私は年金生活18年生の77歳の身であるが、
先程、ときおり愛読している【介護ポストセブン】の『暮らし』を見てる中で、
『 年を重ねて“失う人”と“身につける人”の違い
「マンネリ化した生活を変えるのがカギ」』、
と見出しを見たりした。
私は東京の調布市に住む年金生活の77歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた戸建て住んでいる。
そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
こうした中、私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
『働らなくても、何とか生活ができるので助かるわ・・』、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりする。
『そうだよねぇ・・』
私は苦笑しながら応じたりしている。
私は民間会社に35年ばかり勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
この当時は大企業も盛んにリストラが実施されていた・・。
私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もなく、
何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに5年間ばかり奮闘して、
体力も気力も使い果たしてしまい、やむなく年金生活を始めた・・。
そして定年前のサラリーマン時代の私は、数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた。
そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩すのは天敵と確信し、
平素の買物専任者を自主宣言したりした。
或いは昼食だけは、お互いに制約することなく、自由な時間で、
お互いに殆ど我が家で、きままに食べたりしている。
そして午後から夜の大半は、私は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、 或いは音楽も聴いたりしている。
こうした中で、家内は料理、掃除、洗濯などを従来通りしてくれるので、
せめて家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、
日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。
こうした中、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、
午前中のひととき、自宅の周辺にある公園、遊歩道、住宅街の歩道を歩いたりして、
四季折々のうつろう情景を享受している。
そして無念ながら忘れることもあり、ときおりデジカメで撮ったりして、
記憶のかたみとしている。
こうした中で、私たち夫婦の共通趣味のひとつの国内旅行を幾たびに重ねてきた・・。
こうした年金生活をしてきたが、今回の《・・年を重ねて“失う人”と“身につける人”の違い・・》、
学びたく、記事を読んでしまった・・。
この記事は、『女性セブン』の2022年1月1日号に掲載された記事で、
関連の【介護ポストセブン】の『暮らし』に於いて、1月12日に配信され、
無断であるが、記事を殆ど転載させて頂く。
《・・「えっ、この人、私と同い年なの!?」
テレビを見ていて、同世代の出演者の若々しさに、驚いたことはないだろうか。
テレビの中に限らず、新しい趣味を見つけて、いつも楽しそうにしている友人や、
それほど収入は変わらないはずなのに、老後の暮らしに余裕を感じる同世代のご近所さんなど、
「一体、あの人と私は、何が違うのだろう」と不思議に思うことがある。
ここで、「どうせ私なんて」と落ち込んでしまう人は、危険信号。
年を重ねてから「失う人」と「身につける人」の間には、
境界線が存在し、ネガティブな思考は悪循環を生み出してしまう。
自分がどちら側の人間なのかを知り、「失わない人」になるにはどうすればいいのか。
達人たちが、“身につける極意”を伝授する。
☆老後「刺激のない生活」を望むと、感情が老化する
2021年8月に81歳の誕生日を迎えたデヴィ夫人は、
自身のブログに<我、八十一にして 今だ 果敢に挑戦す>(原文ママ)と抱負を掲げた。
その宣言どおり、2021年はテレビでデヴィ夫人を見ない日はないほどの大活躍だった。
デヴィ夫人のように、年齢を重ねても、貪欲に新たな挑戦を求める人もいるが、
大多数の人々は、年を重ねるとともに「落ち着きたい」、「いまの暮らしを維持したい」など、
「刺激のない生活」を望む傾向にあるのではないか。
