夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

秋の旅路、私たち夫婦のささやかな旅行は、仙台市の郊外にある作並温泉に滞在プランとなり・・。

2017-10-15 06:00:19 | 旅のあれこれ

私は東京の調布市に住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、私たち夫婦の共通趣味のひとつは国内旅行であり、
結婚以来、国内の各地をときおり旅路を重ねてきた・・。

やがて2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、多々の理由で年金生活を始め、
旅行の日程から解放されて、5泊6日前後の旅路が多くなったりした。

そして季節としては、5月の大型連休が終わった後、
或いは舞い降る雪が恋しく冬の時節に旅行をすることが、多かったりしてきた。


私たちの旅路、定年後まもなく私は自動車の免許書の更新を断念した私は、
もとより旅先でもレンタカーも利用できなく、
最寄駅の近くにある旅行代理店に私たち特有のプランを依頼して、JR、航空機、フェリーなど、
そして宿泊先を選定したりしてきた。

或いは通販のクラブツーリズムの滞在型で、魅了されたプランに参加して、
幾たびか活用したりしてきた。

いずれにしてもリゾートホテル、観光ホテル、観光旅館などに滞在して、
街中、周辺を歩き廻ったり、郊外の山里の小道を歩いたりして、遊学をしたりしてきた。
            

こうした中、秋の旅路も、少しばかりしてきた・・。

2011年10月16日から3泊4日で、初めて八ヶ岳の山里にある大泉高原を訪れた。

八ヶ岳の高原にあるリゾートホテル『八ヶ岳ロイヤルホテル』に三連泊するクラブツーリズムのプランがあり、
星空が観やすく、数多くの落葉樹が朱色、黄色などに染め始める錦繍(きんしゅう)の情景が展開する光景を託して、
周辺を歩き廻ったり、山里の散策路を歩いたりした。


2011年11月13日から3泊4日で、秋田県の田沢湖の高原温泉を訪れた。

田沢湖の湖畔より北上した山麓に『プラザホテル山麓』に3連泊するクラブツーリズムのプランがあり、
乳頭温泉郷に近く、何かと気になっていた乳頭温泉郷めぐりもあったりした。

この年の3月の初旬に私たち夫婦は5月中旬頃に、乳頭温泉郷の各地の温泉めぐりと散策を8泊9日間の予定をしていたが、
3月11日の東日本大震災で東北の各地が甚大な被災となり、やむなく中止したので、
敗者復活戦のような変貌したプランとなった。

そして私たちは湯めぐりしたり、付近の山里の路を歩いたりして、最終の夕べには初雪にめぐり逢えたりした。
            

2012年10月22日からは、北海道の洞爺湖に晩秋の時節に初めて訪れた。

洞爺湖の湖畔の近くにある観光ホテル『湖畔亭』に9連泊するクラブツーリズムのプランがあり、
私たちは周辺を歩き廻ったりして、この間、花火が連日打ち上げられて、
私たちは指定された部屋のベランダから鑑賞したり、やがて三日後には私は部屋に敷かれた布団に横たわりながら、鑑賞した。


2014年10月14日からは、八幡平の周辺に点在する温泉地を訪れたりした。

私はこの年の9月下旬に古希(こき)と称される満70歳となり、家内は12月下旬に高齢者入門の65歳となり、
お互いに介護保険を有する夫婦となったりした。

そして何かしら記念品をお互いに思案したりしたが、
結果的には、私たち夫婦の共通趣味の国内旅行をしょうと、7月下旬に決意した。
     
やがて幾つかの旅行プランを思案したりしたが、
やはり源泉かけ流しの温泉宿に宿泊するのが、私たちの身も心もやすらぐことができると、
いつの日にか訪れ、宿泊したい地域を選定した。

そして岩手県と秋田県の県境にある八幡平の周辺には、
藤七(とうしち)温泉、後生掛(ごしょがけ)温泉、ふけの湯温泉、玉川温泉など多彩にあり、
旅行代理店に手配を依頼した。

結果として『藤七温泉』に三連泊し、『ふけの湯温泉』に一泊、そして『後生掛温泉』二泊となり、
こうした地域の幾つかの温泉宿に宿泊して、落葉樹が朱紅色、黄色に染められた錦繍(きんしゅう)の情景を見ながら、
周辺の遊歩道、自然研究路などを散策したりした。

こうした中、八幡平の天空のような遊歩道を歩いたりしたり、圧倒的に魅了されたり、
或いは玉川温泉には宿泊している後生掛温泉より日中、路線バスで往還して訪れたりした。


このようなささやかな秋の旅路を思い馳せたりした。
              

この後の私たちの旅行は、春夏秋冬を含めても激少している。

昨年の2015年2月9日より、オーホッツク海に面した紋別で流氷を目的に三連泊した後、
そしてサロマ湖の厳冬期を見たく三連泊した後、やがて網走湖畔で一泊するプランを旅行代理店に依頼して、
遊学したりした。

結果的に、紋別は観光ホテルの『セントラルホテル』で、サロマ湖は東岸にある『サロマ湖鶴雅リゾート』に、
網走湖畔で観光ホテルの『網走湖荘』に予定通り宿泊できたりしたが、風雪の怖さを実感させられたりした。


我が家の両親は、無念ながら家内の母だけとなり、
80歳過ぎた頃から膝(ひざ)を悪化して、まもなく杖(つえ)を突く身となって、『要支援2』となってきた。

こうした中、整形外科、内科、眼科に通院している中、膝(ひざ)と腰に激痛が感じ、
昨年の5月より少し遠い大学病院で検査、そして入院、退院後の検査が加わりした後、
リハビリで近くの病院に行ったりしている。

そして家内は付き添う為に、家内の母宅で駐在することが多くなってきた。

やがて家内の妹が強力な援軍となり、家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。

そして本年の5月より、家内の母は市の福祉課が再審査を得て、
『要支援2』から『要介護1』と認定されたりした。

こうした関係で、家内は家内の妹とお互いに日程を調節して、家内が担当した期間には家内の母宅で孤軍奮闘し、
私は我が家で『おひとりさま』の生活をしたり、私たち夫婦の旅行も少し遠ざかったりしている。
              

やがて家内は家内の母の介護で、疲労が増してきたので、気分転換に、疲労回復も兼ねて
伊豆半島の西海岸にある『堂ヶ島温泉ホテル』に3連泊プランが、クラブツーリズムの雑誌に掲載されていたので、
私たちは利用して、周辺を遊学したりした。

まもなく、私たち夫婦はお墓に関しては樹木葬と決めてきたが、肝要の墓地を決定する為、
伊豆七島にある大島に昨年5月19日に訪れて、三原山の中腹にある『大島温泉ホテル』に一泊だけして、
墓地の仮契約したり、三原山に登山したりした。

このように私たち夫婦の旅路は、激少してきた。

やがて私は、秋になったら旅行に行こうょ、と家内と話し合ったりして、
能登半島の和倉温泉に少しゆっくりと滞在しょうと、昨年7月中旬に旅行代理店に手配を依頼した。

そして私たち夫婦は昨年10月上旬に旅立つ予定であったが、家内の母の容体の影響で、
結果としては昨年11月7日より4泊5日で、宿泊先は、七尾湾に面して名高い観光ホテルが集結している処より、
少し離れた静寂な観光ホテルを選定した結果、『多田屋』に連泊し、周辺を遊学してきた。

そして昨年の12月初旬、駅前の旅行代理店で、ひとつのパンフレットを頂き、私たち夫婦は冬の旅路は北海道が多かったが、
久々(ひさびさ)に日本列島の南海にある沖縄本島に、滞在旅行をしょうかしら、と思案したりした。

              

このパンフレットは、JTBが企画された『沖縄本島・石垣島』の長期滞在型で、
《暮らすようにおトクに滞在》と称して、各リゾートホテルが掲載されていた・・。

私たち夫婦は2回ばかり沖縄本島を訪れてきたが、
那覇市内からバスで40分ぐらい北上した波打ち際に近いリゾートホテルであり、
何かしら県内最高層の23階建ての『ザ・ビーチタワー沖縄』であり、すぐ目の前がサンセットビーチ、
客室から眺望が良い、と明記されていた。

そして隣接地には華やかそうな『アメリカン・ビレッジ(村)』、そしてスーパーの『イオン』もあり、
何かと利便性に優れた地域であり、サンセットビーチとして名高い北谷(ちゃたん)町にあるリゾートホテルに
1月12日より9泊10日で、宿泊代として高齢者に優しい98,100円で滞在旅行をした。

そして私は波打ち際を散策したり、朝夕の海上のうつろう情景、この間に読書をしたりして、
家内は日頃の家内の母の介護、そして年末年始に孤軍奮闘した疲れを癒す為、
私たち夫婦はゆったりと過ごし、周辺を遊学してきた。
            

今年、8月下旬に秋の旅路は、どうしょうかしらと私たち夫婦は思案していた中、
作並温泉の観光ホテルで3連泊するクラブツーリズムのプランがあったりした。

過ぎし私が現役サラリーマン時代の1996年(平成8年)の8月初旬の夏季休暇の旅行として、
私たち夫婦は、JR東日本の旅行ビューのパンフレットを見たりしていた中で、
仙台市の郊外にある作並温泉は未知であったので、この当時『一の坊』に3泊4日で滞在し、
周辺を遊学したりした。

そして、今回の秋の旅路として、21年ぶりに作並温泉の観光ホテルに滞在して、
周辺を散策する予定であるが、秋雨前線の影響で、雨降る時も予測され、果たして・・と思ったりしている。

尚、私の作並温泉のささやかな想いで、予約セットし公開しますので、お読み頂き、ご笑話を願えれば幸いです。

★この間、コメント欄は閉鎖させて頂きます。

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「低カロリーなら健康食」の誤解、少し肥満体の私は学び、やがて微笑みながら同意して・・。

2017-10-14 14:39:56 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している生活総合情報サイト【All About(オールアバウト)】に於いて、
栄養管理の基礎知識・食事バランスガイド』を見ていたら、

『「低カロリーなら健康食」の誤解』と題された見出しを見た。

私は年金生活をしている73歳になる身であるが、
何かと少し肥満体な私は、気にしていることで、読んでしまった・・。

この記事は、栄養管理・療養食ガイドの一政 晶子さんが、
【All About(オールアバウト)】に寄稿され、2013年3月19日に配信された記事であり、
少し古い記事であるが、食と健康に関しては、時空を越えると思いながら読み、多々教示され、
無断であるが転載させて頂く。

           

《・・健康食というと、低カロリーで、さっぱりしたものがベストと思っていませんか?
肌年齢と同じで、若い頃には特に何もしなくても大丈夫でも、
年齢を重ねるにつれ、カロリー重視では対応できなくなります。

必要な栄養素が変わってくるからです。
正しく食べて、心・頭と体の健康をキープしましょう。

           

☆しっかり食べる事で日本人の寿命は延びた

日本人の平均寿命は、戦後延び続け、世界的にとても高くなっていますが、
これは肉・魚・卵・乳製品などの動物性食品の摂取量が増え、
たんぱく質・ビタミン・ミネラルの摂取量が増えた事が大きく関係していると考えられています。

今の日本では、おかずがしっかりしているので、栄養素の欠乏で命を落とす人はいませんが、
戦前は、ビタミン不足の病気(脚気)で多くの人が命を落とすほど、栄養が欠乏しがちでした。

 

☆低カロリー=健康食ではない

健康食というと、低カロリーのさっぱりした食事だと思っていませんか? 

しかし、さっぱりとした粗食では、
肉・魚・卵・乳製品などの摂取量が減りがちで、栄養不足に陥りやすくなります。

例えば肉や魚に含まれるビタミンB群には、
認知機能など頭や精神に、とても大切な栄養が含まれています。

元気に長生きするためには、動物性食品に豊富に含まれるビタミン・ミネラルは、とても重要なのです。
これらをしっかり食べないと、筋肉、免疫、骨密度などが低下するだけではなく、病気になりやすくなります。


若鶏の生姜ポン酢ソース

お肉には大切なビタミンとミネラルがたっぷり。


特に中高年層では、粗食は栄養不足になる可能性が高いので、注意が必要です。
年齢によって、化粧品を使い分けるのと同じイメージです。

子供や若い人は、特に何もしなくても健康的な肌を保てますが、
加齢につれてそうはいかなくなります。

食事も同じで、20代と中高年層では、体が必要な栄養素が異なってきます。
カロリーばかりに気を取られていると、肝心な栄養素が不足する可能性があります。

健康的な食事とは、病気の予防に留まらず、
強い骨や筋肉、健康的な心や脳、貧血や動脈硬化の少ない元気な血液など、
体をトータルに元気にする食事です。

           

☆なぜ粗食・さっぱり食ではダメなのか?

