私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
昨夜、ネットを見ていて、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に於いて、
中段に《 見方を工夫 => 読書楽しもう 》と見出しされた項目を見つけて、読書好きな私は、
どのようなことなの、と思いながらクリックした・・。
http://www.yomiuri.co.jp/otona/news/20111104-OYT8T00516.htm?from=yoltop
☆【YOMIURI ONLINE】<==【新おとな総研】<==『見方を工夫、読書楽しもう』☆
私は読みながら、《・・加齢などによって視力が衰え、本から遠ざかってしまったというシニアは多い。
最近注目されている電子書籍端末などの機器を適切に活用すれば、読書を楽しむ助けになるという。
緑内障を患う京都市在住の男性(88歳)も、読書に困難を感じていた。
同市の吉田眼科医院院長の吉田雅子さんは男性の視野を診察した上で、
「残っている上半分の視野をうまく使ってみましょう。
目線を心持ち下げ、見やすい部分を使うように意識すれば、読みやすくなります」と話しかけた。
男性は、大きな活字で印刷された本を買い、眼鏡とルーペを併用して読んでいたが、目の疲れに悩んでいた。
そこで吉田さんは本のページに押し当てて使う棒状のルーペを紹介。
「これなら、行を間違えることもなくなります」とアドバイス。
早速試してみた男性は、「以前より楽に読めるようになった」と喜んでいた。
「まず、自分の見え方を理解すること。
見えやすいポイントを探した上で、視力低下を補う機器を使えば、
再び読書を楽しめるようになる人も多い」と吉田さんは話す。
「読書を通して新しい情報に触れることは、生きがいにつながる。
『高齢だから』と簡単にあきらめず、自分に適した機器などを工夫して使い、読書を楽しみ続けてほしい」
と山田さんは話している。
・・》
このような箇所を特に深く精読した後、
この世にサヨナラするまで、読書と親しめる、と微笑んだりした・・。
私は民間会社を35年近く勤め2004〈平成16〉年の秋に定年退職を迎え、
年金生活を始めて8年生になる身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のように最寄りのスーパー、専門店に行ったりし、ときおり駅前で買物をした時は本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
このように定年後からの生活を過ごしてきたが、
遅ればせながら高校生の時に、読書の底知れない魔力に取りつかれて、
年金生活の今でも本屋、ときには古本屋に行き、読みたい本を探し求めて購読し、
早や50数年過ぎている・・。
私は近眼であり少し老眼となっているので平素はメガネをかけて、
居間でソファに座り本を読んだりしているが、
大半はメガネを外して簡易ベット、和室の畳に横たわったり、
寒さを感じる時は布団にもぐり読んだりすることが多い。
何よりも困窮するのは、旅行先で持参した数冊の本を読み終えてしまった時である。
過ぎし2008〈平成20〉年の2月に、私たち夫婦は独り住まいの家内の母を誘い、
箱根・姥子温泉の観光ホテルに7泊8日で滞在した時である。
日中は家内たちの婦人の名所の観たい所と違い、
私は姥子温泉の付近の芦ノ湖周辺を散策したりし、夕方から深夜まで読書をしたりしていたが、
周辺には本屋がなく、コンビニは雑誌しかなく困惑したのである。
私は活字中毒のひとりなので、薬が切れた、と家内にこぼしたりしていた。
そして帰路の箱根湯本の本屋で寄り、佐野眞一・著の『阿片王 満州の夜と霧』(新潮社)を買い求め、
活字文化に飢(う)えた私の心を充たしたりした。
このような私なので、この世にオサラバするまでは、本を読んでいたと思っているが、
目の衰え、病気などで本が読めなくなるのが、最悪なのである。
読書を何よりの友とされた経団連の会長まで栄達された平岩外四(ひらいわ・がいし)氏は、
お亡くなるまで、本を読まれていた、
と風の噂で聞いたりすると、思わず好感させられてしまうのである。
私は本が購入できなくなった時は図書館に通い続けると思い、
読書は貧富の差にかかわらず、この世の知力の求愛と確信しているので、活字に親しむ方に親近感を覚える。
今回のニュースを知り、私は確かな朗報と思いながら微笑んだりしている。
そして作家・水上勉(みなかみ・つとむ)さんは、晩年の時にバソコンの画面を拡大して、
綴られたり、読んだりしていた、ことを雑誌の『サライ』などで私は拝読していたことを思い重ねている。
