあります。
細かいことを追求すれば、条文が増えていくのがルールの常です。
ただ、私自身が「テンを打つべきか、打つべきでないか」と迷うのは、
上に述べた2つの場合がほとんどです。
よりよく伝わる文章にしたいと思うとき、
この「テンの打ち方2か条」は、われながら重宝しています。・・ 》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

《・・“高齢者の文章”や“おじさん構文”・・》、
お若い方のLINEを含むSNSの文章の句読点の実態、
或いは古来よりの文体まで、多彩に学び、教示されたりした。
こうした中で、私は日頃は、随筆、近現代史などの読書、
或いはブログ上で、私は特に数多くの50代以上の皆様の投稿文を読ませて頂いている。

こうした中、いつも感じられることは、日記として綴られている場合は、
その人なりの思いをその御方ご自身の言葉で、淡々と綴られているのに、
圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしてきた。
そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが圧倒的に多く、
お住まいの地域、これまで綴られた人生航路の軌跡に思い馳せながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深めたりしている。
こうして読ませて頂きながら、つたない私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりして、
確かな人生の底知れぬ哀歓を学びながら、年金生活を過ごしたりしている。
しかしながら、長々と読点(テン)もせずに、書物の 論文のような文体で綴られ御方もいるが、
途中で私は読みくたびれ、私は断念する時もある。
せっかく公開して下さっている投稿文・・残念だなぁ・・と微苦笑する時もある。