☆心と頭に必要な栄養が不足する

動物性の食品というと、たんぱく質だけが、注目されやすいですが、
野菜や果物などの植物性の食品にあまり含まれないビタミン・ミネラルが豊富に含まれています。

例えば、動物性の食品には、認知機能などの頭や精神の健康に欠かせないビタミンB6、
ビタミンB12などが豊富に含まれています。
植物性の食品には、ビタミンB12は一切含まれません。

 

☆免疫・骨密度・筋肉も落ちる

中高年が必要な栄養とレシピ

ガイドの著書。本のリンク「60歳からの健康レシピ」はこちら。中高年層が必要な栄養知識とお手軽レシピがつまっています。


たんぱく質が不足すると、筋肉が落ちて、免疫力の低下につながり、体調を崩しやすくなります。

たんぱく質が不足すれば、骨の密度も低下してしまうことが知られています。

中高年層では、落ちた筋肉を回復させるのに時間がかかりますので、
筋肉を落とさない努力をする必要があります。

また、動物性の食品は鉄分や亜鉛などのミネラルも豊富に含まれます。
例えば、鉄分は貧血を防ぎ、疲労防止に役立ちますし、亜鉛は免疫アップや傷の回復などに欠かせません。

肉や魚だけでなく、乳製品や卵もまたすぐれた食品です。
例えば、ヨーグルトなどの乳製品は、カルシウムはもちろんのこと、
腸内環境を整えて、免疫アップに役立つと考えれているプロバイオティクスが含まれています。

日本人は体質的に牛乳のラクトースが合わない事がよく報告されますが、
ヨーグルトやチーズならばラクトースがぐっと少ないため、大丈夫な人も多いはずです。

昔の人の知恵が詰まった加工方法です。
卵もまたアミノ酸のバランスがよいことで知られており、
ビタミンB12や脳を元気にしてくれるコリンなども含まれます。

 

☆低脂肪食はかえって健康にマイナスになる可能性も

さっぱりした食事だと、脂質が不足する可能性もあります。
脂溶性ビタミンであるビタミンA・D・E・Kは、脂質が不足すると、体内でうまく使われなくなります。

これらの脂溶性ビタミンには、免疫や骨密度のアップ、抗酸化作用、
目の健康、ガンリスクの低下などの健康効果があります。

極端な低脂肪食は、オメガ3脂肪酸など、大切な脂質も不足しますので、
鬱病や心臓病、ガンのリスクまで上がる可能性があると考えられています。

さらに、低脂肪食だと、炭水化物の摂取が増えがちになります。
特に白米を主食としている場合は、血糖の変化が激しくなりやすく、インスリン抵抗性につながり、
高血圧や脳卒中、糖尿病になるリスクが上がりやすくなります。

            

☆栄養タップリ=メタボではない

栄養をタップリ摂ると、太ってメタボになる・・・と思う人もいるかもしれませが、
そうではありません。

例えば、栄養価が高い食材と言えば、
青魚、豆腐、納豆、牛肉、豚肉、卵、小松菜、ほうれん草、ブロッコリー、
トマト、人参、椎茸、麦などがあります。

栄養を重視した食事を作ると、自然にカロリーもコントロールしやすくなります。
加齢につれて代謝がぐっと減ると思われがちですが、
最近ではそうではないことが分かってきました。

しっかり栄養を摂れば、それだけ体も頭も元気になり、
アクティブなライフスタイルにつながり、自然と体重管理にもつながります。 

しっかりおいしく食べて、元気に長生きする体を作りましょう。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした
            

私は民間の中小業のある会社に35年近く奮戦し、2004年(平成16年)の秋に定年退職後、
多々の理由で直ちに年金生活に入ったした。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけの家庭であるが、
私は
現役サラリーマン時代は悪戦苦闘が多かった為か、解放感で高揚したりした・・。


そして年金生活を当初は、私は独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。

何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりした。

そして朝食は白米
のご飯をお腹いっぱい食べたり、
昼食だけは我が家は、お互いに制約することなく自由としている中、
私は冷凍商品のチャーハン、或いはアンパンを二つ食べたりしていた。

夕食する前には、
純米酒の辛口が好きの私は、
晩酌の時は現役時代と同様に2合、ときには3合を呑んだり、

或い日はビールの時は500mlの缶ビールを数本を呑んだりした。

こうした中で、ときには日中に小庭のテラスに下り立ち、簡易椅子に座り、缶ビールを呑みながら、
リストラ烈風の中、最後の出向時代の5年間は、何かと大変だったなぁ、と思い重ねたりした・・。

この結果、身長は170センチ、体重は70キロだった私は、毎年少しずつ体重が増えてしまった・・。

                            
  

過ぎし2010年(平成22年)の秋、私は健康診断の結果、
『糖尿病で、内科に受診して下さい』と明記されてしまった。


私は青ざめ、翌日に自宅から徒歩10分ばかりの内科専門病院に行き、検査、そして問診の時、
『国内旅行に何とか70歳ぐらいまで行きたいので・・何なりと御指導をお願い致します』
と私は内科の医師に懇願した。

そして高橋真梨子さんが唄われた『桃色吐息』は妖艶であるが、
体力の衰えた66歳の私は、青色吐息のような表情で、内科の医師のアドバイスを聴いたりした・・。

私は家内との共通趣味は国内旅行であり、糖尿病の場合は、もとより食事制約がある。

このような時、家内と共に旅行の宿泊先で美味しい夕食を頂けそうな時、
私は食べてはいけない料理だったら、余りにも惨(みじ)めである、と思ったりした。

やがて医師から、料理のカロリー試算表を渡された上、軽い運動を毎日して下さい、と私は言われた・・。
この後、6週間の私は、家内が料理のカロリー試算表を確認しながら野菜を多くした料理を作って貰い、
これ以来、朝夕頂いたりした。

そして私は、ウォーキングをしたり、或いは早足で遊歩道を歩いたりし、
お酒はしばらく・・さよならねぇ、と夕食の時も煎茶を飲んだりしていた。

この間、私は最寄の内科に4週間毎に定期健診を受けて、
糖尿病の範囲の対象から克服でき、悪玉コレステロールは基準値の90%、
これ以外はすべて優等生となったのは、2011年(平成23年)の3月の初旬であった。

             
             

これ以来、食事に関しては、私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
朝食は、ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の一汁三菜(いちじゅうさんさい)の真似事をしている。

私の朝食の原則として、前菜を必ず頂いている。
タマネギをスライスし、生ワカメとあえて、そしてミッカンぽん酢とお醤油をかけて、
大きな皿に盛大に食べたりしている。

やがて十六穀米の入った白米のご飯を半合ばかり盛ったお茶碗、インスタントのワカメの味噌汁、
納豆、コブの佃煮、シラス干し、福神漬けを必須として、
これ以外はカブの醤油漬け、カブの葉の塩漬け、焼きノリなどを
加える時もある。
そしてシャケの瓶づめ、或いはサバ缶のミソ煮で頂くことが多い。

家内は時折つきあうが、大半は食パンにジャム、オレンジ・ママレード、或いはブルーベリーを塗り、
二枚ばかり食べながら、ホット・コーヒーを飲みながら頂くことが多い。
そしてバナナなど果物も食べたりしている。

            

昼食は私はホット・コーヒーを飲みながら、小さな塩フランスバンを三ばかり食べたりしていたが、
家内はケーキのような菓子パンを食べることが多い。

しかしながら昼食は、お互いに自由な時間を過ごしているので、
それぞれ自在に食べることが多いのが、実態となっている。

                                                               

やがて夕食の時は、私は前菜として、冷凍のブロッコリーを電子レンジで少し温めて、
やはりミッカンぽん酢とお醤油をかけて、食べている。

そして牛肉、豚肉、鶏肉、ラム肉など200グラム程度に、いずれかを野菜を加えて、多めに頂いたりし、
ときにはシイタケ、シメジ、マイタケなどの茸(きのこ)も好きで、食べたりしている。

こうした中で、5日毎にウィスキーの濃い水割りを飲んだりしている。

家内は肉と野菜を食べたりした後、プリンかショートケーキを食べたりしている。

このような食事内容が、真実一路のように変化がなく、ここ三年は変わらず続いてきた。

          
こうした朝食、夕食を頂いている中でも、 私は平素は亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、
男の癖におしゃべりで、家内と談笑をしたりしている。

こうした日常生活の食事となり、ときおり駅前に買物とか旅行の旅先の時は、
家内の要望を聞いて、食事処で少し背延びした料理も頂いたりしている。
                          
ときおり家内が独り住まいの家内の母宅に、家内の妹と交代で、看病で宿泊することも多くなっていて、
私は我が家で『おひとりさま』の生活になるが、
こうした時でも殆ど食事内容が変わらなく過ごしたりしてきた。

          

                             
こうした中、私としては何よりも不思議と感じたのは、冷蔵庫の中にビールがあること、
台所の片隅の収納所に日本酒の一升瓶、四合瓶も忘れてしまっていることである。

かって呑兵衛と自任してきた私は、平素の夕食に煎茶でもまったく違和感が感じることなく、過ぎている・・。

このように私は20代から何かと日本酒、ビールを中核にワイン、ウィスキーも呑んできたが、
歌を忘れたカナリヤのようにアルコールから遠ざかり、
国内旅行、冠婚葬祭、或いは懇親会の時は例外として、そして我が家で週に一度ぐらい呑むぐらいとなり、激少となった。

この後、国内旅行で家内と共に、各地を幾たびも行ったりすると、
やはり宿泊処で地酒を呑んだりしてきたが、体重が増えてしまった。
         
やむえなく糖分の多い日本酒、ビールとお別れして、ウィスキーに氷を入れただけのオンザ・ロックとし、
弱くなったので、少しだけ水を入れた濃いめの水割りで呑むこととして、
5日に一度ぐらい自宅で呑んだりしているのが現状となっている。
                           
こうした中、過ぎし40代前後に弐合徳利、ぐい呑みを幾種類も買い求めて、
晩酌の時に、今宵はどの弐合徳利にしようかしら、と選定しながら夜の友のひとりとしてきたが、
今やガラス戸の棚に、ひっそりと鎮座していることも、忘れていることが多くなっている。

このように過ぎゆく人生は、ささやかな年金生活を継続を望むなら、
無念ながら何かしら断念することも必要てあり、私の場合は愛飲していた日本酒となっている。

            
                  
ここ数年は身長170センチ、体重は76キロ前後が続いていたが、
今年の4月頃、体重が78キロになった時もあり、溜息を重ねたりした。

もとより肥満体は糖尿病になる早道と専門家より公言されているし、
糖尿病から認知症もなることがあると学んだりし、私は認知症だけは困苦するので、
やはり私の場合は73歳の身ながら、日常生活を過ごすのは、おまけながら75キロが理想と思ったりしてきた。

やがて食事対策として、
やはりご飯、肉類は食べ過ぎと改めて気付き、
朝食のご飯は、少し減らした0.3合となり、そして昼食は、夏はキュウリ、トマトだけとし、
昨今は中玉のリンゴとしている。
そして午後3時のおやつの時には、ヨーグルトを食べたりしている。

やがて夕食は、肉類200グラムを半減し、これ以外は従来通りに賞味してきたが、
こうした関係で、8月月末に健康診断の検査で、体重は73.6キロと診断され、成果があったよなぁ・・
と私は微笑んだりした。

そして昨夜、体重計に乗ったら、72.1キロであった。
意識して、良く歩いたり、食事も気を付けた結果、ここ6か月で、約6キロ減量かょ、
と私は独り微笑んだりした。

こうした中で、10年前に愛用していた長ズボンも穿(は)けて、
何かしら得をしたように、微笑んだりしている。

            

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
やがて認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

今回、栄養管理・療養食ガイド 一政 晶子さんより、
《・・しっかり栄養を摂れば、それだけ体も頭も元気になり、
アクティブなライフスタイルにつながり、自然と体重管理にもつながります。 
しっかりおいしく食べて、元気に長生きする体を作りましょう。・・》

 このように73歳の私は教示されて、そうですよねぇ・・と私は微笑みながら同意をしたりしている。


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年金控除縮小へ 高齢者には所得税・住民税の大増税、無力な私は学び、やがて一寸の虫にも五分の魂で私論・・。

2017-10-13 15:35:47 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読しているネットの【マネーポストWEB】の中にある『暮らしのマネー』を見ている中で、
【 年金控除縮小へ 高齢者には所得税・住民税の大増税 】と題された見出しを見た・・。

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、年金は我が家の生活費の基盤であり、今回の標題に、どのようなの・・と思いながら精読してしまった。


この記事の原文は、『週刊ポスト』の2017年9月29日号に掲載された記事のひとつであり、
関連ネットの『マネーポストWEB』で2017年9月20日に配信されていたが、
遅ればせながら学び、無断ながら大半を転載させて頂く。
             
《・・年金控除縮小へ 高齢者には所得税・住民税の大増税
         
             

この10月、年金制度は、大きな転換点を迎える。

小泉政権の2004年から13年間、毎年引き上げられてきた年金保険料率が上限に達し、
10月からの値上げで給料の18.3%に固定される。

政府はこれ以上、保険料は上げずに、現役時代の収入の5割以上の年金を支払うと約束している。
もはや国民の誰一人として信じていない言葉でいえば、「100年安心年金」の完成だ。

それを待っていたように、宮沢洋一・自民党税制調査会長から“年金増税論”が飛び出した。

新聞各社の共同インタビューに、
「高額な年金をもらっている人に、今と同じ控除をする必要があるか」(日経新聞、9月8日付)と語り、
今秋から始まる税制改正の論議で、公的年金等控除(※注)を見直しに動く考えを示したのだ。

【※注:国民年金法、厚生年金保険法、公務員等の共済組合法などの公的年金の受給者に適用される控除で、
    収入金額から基礎控除と公的年金等控除を差し引いた金額が課税対象となる。
    控除額は65歳未満か、65歳以上かによって変わる。
    年金の収入額によっても控除額は異なる】

年金受給者は、最低でも年間120万円(65歳以上の場合)の所得控除を受けられる。
そのぶん、同じ額を給料として受け取るよりも、税負担は少なく済む。

この公的年金等控除が縮小・廃止されると、
高齢者には、所得税・住民税の大増税になる。

宮沢氏が持ち出した「控除見直し」とは、「年金増税」に他ならないのだ。
そのうえ、年金から天引きされる国民健康保険料(75歳以上は後期高齢者医療保険料)や介護保険料もハネ上がる。


             

年金制度に詳しい“年金博士”こと社会保険労務士の北村庄吾氏が語る。
「小泉内閣の年金改革以来、政府は、厚生年金と国民年金の保険料を上げ続け、受給額は減らしてきた。
それが一巡する。

しかし、100年安心とは、真っ赤な嘘で、年金財政は今も火の車。
じゃあ今度は、どこから取ろうかと悪知恵を絞った。

保険料率をアップしても、現役サラリーマンの給料が上がっていないから、
保険料収入は伸びない。

かといって、年金をもっと減らすと言えば、高齢者の不満が高まる。

そこで“これは年金改革ではなく、高額所得者の負担を重くする税制改正です”と言って、
年金から税金の形で取る。

年金振込通知書に記される受給金額は、変わらないように見えるが、
源泉徴収される税金が増えるから、実質的には年金減額と同じです。

それでも、他に年金から天引きされている健康保険料や介護保険料も毎年上がっているから
高齢者にはわかりにくい。
非常に悪質なやり方です」

             