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中段に《 見方を工夫 => 読書楽しもう 》と見出しされた項目を見つけて、読書好きな私は、
どのようなことなの、と思いながらクリックした・・。
http://www.yomiuri.co.jp/otona/news/20111104-OYT8T00516.htm?from=yoltop
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私は読みながら、《・・加齢などによって視力が衰え、本から遠ざかってしまったというシニアは多い。
最近注目されている電子書籍端末などの機器を適切に活用すれば、読書を楽しむ助けになるという。
緑内障を患う京都市在住の男性(88歳)も、読書に困難を感じていた。
同市の吉田眼科医院院長の吉田雅子さんは男性の視野を診察した上で、
「残っている上半分の視野をうまく使ってみましょう。
目線を心持ち下げ、見やすい部分を使うように意識すれば、読みやすくなります」と話しかけた。
男性は、大きな活字で印刷された本を買い、眼鏡とルーペを併用して読んでいたが、目の疲れに悩んでいた。
そこで吉田さんは本のページに押し当てて使う棒状のルーペを紹介。
「これなら、行を間違えることもなくなります」とアドバイス。
早速試してみた男性は、「以前より楽に読めるようになった」と喜んでいた。
「まず、自分の見え方を理解すること。
見えやすいポイントを探した上で、視力低下を補う機器を使えば、
再び読書を楽しめるようになる人も多い」と吉田さんは話す。
「読書を通して新しい情報に触れることは、生きがいにつながる。
『高齢だから』と簡単にあきらめず、自分に適した機器などを工夫して使い、読書を楽しみ続けてほしい」
と山田さんは話している。
・・》
このような箇所を特に深く精読した後、
この世にサヨナラするまで、読書と親しめる、と微笑んだりした・・。
私は民間会社を35年近く勤め2004〈平成16〉年の秋に定年退職を迎え、
年金生活を始めて8年生になる身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のように最寄りのスーパー、専門店に行ったりし、ときおり駅前で買物をした時は本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
このように定年後からの生活を過ごしてきたが、
遅ればせながら高校生の時に、読書の底知れない魔力に取りつかれて、
年金生活の今でも本屋、ときには古本屋に行き、読みたい本を探し求めて購読し、
早や50数年過ぎている・・。
私は近眼であり少し老眼となっているので平素はメガネをかけて、
居間でソファに座り本を読んだりしているが、
大半はメガネを外して簡易ベット、和室の畳に横たわったり、
寒さを感じる時は布団にもぐり読んだりすることが多い。
何よりも困窮するのは、旅行先で持参した数冊の本を読み終えてしまった時である。
過ぎし2008〈平成20〉年の2月に、私たち夫婦は独り住まいの家内の母を誘い、
箱根・姥子温泉の観光ホテルに7泊8日で滞在した時である。
日中は家内たちの婦人の名所の観たい所と違い、
私は姥子温泉の付近の芦ノ湖周辺を散策したりし、夕方から深夜まで読書をしたりしていたが、
周辺には本屋がなく、コンビニは雑誌しかなく困惑したのである。
私は活字中毒のひとりなので、薬が切れた、と家内にこぼしたりしていた。
そして帰路の箱根湯本の本屋で寄り、佐野眞一・著の『阿片王 満州の夜と霧』(新潮社)を買い求め、
活字文化に飢(う)えた私の心を充たしたりした。
このような私なので、この世にオサラバするまでは、本を読んでいたと思っているが、
目の衰え、病気などで本が読めなくなるのが、最悪なのである。
読書を何よりの友とされた経団連の会長まで栄達された平岩外四(ひらいわ・がいし)氏は、
お亡くなるまで、本を読まれていた、
と風の噂で聞いたりすると、思わず好感させられてしまうのである。
私は本が購入できなくなった時は図書館に通い続けると思い、
読書は貧富の差にかかわらず、この世の知力の求愛と確信しているので、活字に親しむ方に親近感を覚える。
今回のニュースを知り、私は確かな朗報と思いながら微笑んだりしている。
そして作家・水上勉(みなかみ・つとむ)さんは、晩年の時にバソコンの画面を拡大して、
綴られたり、読んだりしていた、ことを雑誌の『サライ』などで私は拝読していたことを思い重ねている。
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