私は東京の調布市に住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
そして私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
こうした中で、私たち夫婦の共通趣味のひとつは国内旅行であり、
結婚以来、国内の各地をときおり旅路を重ねてきた・・。
やがて2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、多々の理由で年金生活を始め、
旅行の日程から解放されて、5泊6日前後の旅路が多くなったりした。
そして季節としては、5月の大型連休が終わった後、
或いは舞い降る雪が恋しく冬の時節に旅行をすることが、多かったりしてきた。
私たちの旅路、定年後まもなく私は自動車の免許書の更新を断念した私は、
もとより旅先でもレンタカーも利用できなく、
最寄駅の近くにある旅行代理店に私たち特有のプランを依頼して、JR、航空機、フェリーなど、
そして宿泊先を選定したりしてきた。
或いは通販のクラブツーリズムの滞在型で、魅了されたプランに参加して、
幾たびか活用したりしてきた。
いずれにしてもリゾートホテル、観光ホテル、観光旅館などに滞在して、
街中、周辺を歩き廻ったり、郊外の山里の小道を歩いたりして、遊学をしたりしてきた。
こうした中、秋の旅路も、少しばかりしてきた・・。
2011年10月16日から3泊4日で、初めて八ヶ岳の山里にある大泉高原を訪れた。
八ヶ岳の高原にあるリゾートホテル『八ヶ岳ロイヤルホテル』に三連泊するクラブツーリズムのプランがあり、
星空が観やすく、数多くの落葉樹が朱色、黄色などに染め始める錦繍(きんしゅう)の情景が展開する光景を託して、
周辺を歩き廻ったり、山里の散策路を歩いたりした。
2011年11月13日から3泊4日で、秋田県の田沢湖の高原温泉を訪れた。
田沢湖の湖畔より北上した山麓に『プラザホテル山麓』に3連泊するクラブツーリズムのプランがあり、
乳頭温泉郷に近く、何かと気になっていた乳頭温泉郷めぐりもあったりした。
この年の3月の初旬に私たち夫婦は5月中旬頃に、乳頭温泉郷の各地の温泉めぐりと散策を8泊9日間の予定をしていたが、
3月11日の東日本大震災で東北の各地が甚大な被災となり、やむなく中止したので、
敗者復活戦のような変貌したプランとなった。
そして私たちは湯めぐりしたり、付近の山里の路を歩いたりして、最終の夕べには初雪にめぐり逢えたりした。
2012年10月22日からは、北海道の洞爺湖に晩秋の時節に初めて訪れた。
洞爺湖の湖畔の近くにある観光ホテル『湖畔亭』に9連泊するクラブツーリズムのプランがあり、
私たちは周辺を歩き廻ったりして、この間、花火が連日打ち上げられて、
私たちは指定された部屋のベランダから鑑賞したり、やがて三日後には私は部屋に敷かれた布団に横たわりながら、鑑賞した。
2014年10月14日からは、八幡平の周辺に点在する温泉地を訪れたりした。
私はこの年の9月下旬に古希(こき)と称される満70歳となり、家内は12月下旬に高齢者入門の65歳となり、
お互いに介護保険を有する夫婦となったりした。
そして何かしら記念品をお互いに思案したりしたが、
結果的には、私たち夫婦の共通趣味の国内旅行をしょうと、7月下旬に決意した。
やがて幾つかの旅行プランを思案したりしたが、
やはり源泉かけ流しの温泉宿に宿泊するのが、私たちの身も心もやすらぐことができると、
いつの日にか訪れ、宿泊したい地域を選定した。
そして岩手県と秋田県の県境にある八幡平の周辺には、
藤七(とうしち)温泉、後生掛(ごしょがけ)温泉、ふけの湯温泉、玉川温泉など多彩にあり、
旅行代理店に手配を依頼した。
結果として『藤七温泉』に三連泊し、『ふけの湯温泉』に一泊、そして『後生掛温泉』二泊となり、
こうした地域の幾つかの温泉宿に宿泊して、落葉樹が朱紅色、黄色に染められた錦繍(きんしゅう)の情景を見ながら、
周辺の遊歩道、自然研究路などを散策したりした。
こうした中、八幡平の天空のような遊歩道を歩いたりしたり、圧倒的に魅了されたり、
或いは玉川温泉には宿泊している後生掛温泉より日中、路線バスで往還して訪れたりした。
このようなささやかな秋の旅路を思い馳せたりした。
この後の私たちの旅行は、春夏秋冬を含めても激少している。
昨年の2015年2月9日より、オーホッツク海に面した紋別で流氷を目的に三連泊した後、
そしてサロマ湖の厳冬期を見たく三連泊した後、やがて網走湖畔で一泊するプランを旅行代理店に依頼して、
遊学したりした。