☆“ごく標準的な年金受給者たち”が年金増税の標的に

“高額な年金をもらっている人”が対象という言葉に、騙されてはいけない。
そもそも日本に「高額年金所得者」などほとんどいないのだ。

かつて日銀職員から総裁にのぼりつめた福井俊彦氏が
厚生年金と日銀独自の企業年金を合わせて年間約633万円(月額50万円以上)を受給していたことを
本誌・週刊ポストはスクープした。

そんな特権年金をもらえるのは、それこそ日銀OBや、
国会議員年金廃止前に受給資格を得た元議員など、ほんの一握りだ。
そんなごく限られた人々を対象にした税制改正などあり得ない。



大手機械メーカーを部長職で退職したAさん(69歳)がこんな不安を口にする。

「現役時代は年収1000万円を超えていましたから、年金は多い方だと思う。
それでも厚生年金が月額25万円、企業年金を合わせても30万円です。

外食は月に1回、夫婦で年1回温泉旅行をするくらいで、生活はつましいもの。
高額な年金と見なされて控除がなくなれば、年30万円ほどの負担増になるはずです。
冗談じゃないですよ」

総務省の家計調査でも、65歳以上の高齢者世帯(2人以上)の生活費は月平均28万円。
厚労省が年金の標準モデルにしている夫婦(年金月額約22万円)の世帯は
毎月貯金を5万円ずつ取り崩して、生活費にあてている実態がある。

年金増税のターゲットは、まさにそうした“ごく標準的な年金受給者たち”なのだ。

社会保険労務士の北村庄吾氏が指摘する。
「宮沢氏は、高額な年金をもらっている人から税金を取るというが、
それなら年金による所得に応じて、税率を上げるという話になるはず。

年金が少ない人に、恩恵のある控除を縮小するというのは、明らかに目的と政策が矛盾する。
年金生活者に幅広く増税の網をかけようとする狙い、としか考えられません」・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした

             

私は読み終わった後、溜息を重ねたりした。

過ぎし7日前の頃、購読している読売新聞に於いて、
社会保障制度の年金、医療、介護などに関して、改めて私は学んだりしてきた。

少子高齢化の現代、社会保障費の現状として、
2017年度一般会計当初予算の社会保障費は過去最高の32・4兆円で、
歳出総額(97・4兆円)の3分の1を占める。

政府の大きな支出項目である公共事業費(5・9兆円)と文教・科学振興費(5・3兆円)、
防衛費(5・1兆円)の三つを合計しても及ばない規模だ。

社会保障費の内訳は、医療11・7兆円、年金11・6兆円、介護3・0兆円などとなっている。

そして年金や医療、介護など社会保障制度を通じて、国民が受け取るお金やサービスの財源は、
主に国民や事業者が支払う社会保険料と、国や地方自治体からの公費などで賄っている。

国が負担する分は、税収だけでは賄い切れないため、
巨額の国債を発行し、将来世代にツケを先送りしている。

現在の社会保障制度で、受け取るお金やサービスを将来も維持しようとすれば、
その財源として、消費増税や社会保険料の引き上げなどは、避けて通れない課題。

このように改めて現状を学び、無力な私は溜息を重ねた。

             

もとより日本の社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用は、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実からでもある。

そして私は確か5年前の頃、働いて下さる現役世代の男性の民間会社に勤めている正社員の人たちが、
平成9年( 1997年〉の時点から、年収が横ばいと知り、無力な私は悲嘆した・・。

こうした中で、少子高齢化が増す社会となり、年金、医療、介護などの社会保障費は膨張し、
やむなく年金の削減、医療、介護の見直し改定が実施されてきた。

そして過酷な現実として、年金、医療、介護などで、毎年一兆円が増加している。
       
更に昨今、国税庁による「民間給与実態統計調査」に寄れば、
1人あたりの年間平均給与は、継続的に下がり続け、
平成16年には438.8万円だったのが、平成26年には415.0万円と知ったりした。

ここ10数年は、民間会社は短期に成果が問われる時代の中、常時リストラともいわれたりして過酷な時代になり、
多くの会社は正社員は6割、契約社員、アルバイトなどは4割、と知り、深く憂いたりしてきた。

こうした状況が放置すれば、現役世代の諸兄諸姉からすれば、高齢者は過重負担する人たち、
と思いながら険悪し、粗末にする風潮も予測できるので、
私は働いて下さる諸兄諸姉に、ときおり感謝を重ねたりしている。

             

そして無力な私でも、社会保障費の財源に関しても、日本経済が活性化にならなければと思い、
一寸の虫にも五分の魂の思いで、思い馳せたりした・・。
             
過ぎし5年前の当時は、少子高齢化が加速する中、年金、医療、介護などの社会保障費は毎年一兆円が増加し、
昨今は日本の借金は1100兆円を超えている、と新聞、テレビのニュースなどで報じられ、
無力な年金生活の私は、憂いたりしていた。

しかしながら日本の借金は1100兆円は、実質は遥かに低く実質的に借金は150~200兆円程度、と学んだのは、
2015年の12月下旬てあった。

何かしら1980年、大蔵省(現財務省)入省、理財局資金企画室長、内閣参事官など歴任され、
小泉内閣、安倍内閣では 「改革の司令塔」として活躍され、2007年には財務省が隠す「埋蔵金」を公表し、
政策シンクタンク「政策工房」会長、嘉悦大学教授の高橋洋一さんのひとつの寄稿文を学んだりした。

この高橋洋一さんの寄稿文は、【「日本の借金1000兆円」はやっぱりウソでした
       ~それどころか…なんと2016年、財政再建は実質完了してしまう! この国のバランスシートを徹底分析 】で、
私が愛読している講談社の基幹サイトのひとつの【現代ビジネス 】で、多々教示されたりした。

そして私は、大手メディアの新聞、テレビなどは日本の借金は1100兆円を超えている、と報じられているのは、
財務省が国の財政が悪化し、これからも支出の多くを占める社会保障費に危惧して、
資産合計を抜きにして、負債合計だけの1171.8兆円を声高に公表されている、と感じたりした。

そして悪しき表現で明記すれば、財務省は社会保障費は殆ど使用する高齢者を人質に、
消費税など増税しないと財政危機になりますょ、そして年金は激少したり、医療、介護も低下しますょ、
と私は思い馳せて、苦笑させられた。

或いは財務省は、省内の権益の拡大、天下り先の確保なども含めて、どうして無知な国民を翻弄させるのょ、
と小心者の私は微苦笑したりした。
                         
この後、難題の財政に関しては、敬愛している高橋洋一さんの著作『日本はこの先どうなるか』(幻冬舎新書)を購読し、
根本的に歳入庁を創設すれば増税の必要がなくなり、或いは多々の施策を実施すれば財政健全化が図れる、
と私は学んできたので、あとは厚労省、そして財務省、政府の判断と私は感じたりしてきた。

             

少子高齢化の現在、やはり日本の借金は1100兆円を超えている、
そして年金、医療、介護などで、毎年一兆円が増加している、と報じられれば、
高齢者の殆どは、将来に不安を感じて贅沢をする気にはなれない、と消費に萎縮してしまう。

消費が低迷すれば、もとより企業は投資をためらい、デフレ経済が継続している、
と政治、経済にもシロウトの私は思いながら憂いたりしている。

こうしたことで日本再生は、まず第一歩として、日本の借金は資産合計より負債合計を差し引いた実質額を明確にして、
多くの国民に安堵させ、これだったら安心して過ごせるわ、と消費活性化となり、
企業も投資が進み、やがて日本経済は躍進する・・。

そして働いて下さる殆どの諸兄諸姉が年収が増加し、各ご家庭が享受でき、やがて国は所得税が増え、
こうした中で、社会保障は安定し、私たち高齢者も安堵できる・・このようなことを私は夢想している。

 
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入院したら“病気”になった! 高齢者が陥りがちな5つの機能低下とは?、私は動顛しながら、多々学び・・。

2017-10-12 14:44:45 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【AERA dot.(ドット)】を見ている中、
【 入院したら“病気”になった! 高齢者が陥りがちな5つの機能低下とは?  】と見出しを見てしまった。

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの高齢者夫婦の家庭である。

こうした中で、私たち夫婦は幸運にも大病に遭遇せずに至っているが、
いつの日にか、どちらかが大病で入院することも、ないとは無念ながら断言できない。

このような心情を秘めた私は、今回《・・入院したら“病気”になった! ・・》と標題に、
病院は、病気を治療して、治して下さる処なのに・・どうしてなの、と思い、
そして《・・高齢者が陥りがちな5つの機能低下とは・・》を真摯に学びたく、
記事を精読してしまった。

この記事の原文は、『週刊朝日』の2017年10月3日に掲載されて記事のひとつであり、
関連の基幹ネットのひとつ【AERA dot.】に2017年9月29日に配信され、無断ながら転載させて頂く。

《・・入院したら“病気”になった! 高齢者が陥りがちな5つの機能低下とは? 

           

「入院してたった1週間で、母が自分の名前を書けなくなるなんて……」
そう驚いたのは、ノンフィクションライターの中澤まゆみさんだ。

地方都市に父親と2人で暮らしていた母親(当時91歳)は、
昨年、肺結核の疑いで専門病院に検査入院した。

中澤さんが病院を訪ねると、それまでと様子がまったく変わっていたという。



「母は初期の認知症(要介護1)で、字はふつうに書けていました。
ところが、この日、病院に提出する用紙に署名をしてもらおうとしたら、
自分の名前の漢字を忘れたと言うんです」(中澤さん)


さらに、トイレに行くにも、よろよろする、ぼーっとして、受け答えもはっきりしない。
これらは入院前には、なかった症状だった。


母親が退院したのはその3日後。自宅に戻っても、ダメージはひきずったまま、
尿失禁もひどくなった。

入院前からお世話になっているかかりつけ医や訪問看護師、介護スタッフなどの協力で、
症状は改善したが、落ち着くまで1カ月もかかったという。



「多くの人は、入院すると病気がよくなると思っています。
若い方はそうなのでしょうが、高齢者は入院によってかえって、
健康状態を悪くさせてしまうことがある。
安易な入院は控えようと思いました」(同)


入院することで、寝たきりになる、認知症が進む、骨粗しょう症になる、
心臓や肺の機能が弱る、介護度が上がるなど、
高齢者の場合、元気になるはずの入院で、起こってしまうさまざまなトラブル。


           

「老年医学の世界では、『入院関連機能障害』と呼び、問題視しています」

こう話すのは、ふくろうクリニック等々力(東京都世田谷区)院長の山口潔さんだ。

東大病院で物忘れ外来などを担当した後、現在は認知症やがんなどの病気を専門とする、
外来や訪問診療を行っている。


「入院関連機能障害は、入院のきっかけになった病気とは別に、
入院によって、新たに生じた機能障害のことです。

例えば、“肺炎で入院した患者さんが、点滴治療を受けて安静にしていたところ、
意識障害が起こったり、歩行困難な状態になったりして、
退院後に介護が必要になった”という状態をいいます」

この機能障害は70歳以上の入院患者の3人に1人にみられるという報告もあり、
高齢者を診ている医師であれば、日常的に経験していると、山口さんは言う。


「高齢者医療に詳しい医師でも、完全に予防するのは難しい。
また、いったん発症すると、戻すのは簡単ではありません。

発症前の状態まで回復できるのはたったの3割で、
入院関連機能障害がきっかけで、状態が悪くなり、亡くなるケースもあります。

だからこそ、できるだけ外来や在宅での治療ですませ、
やむを得ない事情がない限り入院はさせない。
これが最近の高齢者医療の考え方です」


           

なぜ、入院関連機能障害が起こってしまうのか。
そこには“リロケーションダメージ”と“廃用症候群”という問題がある。


「リロケーションダメージとは、周囲の環境が変わることで、生じる心身の問題のこと。
入院に限らず、引っ越しや高齢者施設への入居などでも発症します。
特に認知症がある高齢者は、起こりやすいので注意が必要です」(山口さん)


入院中は、規則正しい生活になる一方、食事や就寝時間が決められ、
自宅で暮らすような自由は認められない。

また医師や看護師に終始管理されている状態が続く。
環境が変わったことによる居心地の悪さに、病気や治療のストレスが加わり、
不安や混乱などの精神症状をきたしやすいという。


リロケーションダメージで最も問題となるのは、“せん妄”だ。
意識障害の一つで、幻覚、興奮するといった症状が起こる。

原因は、脱水、発熱、多剤処方などさまざまだが、
入院もその一つで、入院中の認知症患者の3~4割に、せん妄がみられるという報告もある。


山口さんによると、このせん妄が、認知症の進行を早めるだけでなく、
認知症そのものを発症する、きっかけにもなるという。


「さらに入院中に、せん妄を起こすと、機能障害を改善するリハビリを拒否するようになるので、
ほかの機能障害が進むおそれもある。
死亡リスクを高めることもわかっています」(同)

           

もう一つの問題の、廃用症候群とは“安静(不動ともいう)がもたらす全身の機能低下”のこと。
藤田保健衛生大学七栗記念病院(津市)院長で、回復期リハビリテーション病棟協会会長の園田茂さんは、
「特に虚弱状態の高齢者にみられる症状」と話す。

具体的には、次の五つの機能低下がよくみられる。


【1】筋肉 
   筋肉を使わないことで、筋力が低下。
   手足が痩せて細くなり、歩行などが難しくなる。

   海外の報告では、2週間の安静で筋肉が2割以上落ち、
   以前と同じ状態に戻すまで、リハビリで6週間かかったという。


【2】関節・骨
   関節の周りは、コラーゲンなどの結合組織で覆われており、
   動かさないでいると、それらがくっついて固まってしまう。
   “拘縮”という状態で、膝が曲がりにくいなど可動域制限が起こってくる。


   「筋肉と違い、一度固まった関節を元どおりにするのは難しい。
   ですから、拘縮を起こさないことが大事になります」(園田さん)


   骨は、骨を作る骨芽細胞と壊す破骨細胞の働きで、常に新しく生まれ変わっている。
   体を動かさずにいると刺激が少なくなり、壊す細胞が活性化する。
   そのため、骨がもろくなる骨粗しょう症になりやすい。