ブレインフィットネス研究所ディレクターで脳科学者の杉浦理砂さんは、
「後者には『感情の老化』が見られる」と指摘する。
「人間は年齢を重ねると、意欲や創造性をつかさどる脳の部位『前頭前野』の機能が低下します。
すると、映画や小説などに、昔よりも感動しなくなったり、
悩み事を抱えやすくなったり、やる気が起きず、
何に対しても興味が湧かないといった『感情の老化』が生じます。
感情の老化は、容姿や体力など目に見える変化と違って、
本人も周囲も実感しにくいため、見逃されることが多い。
しかし、実は感情の老化が先に起こり、それに伴う意欲の低下が全身の老化を早めるのです」
視力や筋力の衰えは、健康診断などで数値として、自覚することができるが、
内面の衰えは、病院では発見できない。
若いときと比べ、新たな挑戦を億劫だと感じるならば、それは感情の老化が進んでいるサインだ。
☆「もっと知りたい」という好奇心を持つ
だが、安心してほしい。
「感情の老化は、改善できる」と杉浦さんが続ける。
「鍵となるのが『好奇心』です。
なんでもいいから、まずは自分が興味や関心を持てることを見つけましょう。
『もっと知りたい』という好奇心を持つことによって、
脳の前頭前野が刺激され、『心のアンチエイジング』が進みます。
実際に、好奇心がある人とない人では、見た目や脳年齢が異なることが
研究や調査により示されている。
好奇心が旺盛な人ほど、認知機能の低下が抑えられ、
好奇心を失った人は、集中力や記憶力の低下が進みます。
マンネリ化した刺激のない生活は、最も感情の老化を促進させる。
それゆえ、高齢者こそマンネリ化した生活を変える努力が必要なのです」
■「好奇心」を刺激する ちょっとした行動変化
【1】最新曲を聴いてみる
脳の側頭葉にある「聴覚野」という部分が刺激され、認知機能の向上につながる可能性がある。
【2】散歩のルートを変えてみる
四季折々の植物や、いつもとは違う風景を眺めて「楽しい」と感じるとドーパミンが分泌される。
【3】新しい商品、レストランを試してみる
新しいものを食べて「おいしい」と感じるなど、成功体験の蓄積がモチベーションにつながる。
☆教えてくれた人
杉浦理砂さん/ブレインフィットネス研究所ディレクターで脳科学者 ・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
遅ればせながら77歳の私は学び、多々教示させられたりした後、
独り微笑みを重ねたりした・・。
恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、年金生活の2004年の秋の当初からでも、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。
そして私は、新コロナウィルスの烈風の以前は、
遊歩道、公園などを散策していると、見知らぬ男性、
女性グループの御方たちと、話しかけられたり、或いは話しかけたりして、談笑し、
殆ど毎日過ごしてきた。
こうしたある日、私は遊歩道で、落葉樹が紅葉、黄葉に染められた情景を眺めていた時、
女性グループのおふたりから、話しかけられたりした。
こうした中で、私は、『74歳の身ですが・・体力の衰えを実感しています・・』
と微苦笑しながら、私は言ったりした。
『あらぁ・・うちの主人は71歳ですが、貴方はお若いわ・・』
とひとりの御方から社交辞令のお世辞を頂いたりした。
或いは、新コロナウィルスの烈風の前の10年は、
OB懇親会と処して、年に一度の集会に私は出席している。
こうした時、上司だった御方たち、或いは同世代の数多くの人と盛んに談笑したりしている中、
数人から、XXさんは感性もお若いですょ、と私は社交辞令のお世辞を頂くこともある。
或いは女性グループの中で談笑している中、たまたま音楽の話題となり、
私が勤めていたレコード会社とは、他社の『いきものがかり』を定年後に偶然に聴き、
何かと吉岡聖恵(よしおか・きよえ)ちゃんの歌声に、励まされていますょ、
特に『YELL(エール)』は、高齢者の私でも心身のビタミン剤ですょ、と私は言ったりした。
こうしたささやかな体験も、さることながら、
殆どの私と同世代の御方、そして60代の御方は、
実年齢より10歳ぐらいは、お若いと感じたりしてきた。
私の根底には、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
こうした中で、過ぎし私が65歳の高齢者入門になった時、
遅ればせながら、ドイツ出身のアメリカの詩人のサミュエル・ウルマンさんより、
ひとつの詩を学び、これ以来ひそかに人生の後半戦の格言としている。
青春とは、人生のある時期ではなく、心の持ち方を言う
岡田義夫さんの訳詩
このように私なりに年金生活を享受している。