結果的に、紋別は観光ホテルの『セントラルホテル』で、サロマ湖は東岸にある『サロマ湖鶴雅リゾート』に、
網走湖畔で観光ホテルの『網走湖荘』に予定通り宿泊できたりしたが、風雪の怖さを実感させられたりした。
我が家の両親は、無念ながら家内の母だけとなり、
80歳過ぎた頃から膝(ひざ)を悪化して、まもなく杖(つえ)を突く身となって、『要支援2』となってきた。
こうした中、整形外科、内科、眼科に通院している中、膝(ひざ)と腰に激痛が感じ、
昨年の5月より少し遠い大学病院で検査、そして入院、退院後の検査が加わりした後、
リハビリで近くの病院に行ったりしている。
そして家内は付き添う為に、家内の母宅で駐在することが多くなってきた。
やがて家内の妹が強力な援軍となり、家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。
そして本年の5月より、家内の母は市の福祉課が再審査を得て、
『要支援2』から『要介護1』と認定されたりした。
こうした関係で、家内は家内の妹とお互いに日程を調節して、家内が担当した期間には家内の母宅で孤軍奮闘し、
私は我が家で『おひとりさま』の生活をしたり、私たち夫婦の旅行も少し遠ざかったりしている。
やがて家内は家内の母の介護で、疲労が増してきたので、気分転換に、疲労回復も兼ねて
伊豆半島の西海岸にある『堂ヶ島温泉ホテル』に3連泊プランが、クラブツーリズムの雑誌に掲載されていたので、
私たちは利用して、周辺を遊学したりした。
まもなく、私たち夫婦はお墓に関しては樹木葬と決めてきたが、肝要の墓地を決定する為、
伊豆七島にある大島に昨年5月19日に訪れて、三原山の中腹にある『大島温泉ホテル』に一泊だけして、
墓地の仮契約したり、三原山に登山したりした。
このように私たち夫婦の旅路は、激少してきた。
やがて私は、秋になったら旅行に行こうょ、と家内と話し合ったりして、
能登半島の和倉温泉に少しゆっくりと滞在しょうと、昨年7月中旬に旅行代理店に手配を依頼した。
そして私たち夫婦は昨年10月上旬に旅立つ予定であったが、家内の母の容体の影響で、
結果としては昨年11月7日より4泊5日で、宿泊先は、七尾湾に面して名高い観光ホテルが集結している処より、
少し離れた静寂な観光ホテルを選定した結果、『多田屋』に連泊し、周辺を遊学してきた。
そして昨年の12月初旬、駅前の旅行代理店で、ひとつのパンフレットを頂き、私たち夫婦は冬の旅路は北海道が多かったが、
久々(ひさびさ)に日本列島の南海にある沖縄本島に、滞在旅行をしょうかしら、と思案したりした。
このパンフレットは、JTBが企画された『沖縄本島・石垣島』の長期滞在型で、
《暮らすようにおトクに滞在》と称して、各リゾートホテルが掲載されていた・・。
私たち夫婦は2回ばかり沖縄本島を訪れてきたが、
那覇市内からバスで40分ぐらい北上した波打ち際に近いリゾートホテルであり、
何かしら県内最高層の23階建ての『ザ・ビーチタワー沖縄』であり、すぐ目の前がサンセットビーチ、
客室から眺望が良い、と明記されていた。
そして隣接地には華やかそうな『アメリカン・ビレッジ(村)』、そしてスーパーの『イオン』もあり、
何かと利便性に優れた地域であり、サンセットビーチとして名高い北谷(ちゃたん)町にあるリゾートホテルに
1月12日より9泊10日で、宿泊代として高齢者に優しい98,100円で滞在旅行をした。
そして私は波打ち際を散策したり、朝夕の海上のうつろう情景、この間に読書をしたりして、
家内は日頃の家内の母の介護、そして年末年始に孤軍奮闘した疲れを癒す為、
私たち夫婦はゆったりと過ごし、周辺を遊学してきた。
今年、8月下旬に秋の旅路は、どうしょうかしらと私たち夫婦は思案していた中、
作並温泉の観光ホテルで3連泊するクラブツーリズムのプランがあったりした。
過ぎし私が現役サラリーマン時代の1996年(平成8年)の8月初旬の夏季休暇の旅行として、
私たち夫婦は、JR東日本の旅行ビューのパンフレットを見たりしていた中で、
仙台市の郊外にある作並温泉は未知であったので、この当時『一の坊』に3泊4日で滞在し、
周辺を遊学したりした。
そして、今回の秋の旅路として、21年ぶりに作並温泉の観光ホテルに滞在して、
周辺を散策する予定であるが、秋雨前線の影響で、雨降る時も予測され、果たして・・と思ったりしている。
尚、私の作並温泉のささやかな想いで、予約セットし公開しますので、お読み頂き、ご笑話を願えれば幸いです。
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