【3】心臓
   寝たままだと血管内の水分が血管外に漏れてくるため、
   体内を巡る血液の量が減り、酸素や栄養が不足する。
   それを元に戻そうと、心臓の動きが通常よりも速くなり(頻脈)、動悸などの症状が出てくる。


【4】肺
   横になると、重力で下がっていた肝臓や腎臓などの臓器が、肺のほうに寄ってくる。
   肺が圧迫されるため、呼吸機能が落ち、肺炎などのリスクも高まる。


【5】腸
   動き(蠕動運動)が悪くなるため、便秘やおなかの張りなどの症状が出てくる。
   食べものの通過障害が起こり、イレウス(腸閉塞)を起こす危険性も。
   栄養状態も悪くなるため、虚弱がさらに進んでしまう。


「そのほか、ベッドの上で寝たままでいると、脳への刺激が減るため、
頭の回転が遅くなり、認知機能の低下につながります。

床ずれができる、体力がなくなる、
血液がうっ滞して血栓ができやすくなるなど、廃用症候群の悪影響は全身に及びます」(同)

           

こうした入院関連機能障害は、元気な高齢者には起こりにくく、
余力が残っていない虚弱な高齢者で起こりやすい。

前出の山口さんに聞いた危険因子は、下記のとおりだ。


【入院関連機能障害の危険因子】
□高齢(80歳以上)

□「電話をする」、「買いものをする」、「食事の準備をする」、「家事をする」、「洗濯をする」、
 「電車やタクシーに乗る」、「正しく薬が飲める」、「お金を管理できる」のうちの3項目以上で、
 周りの助けが必要になる※1


□立ったり、歩いたりができない


□「食べる」、「移動する」、「洗顔や歯磨き」、「トイレで用を足す」、「入浴」、「歩行」、
 「階段の上り下り」、「着替え」、「排便コントロールができる」、「排尿コントロールができる」のうち、
 2項目以上で周りの助けが必要になる※2

□がんの転移、脳卒中の既往がある

□認知症が進行している


※1 手段的ADL(日常生活動作) ※2 基本的ADL

(山口さんの取材から編集部でまとめたもの)

「年齢が高い人、入院前から自立が難しく、介護を必要としていた人、
過去に脳卒中などの病気にかかったことのある人は、気を付けたほうがいいでしょう」(山口さん)


入院の状況によっても、入院関連機能障害の起こりやすさは変わる。

例えば、心臓病やがんなど、手術日が決まっている予定入院より、
肺炎など急病で入院するほうが起こりやすい。

あらかじめ入院関連機能障害の対応についての説明がないぶん、心構えができていないからだ。
また、入院期間が長びくほどリスクは高まり、症状が悪化しやすい。・・》


注)記事の原文に、あえて改行を多くした

           

記事を読みがら、私は幾たびも動顛しながら、多々教示された。

私は若き40代で、ギックリ腰が悪化して、救急車で病院に搬送されて、
28泊29日間の入院生活を体験した。

こうした中で、退院する前の数日間、外出できる許可を頂き、
入院している病院の1キロ周辺を家内と共に散策した。

しかしながら最初は、私の数日間、外出できる足取りは筋肉の衰えを実感し、
うつろな表情で歩いたりし、翌日からは院内の階段をあえて歩いたり、回復に努めたりした。

もとより若かった年代であり、今回、高齢者で老化が進んだ時は、
身体全体の回復には、時間と本人の意欲がなければ、平素の生活ができなくなるだろう、
と思い深めたりした。

           

今回、特に『虚弱状態の高齢者にみられる症状として、五つの機能低下』を学び、
そして『入院関連機能障害の危険因子』も多々教示された。

人は誰しも齢を重ねれば、たとえ心は深く育(はぐく)まれても、無念ながら身体は衰える・・。

いつの日にか、私も老化が深まる・・。

それまで私は、せめて健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
やがて認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。
       
そして70代の三年生して、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、
ときおり願いながら歩いたりしている。

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「老人の困った行動」のそれぞれの事例、そして対応、解決策、高齢者の私は多々学び、やがていつの日にか、と溜息を重ね・・。

2017-10-11 15:33:25 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読しているネットの『東洋経済オンライン』を見ていた中、
【 「赤信号を平気で渡る老人」への大きな誤解
        「老人の困った行動」はボケが原因と限らない 】と見出しを見てしまった。

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、私たち夫婦は幸運にも大病に遭遇せずに至っている。

しかしながら、この間、私は日本人の平均寿命は、食生活の改善や医療の進歩などで延び続け、
おととしの平成27年には、男性が80.79歳、女性が87.05歳と私は学んだりした。

そして介護の必要がなく、健康的に生活できる「健康寿命」も、
平成25年の時点の推計で、男性が平均で71.19歳、女性が74.21歳と知ったりした。

こうした中、『健康寿命』と『平均寿命』の間は、多くの御方が介護を要する期間でもあり、
誰しも難題と思い深めたりしている


そして私たち夫婦は、お互いに体力の衰えも実感してきたが、
私は健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。
       
そして70代の三年生して、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、ときおり願いながら歩いたりしている。

このような心情を秘めた私は、《・・「老人の困った行動」は、ボケが原因と限らない・・》に、導かれて、
こっそりと記事を精読してしまった・・。

           

この記事は、医師/医学博士の平松 類(ひらまつ・るい)さんが、
寄稿された文で、『東洋経済オンライン』に10月9日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・「赤信号を平気で渡る老人」への大きな誤解 ~「老人の困った行動」はボケが原因と限らない ~

人間、年を取ると、周りを困らせる行動をとることが増えます。

「約束を完全に忘れてしまっている」、「赤信号でも平気で渡る」、
「高額商品をいきなり買ってしまう」など、その典型です。

高齢者がこうなってしまうのは、「認知症でボケてきたから」、
「カタブツで頑固になっているから」と思われる方も多いでしょう。

老人の取扱説明書』の著者である医師の平松類氏は、
こういった行動は、ボケや性格によるものというよりも、老化による体の変化に原因があると言います。

現在も診療の現場に立ち、延べ10万人以上の高齢者と接してきた平松氏が、
その根本的な原因と、どう解決するべきなのか、どう予防するべきかを、医学的な観点を交えて解説します。

           

☆老化の原因を知れば、解決策も見えてくる

「老化による体の変化」について丁寧に考えたことはありますか? 
それを知ることは、非常に重要です。

知ってそれに対する対処・対応を間違えなければ、
周囲は高齢者が困った行動を起こしても、イライラしなくなりますし、冷静に対処できます。

高齢者自身は、思うように体が動かなかったり、周囲と上手にやり取りできなかったりすることに
卑屈になることも減ります。

本記事では、この「老化による体の変化」を踏まえて、
周囲がすべきこと、高齢者本人がすべきことを、医学的背景に沿ってわかりやすく具体的に示します。

理想論ではなく、現実的で手軽にできる方法です。

高齢者は、信号が赤になっても、平気でゆっくりと渡る。
よく目にする光景の1つです。

どうしてそんな行動をとってしまうのでしょうか? 
こう考える人が多いと思います。

「車のほうが止まってくれると、老人が思っているから」、
「渡り切れるという自信を、老人が持ってしまっているから」。

でもそんな高齢者は、非常に少数派。
先ほども触れたとおり、「老化による体の変化」が原因なのです。

そもそも日本の信号機は、赤になるのがとても早く、
特におばあちゃんには、渡り切れないように作られています。

歩行者が1秒に1m歩いた後に、赤になる設定になっているのですが、
85歳を超えると男性は0.7m、女性は0.6mしか歩けないのです。

また、高齢者は、信号機をもともとよく見ていません。
それは信号無視ではなく、「瞼(まぶた)が下がってくるから、信号機が設置された上のほうがよく見えない」、
「転倒すると寝たきりにもなりかねず怖いので、下を見て歩かないと不安」、
「腰が曲がってしまうから、信号機はよく見上げないと見えない」など、多くの老化による体の変化が関係してしまいます。

そういった事情を知っていれば、周囲も「歩くのが遅いなあ」、
「なんで信号無視してるんだ?」といらだつことも減るでしょう。

こうならないための解決策としては、
瞼の下がり防止には、「目を強くつぶってから、強く開けるという運動を、1日10回程度行う」、
「メークを落とす際は、瞼を強くこすりすぎない」、

転倒防止をして歩行速度を速めるには、「シルバーカーを使う」、
「簡単なスクワットで、足腰を鍛える」などが解決策の一例となります。
いずれも、そんなに難しい方法ではありません。

周囲は、高齢者が信号の近くにいる際には、
手助けしたり、車の運転中はスピードを落とすなどができます。

           

☆「約束を忘れている」のではない

約束したのに「そんなこと言ったっけ?」と言って、
完全に約束を忘れてしまっていることも、高齢者の困った行動の典型でしょう。

もちろん完全に忘れてしまっていることもありますが、
これは高齢者に限らず、若い人にもよくあることです。

それよりも約束の話自体、もともと高齢者が聞こえていなかった可能性のほうが、大きいのです。

特に、雑音が多い所では非常に聞こえにくくなります。
実際に介護施設などでは
「何も言われず、食べ物を口に詰め込まれた」と怒る高齢者が、後を絶ちません。

もちろん介護士は、ちゃんと話しかけてから、食べ物を差し出しているのですが、
周囲には多くの高齢者や職員がいるために、ガヤガヤとしていますし、
介護士は同時に多くの高齢者の世話をしているので、面と向かって話していないこともあります。

つまり、なるべく面と向かって、話すようにすることで、高齢者にも伝わりやすくなります。
大事な用事は、雑音があまりない場所で、しっかりと伝えることも意識するといいでしょう。

また、大人数での会話も、高齢者は苦手です。
誰が誰に対して話をしているのかが、わかりにくく、それが聞こえにくくなることにもつながっています。

簡単にできる解決策としては、名前を呼んでから、あるいは肩をたたいてから、
話しかけるのを心掛けることです。

周囲ができるほかのこととしては、横文字を乱用しないことです。
「モチベーション」ではなく「やる気」、「ポジティブ」ではなく「積極的」、
「コンセンサス」ではなく「意見が一致する」といった具合に、です。

また、同時に多くのことを言わず、短い文で少しずつ確認しながら、伝えるのも有効です。
「明日は一緒にそばを食べに行くから、新宿西口に10時に待ち合わせましょう」だと長すぎるので
「新宿だけどいい?」、「時間は10時? それとも11時?」など、少しずつ話を詰めればいいのです。

なお、注意したいのは、高齢者は聞こえたふりをすることが、あることです。
でもこれは、悪意があってではなく、むしろ気遣いによります。

「自分だけが聞こえなかったからといって、会話の流れを止めたくない」と思っているのです。
また、何度も聞き返すと相手も「もういいよ!」、
「そんな大した話じゃないから・・・」となり、それを恐れています。

耳をよくするには、多くの人が同時に話し出すバラエティ番組などを観る、
オメガ3脂肪酸の多い青魚やクルミを食べる、などが有効です。

すごく大事なことは、紙に書いてメモしたり、電話ではFAXも併用するのもいいでしょう。

           

☆「おカネがない」と言う割に、なぜそれを買うの?

おカネがないと言う割に、無駄遣いが激しいことも、よくある高齢者の困った行動です。

実家に帰ると、巨大なテレビや冷蔵庫を買っていたり、見慣れない高級羽毛布団があったり、
もっと深刻になると不必要な家のリフォームの話が決まっていたりなどです。

まず、高い買い物をしてしまうのは、
行きつけのお店や、そこにいる店員の言うことを信じ切ってしまうことにあります。

今はネットショップをはじめ非常に安い店は多いのですが、
長年愛用して信頼しているお店で、買ってしまうのです。

また、電化製品をはじめ商品の数は、非常に種類が多くなっていますが、
選択肢が多くなりすぎると、高齢者はむしろ選びにくくなることも、研究でわかっています。

そのため、店員に言われたおすすめ商品をホイホイと選んでしまうことが増えます。

お店を限定してしまうのは、年を取ると、移動が大変になることも関係しています。
限られた時間で、限られた回数で買い物をしないといけないので、多少高くても買ってしまうのです。

住宅のリフォームなどの訪問セールスにひっかかってしまうのは、
高齢者のほうが、将来起きる悪いことを考えず、
物事のいい面を見がちな「ポジティブバイアス」が関係するからだと言われています。

ポジティブバイアスは、残された人生の長さを考えると、自然に起きてくる現象です。
「あと余命1年」と言われたら、どの商品やサービスを選ぶのかで迷うよりも、
さっさと決めて趣味に、時間を回すようになるはずです。


こうした高齢者を相手にする犯罪が後を絶ちません。
高額を請求するビジネスの多くは、
老人以上に老人のことを徹底的に勉強して詳しく知っていますから、
「自分は、だまされないから平気」とタカをくくるのは非常に危険です。

解決策としては、
「電話は留守電モードにして、必要な用件だけかけなおす」、
「高額商品やサービスは、支払う前に家族に相談する」、
「アダルトサイトの高額請求など家族に相談しにくい案件は、消費者センターに相談する」
などが挙げられます。

           

☆「認知症」や「頑固な性格」が原因だと決めつけるのは危険

ほかにも、よくある老人の困った行動は、多数あります。
「同じ話を何度もする」、「自分の家の中など、『えっ、そこで!?』と思うような場所でよく転ぶ」、

あるいは「せっかく作った手料理に、しょうゆやソースをドボドボとかける」、
「『私なんていても邪魔でしょ?』など、ネガティブな発言ばかりする」、
「実の息子の話は聞くけど、自分は無視される」など、「嫁・姑問題」にありがちなことまで、多岐にわたります。

ただ、医学的によく調べると、老化による体の変化が原因であることが、非常に多くなっています。

「認知症」や「頑固な性格」と決めつけては、何も始まりません。
何が原因だと予想されるのか、それを踏まえてどうすれば、
少しでも状況が改善されるのかを考えていくことが重要です。

老いて困った行動をする親などを持つ方も、
これから高齢になっていくことに不安を抱えている方も、
すでに高齢になっている方も、そのことを意識することが大事です。

高齢者とかかわる職業の方も知っておくべきことです。
医療や介護の業界が主かもしれませんが、シニア層にも向けたビジネスでしたら、すべてが関係します。

営業、接客業をはじめ、商品開発の方も含めまして、社会人のほとんどの方が該当するでしょう。

先ほど挙げた事例が、あらゆる老化による体の変化を知るヒントになれば幸いです。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした

           

今回、老化による体の変化について、「老人の困った行動」のそれぞれの事例、そして対応、解決策を
具体的に多々教示されたりした。

私は73歳の今、少なくとも一キロは15分以内で時速4キロ、少し意識すれば時速5キロ前後で歩いているが、
《・・歩行者が1秒に1m歩いた後に、赤になる設定になっているのですが、
85歳を超えると男性は0.7m・・》と初めて学び、そんなにノロマになってしまうのか、と驚いたりした。

或いは私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
年金生活13年を過ごしてきた中で、何かと家内と談笑したり、
ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

こうした中、私はサラリーマン時代は出世競争には途中で挫折したが、
聴力だけはサラリーマン時代と同様で、衰えも知らず今日に至っている。

今回、多々教示されたが、何よりも瞬時に微苦笑したことがあった。
《・・横文字を乱用しないことです。
「モチベーション」ではなく「やる気」、「ポジティブ」ではなく「積極的」、
「コンセンサス」ではなく「意見が一致する」といった具合・・》

我が家は高齢者だけの為か、ビジネス用語が不要となり、
年金生活14年生の私は、ときおり戸惑うことがある。

たとえば小池都知事が、外国語を多用して発言しているが、
多くの高齢者の都民にも判るように、日本語で表現しろょ、と外資系に勤めていた私でも、
あきれ果てて、軽蔑したりしている。

今回、老化による体の変化に伴い、それぞれの対応、解決策を学び、
私もいつの日にか、多くの御方にご迷惑をお掛けして、晩年期は・・
と思い馳せて、溜息を重ねたりしている。

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三浦朱門さん、そして曽野綾子さん、ご夫妻に、私は改めて敬愛を深め・・。

2017-10-10 16:18:03 | ささやかな古稀からの思い


確か一週間前の頃、配達された読売新聞を読んだりした中で、出版会社の広告が掲載されていた。
《・・あなたにもその日はやってくる
 夫90歳、妻85歳
『夫の後始末』曽野綾子
夫・三浦朱門と 過ごした 夫婦の「最後の日々」・・》

このように大きく明示されていた。

そして私は、曽野綾子さんは、ご主人・三浦朱門さんが晩年期、そしてお亡くなりになった後の状況前後を
認(したた)められて上梓したことを知ったりした・・。

私は敬愛している三浦朱門さんが逝去された時、私はこのブログに心情を認(したた)めて、
今年の2017年2月5日『三浦朱門さんご逝去、書物から特に老後の指針を私は多々学び、哀悼を重ねて・・』と題して投稿した。

そして私は、曽野綾子さんに関しても、数多くのご著書を読ませて頂き、
敬愛を重ねてきたので、過ぎし5日に駅前に出た時に、本屋で買い求めたりした・・。


写真:現代ビジネス

そして私は、紬(つむぎ)を織りなすような曽野綾子さんが綴られた人生の晩年期の心情を
私は多々学び、改めて亡き三浦朱門さん、そして曽野綾子さんに敬愛を深めたりした。

そして昨夜、愛読しているネットの【現代ビジネス 】を見ている中で、
【 85歳の曽野綾子さんが90歳の夫を在宅介護し、看取ってわかったこと 】
と見出しを見たりした・・。

少子高齢化の現代、我が家も高齢者夫婦であり、やはり晩年期は思い馳せることが多く、
《・・あなたにも、その日はやってくる・・》明言に、
多くのご高齢者ご夫婦にも同じような不安を秘めた心情がある、と思ったりしている。

          
この記事の原文は、『週刊現代』の2017年10月14・21日号に掲載された記事のひとつであり、
【現代ビジネス 】に10月8日
の配信された記事のひとつであり、あえて無断ながら転載させて頂く。

             
       
《・・85歳の曽野綾子さんが90歳の夫を在宅介護し、看取ってわかったこと

作家・曽野綾子氏(現在86歳)の夫で、文化庁長官や日本芸術院長などを歴任した作家の三浦朱門氏は、
今年2月3日に91歳で逝去した。

63年あまり連れ添った糟糠の妻である曽野氏が、
三浦氏を亡くなる直前まで自ら在宅介護していたことを、ご存知だろうか。


曽野氏が、夫の介護生活の中で感じた苦労と葛藤、また看取りや葬儀の様子を事細かに綴った『夫の後始末』が
このたび刊行された。夫との死別から8ヵ月が経ったいま、改めて心境を語る。

             

☆夫と過ごした最後の9日間

三浦朱門の死は、実に穏やかなものでした。
平和な日本社会の恩恵を充分に受けて、最期を迎えることができました。
みなさまのお陰で、夫は穏やかな生涯を送らせていただいたと思います。


夫は91歳まで、ほとんど病気をしませんでした。
恵まれていましたよね。


ただ、2015年くらいから、さまざまな機能障害を発症しました。
がんや心臓病を抱えているわけではなかったのですが、
何度も転んで、目の周りに青痣を作るようになりました。

それでも、人から「どうしたの? と尋ねられると
「女房に殴られたんです」って言うのが、嬉しくてたまらなかったようです。


〈短い入院の間に、私は日々刻々と夫の精神活動が衰えるのを感じた。
ほんとうに恐ろしいほどの速さだった。
病院側は、実に優しくしてくれたのだが、私は急遽、夫を連れ帰ってしまった。


家に帰ってきた時の喜びようは、信じられないくらいだった。
「僕は幸せだ。この住み慣れた家で、廻りに本がたくさんあって、時々庭を眺めて、
野菜畑でピーマンや茄子が大きくなるのが見える。

ほんとうにありがとう」などと言うので、
「世の中何でも安心してちゃだめよ。
介護する人の言うことを聞かないと、或る日、捨てられるかもしれないわよ」と、
私は決していい介護人ではなかった。


しかし私はその時から、一応覚悟を決めたのである。
夫にはできれば、死ぬまで自宅で普通の暮らしをしてもらう。
そのために私が介護人になる、ということだった〉(『夫の後始末』より)


夫は1年半ほど在宅介護を受けた後、亡くなる直前の今年1月末に間質性肺炎を患い、
搬送された病院で9日間の入院生活を送りました。

胸のレントゲン写真を見ると、肺が真っ白になっていました。
この病気は、酸素が脳に行かなくなるので、だんだんと意識が混濁していくのです。


でも、そんな中でも、最後まで夫はユーモアを忘れませんでした。

〈(三浦氏が)自宅をなぜか五反田にある、と言い張るので、
私は何度目かに、「五反田の家には、何という女の人がいるの? とふざけて尋ねた。

「五反田の彼女」の名前を聞かれると、朱門は黙った。
数秒間、けなげな沈黙が続いたあげく、

 「あやこさん」
と彼は答えた。

後でとっちめられたら大変だ、と彼は酸素不足の頭でも、とっさに考えたのであろう〉(『夫の後始末』より)

             

☆「延命治療は受けない」という了解

夫は「長生きさせなくていいよ」とかねがね言っていました。

私は昔、先ごろ亡くなられた(聖路加国際病院名誉院長の)日野原重明先生から、
「終末期に、やってはいけない治療」を教わっていました。
点滴、胃瘻、気管切開による延命です。


老人がいつまでも、点滴で生きられるものではありません。
また、気管切開をすると、最期に肉親と会話をする貴重な機会を奪われてしまいます。


はっきりと話し合ったわけではありませんでしたが、
私と夫の間には「延命治療はしない」という了解があり、他の家族もそれを知っていました。

病院で、「最期にどんな治療を希望されますか」と看護師の方に聞かれたときも、
息子は「全部拒否しといたよ」と言っていました。
輸液は、最低限の量だけで、肺炎の治療薬も投与していません。


亡くなる5日ほど前でしたか、
看護師の方に、棺に入るときに着る服を用意するように、それとなく言われました。

夫は背広が何より嫌いな人でしたから、いつも着ていたベージュのセーターを用意しました。
最期も、お気に入りの服を着ているほうがいいと思ったのです。


80歳、90歳になったら、人は自分がどんな服でお棺に入るか決めておくべきでしょう。
私自身は、自分が死ぬときに着る服を、もう20年前から準備しています。

白い長い南方の服なので、もう黄ばんでいるかもしれませんが、
どうせ死んだら見えないのだから構いません。

             

☆世間の常識に反しても

通夜もお葬式も、慌てることはありませんでした。

朱門の両親を自宅で看取った経験もありましたし、うちはカトリックですから、
家で簡素なミサを立てて、家族と本当にお世話になった方が、数人だけ来てくだされば、
それでよかったんです。


サラリーマンとして働いている人や、組織の中で地位のある方は、
お葬式に人を呼ばないわけにもいかないかもしれませんね。

ただ幸いにも、夫は3年前に日本芸術院長を退任していましたから、簡素な葬儀でよかったのです。
世間の常識に反しても、彼と私の好みに従えばいいと決めていました。


夫が入ったお墓は、20年ほど前に、夫の両親が亡くなったときに建てました。
これも簡単な石碑にラテン語で
「神に感謝いたします。私たちの罪をお許しください」と書いてあるだけのものです。


うちのお墓は、一族全員が入れるようになっているので、
夫の両親と、私の母親も一緒に入っています。
いっぱいになったら、古いお骨から地面に返していく。いい仕組みだと思いませんか? 



夫の死後、知人から「生活は変わりましたか」とよく尋ねられます。
でも、私としては、夫が生きていたころと、できるだけ変わらない生活を送るのがいいように思っています。


ただ、夫の介護をしていた2年弱の間、私はほとんど家に閉じこもっていました。
自分でも気づかないうちに、介護の疲れが日々溜まっていたのでしょう。

最近は微熱が取れません。
暇があると横になって、テレビを付けてぼうっと『ナショナル・ジオグラフィック』なんかを見ているんです。


何しろ60年以上昔から、私はずっとものを書いてきましたから、
本来は書いているほうが楽なはずなんです。

物書きというのは、一輪車に乗っているようなもので、漕ぎ続けないといけないんですね。
だから私は、夫が死んだ日も書いていましたよ。
夫の死について書いたのではなくて、翌々日締め切りの原稿を淡々と書いていたんです。


             

☆夫の形見で、子猫を買った

夫が亡くなって4ヵ月ほど経ったころ、
彼の書棚を整理していたら、折りたたまれた1万円札が12枚出てきました。
急に物入りになったときのための、へそくりだったのでしょう。
いい加減な人ですから、おカネを置いていたことを忘れていたんでしょうね。


最初はこの12万円で、お世話になった方を招いて、
美味しい中華でも食べようか、なんて考えていました。

でもちょうどその日、ホームセンターで一匹の子猫と出会ったんです。
スコティッシュフォールドという種類で、一応血統書付きだそうですが、
雑種みたいな普通の茶色い猫です。


へそくりで子猫を買ったなんて知ったら、夫は怒ってみせるでしょうけれど、
私は案外いい使い途だったんじゃないかと思っています。
日本風の名前がいいと思って、「直助」と名付けました。


〈思い出は、すべて過去に向いている。
しかし家族を見送った後は、残された者は、どんな思いを胸に抱いていても、
前に歩き出さねばならないのである。

それは自由な選択の結果でもなく、義務でもなく、なにか地球の物理的な力学のような感じだ。


家族の誰かが旅立って行く時、残される者は、しっかり立って見送らねばならないのだろう。
その任務をこんな小さな直助でも助けていたのである〉(『夫の後始末』より)

             

☆夫婦は、違っていて当然

私たち夫婦は、60年以上一緒に暮らしてきましたが、趣味も好みも全然違っていました。
私が旅行に出かけるときも、夫は「僕は行かない」と言うんですよ。


夫から見れば、どうでもいいようなことに、いちいち大げさに反応する私を見て、
彼は「バカな女房だ」と、猿でも眺めるみたいに面白がっていたものです。

そんなふうに長年過ごしてきましたから、
私は、「夫婦は、違っていていっこうに構わない」と思うんです。


ひとつだけ一致していたのは、「食べるのが好き」ということ。
夫婦が二人とも食べることに興味がないと、うまくやっていくのは難しいかもしれませんね。


もっとも、私も夫も、グルメというわけではありません。
料亭で出されるような上品な日本料理は苦手でした。


昔、(作家の)遠藤周作さんと料亭に招かれたとき、夫が帰りに玄関で靴ひもを結びながら、
「おい遠藤、ラーメン食って帰ろうや」
と大声で店の人に聞こえるように言うんですね(笑)。

遠藤さんは「バカ、外に出てから言え」とたしなめていましたけれど。


庭の畑で育てた不格好なほうれん草でも、美味しければ喜んでいました。
夫はいつも、「とれたての野菜は美味しいなあ」と言っていました。

              

☆生きているうちに「後始末」を

私は夫が亡くなってから、家の中を片付けるのが趣味になりました。
ガラガラになった部屋が、いまは子猫の運動場になっています。


夫には、本を読む以外に趣味はありませんでしたし、
生前から「後始末」を考えていましたから、片付けは楽なものです。

世間には「終活」に悩まれている方が多いようですが、モノはどんどん捨てたほうがいい。
さしあたり必要な寝間着だけ、残しておけばいいのです。


それと、財産の後始末も忘れてはいけませんね。
銀行の通帳を一つにまとめておくとか、亡くなってから
くだらないことで揉めないように、準備しておかないと。


夫の介護が長びくかもしれないと思って、私は今年の1月に自前で療養ベッドを買いました。
しかし、その新しいベッドが届いた当日、
夫は入院してしまいましたので、一度も使いませんでした。
皮肉なものですね。


今、そのベッドは私が使っていて、そこでマッサージを受けたりしています。
脊柱管狭窄症なので、週に一度、麻酔のドクターに注射を打っていただいているんです。


この病気は、手術で治そうとすると、かえって悪化することもあるそうですから、
麻酔のような「姑息な手段」だけでいいんです。

その日一日を楽に生きられて、死ぬ日まで持てばいい。
今さら、根治なんてしなくたっていいでしょう。
背中が痛んでも、年をとっているのだから「道具が古くなってきた」と思えばいいじゃないですか。

             

☆多分、これでよかった

私や夫にある程度死ぬ準備、心構えができていたのは、
カトリックの教えを知っていたからだと思います。
カトリックは、子どものときから、いつも死について考えているんです。


あらゆるものは必ず死ぬ、つまり死を前提に生きている。
ですから何歳で亡くなろうとも、死ぬその日まで満ち足りて暮らした、そんな人生が最良なんですね。

ですから家族を幸せにすることは、大切ですね。
その点、夫も最後まで好きなことをした人生でしたから、多分、それでいいんです。


私自身の今後の生活について考えると、
やはり体力のある限り「書き続ける」のが自然な気がします。
美しいものや素晴らしい人生を生きる、だれかを称える「記録者」でいたいのです。


あとは、私は好きなこともありますから、死ぬまで欲を持っていたいですね。
欲といっても、きんぴらごぼうを作って、きれいなお皿によそえるような暮らしをしたい、
という程度のものですが。


夫は、他人に訓戒を垂れる人ではありませんでした。

私も何ごとも拒まず、嫌いなものは、少し遠ざけて生きられればいい。
人生の流れに抗う部分と流される部分を、自分なりに決めて生きられれば、それでいいんです。


これからは、なるべく家にものを増やさず、子猫のお母さんとして日々を過ごそうと思います。
直助は人間の言葉がわかる猫なんです。・・》

そして下段には、曽野綾子さんの略歴が掲載されていた。


----------
曽野綾子(その・あやこ)1931(昭和6)年東京都生まれ。作家。
聖心女子大学英文科を卒業後、1954年に「遠来の客たち」で芥川賞候補となり、作家デビュー。
『虚構の家』、『神の汚れた手』、『人間にとって成熟とは何か』など、ベストセラー多数。

1995年から2005年まで日本財団会長を務め、国際協力・福祉事業に携わる。
作家の三浦朱門氏とは、1953(昭和28)年に結婚。
以後、三浦氏が2017年2月3日に逝去するまで63年あまり連れ添う。

----------

注)記事の原文に、あえて改行を多くした

             

今回、曽野綾子さんはインタビューを受け、そして『夫の後始末』の各章の一部を紹介されていたが、
曽野綾子さんは一見誤解されそうな発言、表現を表面上されるが、
深く読めば、或いは行間の思い感じ取れば、曽野綾子さんの深情、信念が判ることであり、
まさに絹、木綿ではなく、紬(つむぎ)を織りなすような人、と私は深く思ったりしている。


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昼間の空は「青」なのに、夕方の空はなぜ「赤」に見えるのか、恥ずかしながら初めて私は学び、やがて苦笑して・・。

2017-10-09 16:11:51 | ささやかな古稀からの思い

先程、ライフスタイル系メディアと名高いネットの『オトナンサー』を見たりしていた中で、
【 昼間の空は「青」なのに、夕方の空はなぜ「赤」に見えるのか 】
と題された見出しを見たりした。

私は年金生活の齢ばかり重ねた73歳の身であるが、何かと無知なことが多く、
晴れ間の日は、日中は青空、そして夕暮れから夕陽が光りおび、空は赤い空に染まる、と漠然と思ってきたが、
どうしてと問われても、恥ずかしながら私は応(こた)えられなく、困苦してしまった。

そして少しためらった後、教えてょ、と思いながら記事を精読してしまった。

この記事は、オトナンサーの編集部が、
カラー&イメージコンサルタントの花岡ふみよ(はなおか・ふみよ)さんに取材されて、
纏(まと)められた記事で、2017年9月10
日に配信されて、無断であるが掲載させて頂く。

《・・昼間の空は「青」なのに、夕方の空はなぜ「赤」に見えるのか

 秋の訪れが感じられる季節で、日没が徐々に早くなってきました。

夕焼けの美しさが際立つ時期ですが、
「空」といえば、晴れた日の昼間は抜けるような青空なのに、
なぜ夕暮れの空は赤いのか、疑問に思ったことはありませんか。

毎日当たり前のように見ている空のカラーの違いには、それなりの理由があるようです。


オトナンサー編集部では、カラー&イメージコンサルタントの花岡ふみよさんに聞きました。
晴れた昼の抜けるような青空 (オトナンサーの編集部)


☆太陽光がさまざまに反射する「散乱」

花岡さんによると、無色透明に見える太陽の光には、実はあらゆる色が含まれています。

太陽光のうち、人間の目で色を感じることができる光を「可視光線」といい、
波長の長い光(赤やだいだい)から、波長の短い光(青や紫)まで、
いわゆる「虹色」の光が複合されています。

太陽光が大気圏に入ると、空気中のちりやほこり、水蒸気の分子などにぶつかって反射し、
向きが変わって、さまざまな方向へ進む「散乱」が起きます。


「波長の短い青や紫の光は、小刻みに振動しながら大気中を進みます。
そのため分子に当たる確率が高く、当たった光は、散乱して空全体に広がります。
大気中に散らばった波長の短い光を見て、私たちは空を青く感じているのです」(花岡さん)


一方、波長の長い赤やだいだいの光は、分子などの粒子に当たらず、
すき間をすり抜けていくため、ほとんど散乱しないまま地上に到達します。

人間の目は、物体に当たって反射した光を色として認識するので、
散乱せずに地上に届いた光を色として感じることはできないのです。


なお、可視光線のうち最も波長が短く、散乱しやすいのは青紫の光ですが、
量が少ない上に、人間が感じにくい色でもあり、結果的に青が目立ち、青空に見えるといいます。

 


☆夕暮れは「赤」なども散らばり始める

一方で日が暮れると、昼間は青かった空が、夕焼けで真っ赤に染まります。
なぜ赤く見えるのでしょうか。


「正午、太陽は私たちの真上にありますが、沈むにつれて少しずつ横に移動し、
地平線上に近づきます。

太陽光が空気層を通る距離は、真上よりも横の方が長いため、
今まで分子の間をすり抜けてきた波長の長い赤やだいだいの光も分子にぶつかり、
散らばり始めます。

一方、波長の短い青の光は散乱の頻度が多くなり、地面には届かなくなります。
私たちの目には、波長の長い赤やだいだいの光だけが届くため、空が真っ赤に見えるのです」


ちなみに、朝日よりも、夕日の方が赤く感じるのは、
日中の私たちの活動によって、ちりやほこり、排気ガスなどの微粒子が大気中に浮遊し、
波長の長い光が散乱しやすくなるからです。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした


私は恥ずかしながら小学生から、特に物理、化学、天文学などは劣等生で、
未だに飛行機が空を飛べるか、判らないひとりである。

こうした事情で今回の記事を読み終わって後、私にとっては難しく、理解できなかった。




しかしながら私は、日の出の前、日の出が海上を映す情景、
日中のまばゆい青空、そして夕陽が海上を染める情景、夕暮れの空を赤く染め、やがて紫色に染める、
圧倒的な震(ふる)えるような美景には、私は高校生から魅了され、
まぎれなく芸術だねぇ、と思い深めたりしている。


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『住みやすい街』、殆どの御方は、長らく住まわれた地域こそが、何よりの安息の地、と確信を深めて・・。

2017-10-08 15:16:17 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読しているネットの【ホウドウキョク 】を見ている中で、
『 住みやすい街を見つけるポイントは? 「転入超過」になる街のヒミツ 』と見出しされた記事があり、
齢ばかり重ねた私でも、好奇心が衰えず、こっそりと記事を精読してしまった。

やがて驚いたことには、私が住む調布市が『住みやすい街』のひとつに選定され、
微苦笑させられたりした・・。

この記事は10月8日に配信され、
無断であるが記事の前半を転載させて頂く。

《・・住みやすい街を見つけるポイントは? 「転入超過」になる街のヒミツ  

☆「転入超過」で注目の街は調布市

住みたい街ランキングには毎年、吉祥寺や恵比寿、横浜などとおなじみの街が並んでいる。
しかし実際に住む街は、どんな街が適しているのだろうか。

グラフで見るとよく分かる転入超過の量

今回のキーワードは「転入超過」。
出ていった人より、入ってくる人の数が上回っていることを意味する言葉だ。

今年1月に総務省が発表した「人口移動報告」によると、
東京都内で「転入超過数」が多かった街のトップ10はこちら。


【転入超過が多い自治体(都内・2016年)】
1位:世田谷区
2位:中央区
3位:大田区
4位:板橋区
5位:杉並区
6位:港区
7位:品川区
8位:調布市
9位:葛飾区
10位:墨田区
(総務省「住民基本台帳人口移動報告」より)

世田谷区や大型マンションの建設が続く中央区などが並ぶ中、23区以外で唯一ランクインしたのが、8位の調布市。
新宿駅から調布駅までは快速で29分、特急だとわずか15分の、人口23万人の緑豊かな街だ。

この調布市、2014年は転入より転出の方が多かったが、
2015年には転入が上回り、2016年は倍近くにまで増加している。

☆調布市の転入超過が多いワケ

住まいと街の専門家・中川寛子さんによると、調布市の転入超過数が多い理由は、大きく以下の2つだ。


理由1【鉄道地下化&新スポットによって街が活性化】

渋滞解消などを目的に、元々は地上にあった調布駅とその前後の線路を地下に移し、その工事が2年前までに終了。

跡地の開発で、9月29日には大型ショッピングモール「トリエ京王調布」がオープンした。
11スクリーンもある大型シネコンが中にあり、オープン直後の土日は大盛況だったということだ。

これを中川さんは「新しいスポットができ、街が活性化するという期待感が、
調布市への人口の流入を促した大きな要因」と分析している。




理由2(駅の近くに病院があり、公共施設も駅周辺に集約】

調布市民が対象のアンケートによると、約8割の人が
調布市に住み続けたいと考えていることが分かっている。


理由は、住みやすさ。

調布駅から徒歩3分の場所に病院があり、市役所などの公共施設も
駅周辺に集約されていて、とにかく便利なのだ。


また、大学がいくつもあり、常に新しい人が出入りすることから、
街自体が変化に対して適応能力が高くなり、住民のニーズに答えた新しいサービスが起こりやすいと、
中川さんは指摘する。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした

              

私たち夫婦はお互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂き、程ほど貯金を取り崩しながら、
ささやかに過ごしている。

私たちは東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
住宅街が広がる中で、少しばかり広い雑木の多い小庭の中、築後39年の古惚けた戸建に住んでいる。

そして私の生家も近くにあるので、私自身としてはこの地域に住んで、早や67年が過ぎている。

最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分である。
或いは小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となり、
そして私が長年通勤で利用した『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。

いずれの最寄駅までの路線バスの利便性は良い所で、たとえば都心の新宿のデパートに買物に行っても、
電車を利用すれば、我が家よりデパートの店内に45分ぐらい、
或いは東京駅でも我が家から一時間前後となっている。

                

私は民間会社の中小業のある会社で35年近く奮戦し、2004年(平成16年)の秋、定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めたが、平素の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。

そして家内から依頼された品を求めて、私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。

そして買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。
       
そして70代の三年生して、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、
ときおり願いながら歩いたりしている。

             
          
過ぎし私の40代の頃、ひとつの夢を漠然とし考えたりしたことがあった。

私たち夫婦が住んでいる住宅街のそれぞれ住宅が密集し、ともすれば何かしら息苦しい住宅街より、
解放感のある地方の山里に、と想いを馳せたりした。
       
たとえば八ヶ岳の別荘地の分譲地などで、のんびりと生活することを夢想したりした。

しかしながらこの当時の私は、都心に通いサラリーマンの身であるし、
住んでいる一戸建ての住宅ローンも多額に残っていたので、
もとより収入を別途に挙(あ)げる自信はなく、夢だよねぇ、断念した。

             

やがて50代の後半になると、山里に300坪前後の土地を求め、
クヌギ、コナラなどの落葉樹の中、平屋建ての30坪ほどに住むことも考えたりした。

この当時は住宅ローン等の返済を終えていたので、
定年退職する60歳になった時は、自宅を売却して買い求めて、
老後の生活資金を配慮した場合でも、何とか出来ると思ったりした。
          

こうした私の根底には、私の住んでいる近くに私の生家もあり、
私は1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受けた。

そして私が小学校に入学した1951年(昭和26年)の春の当時、
祖父、父が中心となって、小作人だった人たちの手助けを借りて、程ほど広い田畑などを耕していた。

或いは祖父の所有していた広い田んぼの中には、小さな川が流れたり、
湧き水もあり、竹林、雑木林が母屋の周辺にあった。

そして母屋の宅地のはずれに土蔵、物置小屋と称した納戸小屋が二つばかりあり、
はずれに小さな稲荷を保有して、この地域の旧家は、このような情景が多かった・・。

このような生家は、周辺は平坦な田畑、竹林、雑木林などが拡がり、
少し離れた周辺はゆるやかな丘陵であり、国分寺崖、と学校の先生たちは称していた。

その後、私が1953年(昭和28年)の小学2年の三学期に父が病死し、
翌年の1954年(昭和29年)の5月に祖父も他界され、
生家は大黒柱の2人が亡くなり、没落しはじめた・・。

そして1955年〈昭和30年〉の頃から、都会の人たち達が周辺に家を建てられ、
私が小学校を卒業した1957年(昭和32年)であるが、
この頃になると都心に勤める方のベットタウンとなり、新興の住宅街に大きく変貌した。

                    

私は消えてしまった故郷の情景、時代の変貌に戸惑いながらも愛惜感を秘め、
このような私の思い、漠然とした山里に平屋建ての生活を家内に相談したら、
日常生活の買物、交通・病院などの利便性から、反対された。

『貴方の好きな本屋さんだって、今は歩いて行ける範囲ょ・・まして、スーパーなどの買物だって・・』
と私は家内に言われたりした。

やがて具体的に指摘されれば、私は確かに好きな音楽CDとか、映画のDVDを購入する店、
或いは本屋に寄って、単行本、新書本、文庫本、雑誌コーナーを見て、興味を持ったのに手を取ったりして、
やがて買い求めたりする空気が好きで、ここ50年の習性のようになっている。

そして時折お洒落(しゃれ)た居酒屋に入店して、知人と談笑するも欠かせなくなっている・・。

『貴方、60代の心身元気なうちは良いけれど、70代頃からの身体が弱ってきた時の事も考えて・・』
と私は家内に言われたりした。

確かに山里に住めば、自動車は必須事項だし、買物も一週間まとめて購入し・・と思ってきたが、
身体の弱った時の通院、そして都心の郊外の文化と利便性には勝てない、と断念した。

             

こうして私の淡き夢も消え、定年退職後の年金生活の中、住宅街の密集地から抜け出して、
我が家より3キロ範囲の遊歩道、小公園、公園などをひたすら歩き、
季節のうつろいを享受したりしてきた・・。

或いは家内との共通趣味のひとつの国内旅行で、各地域の観光ホテルに滞在して、
周辺の山里、街はずれ、街中を歩き廻り風土、文化を学び、
その地の景観に心身共にゆだねて、遊学したりしている。

                       

我が家は、私が定年退職する数年前、雨戸、外壁、垣根、門扉など最小限にリフォームをしたりした。

そして昨今、古惚けてしまった家に住んでいるが、少しペンキが剥がれかかった窓枠などを見たりして、
たとえ家を建て直すと、少なくとも数千万円を要し、老後資金が乏しくなり、
訪れたい国内の各地にも旅行費の捻出に、困苦すると思われるので、やむなく私は微苦笑したりしている。

そして我が家の固定資産税は土地が毎月3万円ぐらい、老朽化した家は毎月5千円ぐらいと評価され、
四半期毎に納入しているが、当面この状態で過ごしたいよねぇ、と私たち夫婦は話し合いながら、微苦笑したりしている。

こうした中、私たち夫婦は、年に数回は都心のデパートに買物に行ったりしているが、
私たちは人出多い中、齢を重ねるたびに苦手意識となっている。

そして帰路、最寄駅のひとつ『成城学園前』駅で下車した後、
付近の食事処で遅い昼食を頂きながら、ほっとしているのが実感となっている。

何よりも安楽なことは、自宅の居間で小庭の春夏秋冬を明晰に表現してくれる落葉樹を眺めながら、
私たちは談笑したりする時である。

             

このような心情を重ねてきた私は、今回の記事で、
たまたま私が住む調布市が『住みやすい街』の選定されたが、
殆どの御方は、長らく住まわれた地域こそが、それぞれの過ごしてきた出来事の数多くの思いもあり、
愛惜も加味され、その御方ご自身が何よりも安楽な地、と私は感じ深めている。


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ご自身の年齢に七掛けで・・、年金生活14年生の私は教示されて、やがて微笑返し・・。

2017-10-07 13:22:29 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の73歳の身であるが、
過ぎし9月30日に、私がサラリーマン時代に勤務していた『OB懇親会』に、
私も出席して、数多く先輩、同僚、後輩などと、談笑をして交流を深めたりした。

そして数人から、XXさんは感性もお若いですょ、と私は言われたりした。
私は照れながら、テレビ朝日の『じゅん散歩』で主演されている高田純次さんが、
私の当面のライバルです、とワインの勢いに乗(じょ)じて、私は応じたりした。
            
或いは女性グループの中で談笑している中、たまたま音楽の話題となり、
『いきものがかり』を定年後に偶然に聴き、
何かと吉岡聖恵(よしおか・きよえ)ちゃんの歌声に、励まされていますょ、
特に『YELL(エール)』は、高齢者の私でも心身のビタミン剤ですょ、と私は言ったりした。

こうした中で、私は82歳になる大先輩とお逢いでき、
『お元気そうで何よりです・・』
と私は先輩に挨拶を切り出して後、数分ぐらい談笑した。

そして先輩は、ご自身の年齢に七掛けで生活すれば、何とか心身溌剌として、過ごせるょ・・、
このような精神年齢の意味合いのことを私は教えられたりした。

やがて私は帰宅後、82歳になる大先輩から教示された、年齢に七掛け、が甦(よみが)り、
こっそりと計算機を取り出して、私は73歳X0.7=約51歳・・、と算出され、
51歳かょ・・と驚きながら、いくらなんでも体力の衰えを実感している私は、独り苦笑したりした。

過ぎし3日前、散策した帰路の中、ご近所の奥様とお逢いして、
いつもように私は明るく微笑みながら談笑したりした。

やがてお別れする時、XXさんはお歳より10歳ぐらいお若いわ・・、
と私は奥様より社交辞令のお世辞を頂いたりした。

こうしたことを私は思い浮かべて、七掛けには敗退してしまうが、
73歳よりマイナス10歳だったら・・と何かと単細胞の私は、やがて微笑んだりした。

             

       
私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年(平成16年)の秋に定年退職後、
その直後から多々の理由で年金生活をし、早や年金生活14年生となっている。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、
そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

ときおり私は60代の10年間の年金生活を振り返る時は、
ここ8年前の頃から、世の中の数多く60代の諸兄諸姉は、人生の苦楽を重ねた後、何かと安堵しながら、
セカンド・ライフに於いて、身も心も溌剌と過ごせる人生の黄金時代と称せられるゴールデン・イヤーズの中、
数多くの知人、友人から何かと嬉しい、楽しげな便りを数多く受けたりしてきた・・。
           
そして私も過ぎ去った60代の年金生活の10年間の日々は、
つたない定年まで半生から比べれば、私の人生の中で何より安楽な時代、
と思い重ねたりして享受し、大病に遭遇せず、70代も継続している・・。

             

過ぎし昨年の『OB懇親会』の時、私は現役サラリーマン時代に何かとお世話になった上司に、
『在籍中は、何かとご迷惑ばかりお掛けしまして・・』
と私は上司だった御方に挨拶を切りだしたりした。

やがて談笑をしたりした後、最後に、
『貴方が60代の年金生活は安楽だったことは、良く分かったが、
殆ど多くの60代の人たちは、それぞれ実感しているからねぇ・・
やがて70代からの晩秋期からは、いろいろあるから大切にねぇ・・』
と80歳を迎えた上司だった人から、この当時72歳の私は激励されたりした・・。

            
           
私は年金生活を始めて2年過ぎた時、会社時代のOB懇親会が開催され、
私は御世話になった16歳上の大先輩と談笑していた中、
『年金生活の中、病気になって病院にお金を運ぶか、
或いは自身の好きな趣味に使うか・・人それぞれだよねぇ・・』
と私は言われたりした。

そして私は『確かにセカンンドライフを過ごす中、天と地ですよねぇ・・』
と私は漠然としながら応じたりした。
             

私が現役サラリーマンで奮戦している50代の時、同僚が病死されたり、
そして知人は定年前の59歳で病死し、残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。
           
やがて私は2004年(平成16年)の秋に定年退職した後、
年金生活を始め、やがて62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
       
まもなく、知人のひとりの奥様が病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
  
やがて私は高齢者入門の65歳を過ぎてから、心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、
恥ずかしながらうろたえたりした・・。

そして70代となれば、多くの人は体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。

もとより70代、80代の私より年上の御方でも、心身溌剌と過ごされている方達も、
近所にいる御方、知人に多くいることも、私は知って、少しでも学ぼうとしている。
            
ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、
私は震撼させられたりしてきた・・。
             

このように不運にも60代で、この世とお別れをする御方はいるが、
殆ど人は、誰しも自身のそれぞれの願いを叶えたく、その人なりの自助努力で、
心身ともに自立して健康を配慮して過ごされ、セカンドライフをそれぞれ享受して過ごされている。

            

長寿社会の中、私は健康寿命と平均寿命に関して、
遅ればせながら過ぎし高齢者入門となった65歳の時から、強く意識を始めたりした・・。

厚生労働省の「平成25年簡易生命表」などによれば、
男性は健康寿命は71.19歳、そして平均寿命は80.21歳、
女性は健康寿命は74.21歳、そして平均寿命は86.61歳、と公表されてきた。

そして平均寿命と健康寿命の間には、男性で約9年、女性で約13年の差があり、
それぞれ人生の晩秋期として、何よりも悩ましい難関の期間となる。

もとより健康寿命は、健康上の問題がない状態で日常生活を送れる期間であり、
やがて要支援・要介護状態となり自立度の低下や寝たきり、終末期となる。

そして誰もが最後まで、健康で心身溌剌とした生活を送りたいと念願して、
自助努力されて過ごされている、と私は深く感じたりしてきた。

昨今、75歳以上の男女は 体力が過去最高に向上された、と私は感じ、微笑んだりした・・。
そして平均寿命が延びて、行動的な高齢者が増えつつある中、
20数年前より、多くの御方が5歳~10歳ぐらい若返りになっている、と私は感じたりしてきた。

            

私は年金生活を始めた当初から、私は午前中の殆どは、平素の我が家の買物として、
家内から依頼された品を独りでスーパー、専門店で求め、買物メール老ボーイとなっている。

この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりして、
季節のうつろいを享受している。

こうした根底のひとつとして、何よりもいつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩くことが多くなっている・・。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、年金生活を過ごしている。

私たち夫婦は幸運にも、これまで大病に遭遇せずに、年金生活を過ごしてきた。

そして私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビール、或いは水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行を私たち夫婦は重ねてきたが、旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、
話しかけて談笑したりしている。
            
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

                          
                                             
このように年金生活を過ごしているが、『生きがい』が最優先であり、そして『健康』であり、程ほどの『お金』が、
私の年金生活の三種の神器かしら、と思いながら過ごしてきている。

やがて70代の後半か80代か判らないが、いつの日にか、この世とお別れになるが、
もとより自助努力も肝要であるが、こればかりは神様か仏様の采配に寄る、と漠然と思いながら、
過ごしている。

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コメント (2)
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『希望の党』消費増税の凍結、社会保障費の財源不足は、当面は国有財産の売却!?で対応、私は知り、微苦笑を重ね・・。

2017-10-06 14:11:08 | ささやかな古稀からの思い

過ぎし4日、小池百合子東京都知事が率いる希望の党は、
衆院選公約の原案で、2019年10月に予定されている消費増税に対し、
凍結する方向で最終調整している、と私はニュースで学んだりした。

もとより増税を見送れば、社会保障費の財源不足が深刻化するのは避けられないが、
凍結した場合、社会保障費の財源不足はどうするよ、と私は素朴に疑問を感じたりした。

今朝、ある民間テレビ局のワイドニュースを私は視聴していた中で、
新党「希望の党」は、衆院選の政権公約の発表が実況中継された。

そして小池百合子代表を公表される中で、消費増税は凍結、と大きなパネルを掲げられて、
この下には、国有財産の売却、と明記されていた。

『一般国民に好景気の実感はなく、前回の消費税増税が消費に与えた影響が多く、
19年10月の消費増税は、強行すると景気が失速する可能性が高いため凍結するを考えるべきだ。

そして団塊の世代が、後期高齢者のお仲間入りする2025年度までに、
色々と(社会保障費の財源不足)総合施策で対処したい・・』

このような意味合いの言葉をのベられた・・。

この後、ある民間テレビ局の放送は中断して、CMタイムとなった。

             

ぼんやりと私は視聴していたが、やはり私は年金生活の身であり、
社会保障制度の年金、医療、介護などに関しては、切実なことであり、
社会保障費が逼迫することは困苦されるし、財源不足の対策に注視してきたりした。

そして、今回、『希望の党』消費増税の凍結に伴い、
社会保障費の財源不足は、当面は国有財産の売却で対応、と私は知り、やがて微苦笑させられたりした・・。

             
             
過ぎし5年前の当時は、少子高齢化が加速する中、年金、医療、介護などの社会保障費は毎年一兆円が増加し、
昨今は日本の借金は1100兆円を超えている、と新聞、テレビのニュースなどで報じられ、
無力な年金生活の私は、憂いたりしていた。

しかしながら日本の借金は1100兆円は、実質は遥かに低く実質的に借金は150~200兆円程度、と学んだのは、
2015年の12月下旬てあった。

何かしら1980年、大蔵省(現財務省)入省、理財局資金企画室長、内閣参事官など歴任され、
小泉内閣、安倍内閣では 「改革の司令塔」として活躍され、2007年には財務省が隠す「埋蔵金」を公表し、
政策シンクタンク「政策工房」会長、嘉悦大学教授の高橋洋一さんのひとつの寄稿文を学んだりした。

この高橋洋一さんの寄稿文は、【「日本の借金1000兆円」はやっぱりウソでした
       ~それどころか…なんと2016年、財政再建は実質完了してしまう! この国のバランスシートを徹底分析 】で、
私が愛読している講談社の基幹サイトのひとつの【現代ビジネス 】で、多々教示されたりした。

そして私は、大手メディアの新聞、テレビなどは日本の借金は1100兆円を超えている、と報じられているのは、
財務省が国の財政が悪化し、これからも支出の多くを占める社会保障費に危惧して、
資産合計を抜きにして、負債合計だけの1171.8兆円を声高に公表されている、と感じたりした。

そして悪しき表現で明記すれば、財務省は社会保障費は殆ど使用する高齢者を人質に、
消費税など増税しないと財政危機になりますょ、そして年金は激少したり、医療、介護も低下しますょ、
と私は思い馳せて、苦笑させられた。

或いは財務省は、省内の権益の拡大、天下り先の確保なども含めて、どうして無知な国民を翻弄させるのょ、
と小心者の私は微苦笑したりした。

                          

この後、難題の財政に関しては、敬愛している高橋洋一さんの著作『日本はこの先どうなるか』(幻冬舎新書)を購読し、
根本的に歳入庁を創設すれば増税の必要がなくなり、或いは多々の施策を実施すれば財政健全化が図れる、
と私は学んできたので、あとは厚労省、そして財務省、政府の判断と私は感じたりしてきた。


そして今年の6月、髙橋洋一さんの対談集『勇敢な日本経済論』(講談社現代新書)を購読した。
お相手は、丸紅を経てウォールストリートへ。
モルガン・スタンレー、ABNアムロ等を経て投資銀行家のぐっちーさん(山口正洋さん)であった。

こうした対談の中で、国有財産(資産)の売却、語られていて、転記させて頂く。

《・・ 

日本の借金は1100兆円を超えている、と報じられているのは、嘘・・と解明した後、

                           

ぐっちーさん(山口正洋さん)
普通の企業で考えたら、会社が潰れるほど危機的な状況なら、まずは関係子会社を整理しますよね。

本当の危機ならリストラを考えるはず。


髙橋洋一さん
でしょう? 借金と資産の両方を減らし、財務をスリム化していくのが世間の常識だよ。

それだけで財務体質が強化される。

ところが、それは絶対にやろうとしない。
天下り先の民営化なんて、猛烈に抵抗されるわけ。
つまり、それほど危機的じゃないんだ。

海外の連中からもよく言われるよ。
「日本政府は全然、危機的じゃない。だって、何ひとつ売ってないじゃないか」って。

ぐっちーさん(山口正洋さん)
どこの国でも、ピンチのときは、なりふり構わず売りますもんね。

ギリシャだって財政再建のために、最大の港ピレウスを中国に売った。

髙橋洋一さん
他にも、エーゲ海の島を売ったりね。

郵便局とか競馬場とか、カジノに水道局も売ってる。
ピンチなら政府資産を切り崩すのが当然なんだよ。

ぐっちーさん(山口正洋さん)
日本人は、けっこう誤解してるところがあって。

例えば国が保有してる建物を売ったとしても、所有権を売るだけだから、
使用料を払えば、その後も居続けることができるんです。

海外ではけっこう当たり前だし、日産自動車も工場用地をいったん売却してますよね。
工場用地を証券化して売り、使用料を払って使い続ける。

髙橋洋一さん
所有権だけ売却して、そのまま借りればいいんだ。

それに、仮に官舎が移転したからって、特に問題は起きないと思うよ。

イギリスなんか、中央省庁の住所がよく変わるの。
政府が所有するビルを証券化して売ってるんだ。

ぐっちーさん(山口正洋さん)
政府がたくさんの資産を持つことに対して、欧米では、国民が許さないんだと思いますよ。

そういう文化がある。

だって、そもそもで考えたら、政府が大量の資産を持つ必要なんてないもん。
むしろ国や政府が、際限なく大きくなっていくことに対して、欧米では嫌悪感のほうが強いと思う。

             

髙橋洋一さん
日本ってね、政府資産のGDP比が130%ぐらいあるの。

他の先進国に確認したんだけど、20%ぐらいが普通だった。
いかに飛び抜けて多いかわかるよね。

海外の人に「なんで持ってないの?」と聞いたら、
「そもそも政府が持つ必要ないじゃん。なんで持ってるの?」って逆に聞かれた。

そりゃ、そうだよね。
政府活動するのに、そんなに資産は必要ない。

ぐっちーさん(山口正洋さん)
財務省は「借金の額が、世界的に飛び抜けている」と繰り返すけど、

「世界的に飛び抜けてるのは、政府資産のほうだった」というオチだ(笑)。

髙橋洋一さん
海外に比べて、人口当たりの公務員数が少ないから、日本は大きな政府じゃないって意見があるでしょ。

それはその通りなんだ。

ところがね、政府資産で見ると、とんでもなく巨大な政府なの。
しかも、政府資産が大きいぶん、官僚一人当たりの権限が、他の先進国の何倍も大きくなるわけね。


ぐっちーさん(山口正洋さん)
他国に比べて、日本はものすごく余裕があるわけですよ。

政府資産のスリム化を迫られてないんだから。

             

髙橋洋一さん
私は官邸にいたときに、国の資産を売ろうとしたんだけど、無理だった。


だから最近は、小池百合子(東京都知事)さんに言ってる。
東京都だって、30兆円もの資産を持ってるんだよ。

うなるように土地があるんだから、それを売れば、すぐお金はできる。
役立たずの役人が囲い込むより、よっぽどいいって。

ぐっちーさん(山口正洋さん)
首都の土地の効率的利用につながりますもんね。

髙橋洋一さん
だけどさあ、役人は資産売却を嫌がるんだよなあ。


私ね、大蔵省で国有財産の管理をしてたこともあるの。
公務員宿舎とか面倒くさくてさあ。

ぐっちーさん(山口正洋さん)
僕ら民間の人間からすると、なんで公務員だけは、一緒に住まなきゃいけないのか、

意味がよくわからないんですよ。

リスク管理の面でも、テポドンとか飛んできたら、全滅しちゃう。
むしろ分散して住むべきじゃないんですか。

髙橋洋一さん
普通の民間アパートや民間マンションに住んだらいいよねえ。

それで住宅手当を出せば。

あるいは、公務員宿舎の土地をすべて民間に売って、
そこに高いビルを建ててもらい、その一部分だけ借りるとかさ。

都内の一等地に3階建ての公務員宿舎なんて、非効率の極みでしょう。
民間が高層ビルを建てて、テナントとかコンビニとか入れるほうが、住人以外の人も喜ぶじゃない。

ぐっちーさん(山口正洋さん)
そう思いますよ。それに、もうひとつ大きなプラスがある。

そこにビルを建てた民間企業が儲かれば、税金がとれる。

財政にも寄与するわけです。
民間に放出することで、民間だけでなく政府だって得をするわけです。
役人が抱え込むなんて、非効率の極みでしかない。

             

髙橋洋一さん
だけど、資産売却すると言ったら、猛反発を食らうのよ。

官邸にいたときは、少し実現しただけで、ほとんど何もできなかった。

ぐっちーさん(山口正洋さん)
どうしてそこまで、公務員宿舎に固執するんですか?

髙橋洋一さん
私にも、わからないよ。

だけど、公務員宿舎を管理する人間だけで、2000人ぐらいいるから、
その人たちの雇用の問題になってきちゃうのかな。(略)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

こうしたことを私は学び、国民の共有財産である国有財産、国有資産を有効活用をすれば、
国民も時の政府も悦ぶ、と私は微苦笑したりした。

そして髙橋洋一さん《・・最近は、小池百合子(東京都知事)さんに言ってる。
東京都だって、30兆円もの資産を持ってるんだよ。

うなるように土地があるんだから、それを売れば、すぐお金はできる。
役立たずの役人が囲い込むより、よっぽどいいって・・》

こうして
アドバイスを受けた小池百合子(東京都知事)さん
は、察知能力が優れている御方なので、
社会保障費の財源不足は、当面は国有財産の売却で対応することを、思いついたのかしら、
と私は微苦笑したりした。

しかしながら国有財産の売却となれば、財務省はじめ各省庁で、激しい抵抗が予測されると思うが、
こうした事態には、有権者、特に高齢者は社会保障費の財源不足を解消するひとつの策に、
強力に支援する責務があるよねぇ、と私は妄想したりしている。

             

こうした投稿文を認めた後、午後のニュースで、
新党「希望の党」は、衆院選の政権公約の発表が報じられていた。

そして社会保障費の財源不足に関しては、
代替財源については、約300兆円もの大企業の内部留保の課税を検討する、
と報じられていた。

しかしながら、民間会社の大企業の内部留保は、更に経済を成長軌道に乗せる為に、
設備投資や賃金の増加につなげる重要であるが、個人消費の低迷で、設備投資が果敢に投資できない、
と私は思われ、社会保障費の財源不足に対して、民間会社の内部留保の課税するのは、おかしななことである。

そして私は今朝9時過ぎに実況中継された中で、消費増税は凍結、と大きなパネルを掲げられて、
この下には、国有財産の売却、と明記されていた、こうした事は私がボケたかしら、と微苦笑したりした。

やはり国有財産の売却は、財務省はじめ各省庁で、激しい抵抗よりも、
何かと国家権力に弱い民間会社の内部留保の課税するのは、ずるいよなぁ、と中小業に勤めていた私でも、
微苦笑したりしている。

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社会保障費の現状と今後、高齢者の私は改めて学び、やがて溜息ばかり重ねて・・。

2017-10-05 16:13:56 | ささやかな古稀からの思い

今朝、配達された読売新聞の朝刊を見たりした中、
8面の『経済』面に【 [Q]社会保障費 現状は 】と見出しされ、
副題として【 年々膨張 32.4兆円 】と掲げられていた。

私は73歳、家内はまもなく68歳になる身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれずたった2人だけの家庭であり、
そしてお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中、社会保障制度の年金、医療、介護などに関しては、
年金は生活費の基盤であり、医療に関しても何かと病院に通院しているし、介護はいつの日にかは、お世話になると思われ、
我が家にとっては切実なことであるので、精読した。

私は読売新聞は、48年ばかり購読しているよしみに甘えて、無断ながら記事を転記させて頂く。
             

《・・[Q]社会保障費 現状は  年々膨張 32.4兆円

 
国の社会保障費の現状は。


2017年度一般会計当初予算の社会保障費は過去最高の32・4兆円で、
歳出総額(97・4兆円)の3分の1を占める。

政府の大きな支出項目である公共事業費(5・9兆円)と文教・科学振興費(5・3兆円)、
防衛費(5・1兆円)の三つを合計しても及ばない規模だ。

社会保障費の内訳は、医療11・7兆円、年金11・6兆円、介護3・0兆円などとなっている。

高齢化が進んでいることなどから、予算額は年々、増え続けている。
過去20年間では2倍超まで膨張している。


社会保障費の抑制に向けた具体的な取り組みは。


2012年12月に発足した第2次安倍内閣は、2015年6月に閣議決定した財政健全化計画で、
2016年度から2018年度までの3年間で
社会保障費の伸びを合計1兆5000億円(年5000億円)程度に抑え込む目標を掲げた。

これまでに、高額薬の薬価引き下げや一定所得のある70歳以上の医療費自己負担の上限引き上げなどを実施した。
2016年度と2017年度予算では、それぞれ5000億円程度への抑制を達成しており、
今年末に編成する2018年度予算案でも目標をクリアできるかが焦点だ。


社会保障費の伸びの抑制だけで、制度は維持できるのか。


年金や医療、介護など社会保障制度を通じて、国民が受け取るお金やサービスの財源は、
主に国民や事業者が支払う社会保険料と、国や地方自治体からの公費などで賄っている。

国が負担する分は、税収だけでは賄い切れないため、
巨額の国債を発行し、将来世代にツケを先送りしている。

現在の社会保障制度で、受け取るお金やサービスを将来も維持しようとすれば、
その財源として、消費増税や社会保険料の引き上げなどは、避けて通れない課題だ。・・》

             

こうした記事であり、9面には、【 社会保障 見えぬ財源 】と大きく見出しされて、
【 負担増 各党議論避ける 】と副題が掲載されていた。

記事の大半を転記させて頂く。

《・・社会保障 見えぬ財源  負担増 各党議論避ける 

10日公示・22日投開票の衆院選を控え、社会保障を巡る政策論争が深まらない。

少子高齢化が進む中で、日本の社会保障制度を将来にわたって、どう維持していくのか。
各党とも新たな子育て支援などを打ち出すにとどまり、
国民の負担増や給付の削減といった痛みを伴う改革は避けている。

国の財政運営を議論する4日の政府の有識者会議では、社会保障改革の停滞に強い危機感が示された。

☆めど立たず

国の財政運営のあり方を提言する財政制度等審議会(財務相の諮問機関)は
4日、社会保障を巡り議論を交わした。

「(戦後間もなく生まれ、人口の多い)団塊の世代が、
後期高齢者になり始める2022年度までに、社会保障改革を済ませておく必要がある」
「長期的に見ると(社会保障の)負担の担い手が少なくなっていく」

会合後に記者会見した田近栄治・成城大特任教授によると、こうした意見が委員などから出た。

政府は、毎年の予算で、高齢化に伴う社会保障費の伸び(自然増)を
年間5000億円程度に抑える目標を掲げている。

2018年度は、6300億円の自然増を見込んでおり、
年末までの予算編成作業で、1300億円程度を削減する必要がある。
2018年度の診療報酬と介護報酬の改定で、1300億円の大半を稼ぐ算段だ。

もっとも、衆院選の結果次第では、当面の社会保障費の抑制が、一段と難しくなる恐れが出ている。

自民党は、衆院選公約で待機児童の解消に向け、
2020年度までに32万人分の保育の受け皿を整備することを掲げている。

選挙後に編成する2018年度予算案で、公約の3分の1に当たる10万人分を手当てしようとすると、
500億円の国費が必要になるとみられる。
しかし、財源のメドは立っていない。

             

☆持続可能性

中期的には、社会保障費の抑制は、格段に難しくなる。

厚生労働省は、団塊の世代すべてが75歳以上になる2025年度には、
医療費が2015年度の1・4倍、介護費は2・1倍に膨らむと試算する。

社会保障の持続可能性をどう確保していくのか、待ったなしの課題だ。
将来の社会保障について各党は、衆院選でどのような考えを打ち出しているのか。

自民党は
「子育て世代への投資を集中することで、全世代型社会保障へと大きくカジを切る」と訴えている。
ただ、年金や医療など高齢者向けの給付には切り込まずに、
若い世代向けの歳出を増やせば、財源不足はさらに加速する。

消費税収は<社会保障費を支える重要な財源だ。

小池百合子東京都知事が率いる希望の党は、
4日に判明した衆院選公約の原案で、2019年10月に予定されている消費増税に対し、
「反対」とする方向で最終調整している。

立憲民主党の枝野幸男代表は
「現下の経済状況で予定通り(増税を)実行することは、国民の理解を得られない」
と消費増税の凍結を検討している。

増税を見送れば、社会保障費の財源不足が深刻化するのは避けられないが、
両党が対応策を明確に示しているとは言い難い。

結局、国債の増発で財源を賄い、将来世代へのツケが増える恐れがある。

法政大の小黒一正教授は、
「衆院選で、各党とも有権者に不人気な政策を避けている」と指摘する。

そのうえで「2020年度以降は、東京五輪後の景気の変動や、
団塊世代の高齢化など急激な社会の変化が見込まれる。
早急に社会保障の改革に道筋をつけるべきだ」と警鐘を鳴らしている。・・》

             

こうした記事を私は読みながら、幾たびも溜息を重ねたりしたいる。

私は年金生活を丸13年過ごしてきた中で、厚生年金は削減されてきたし、
今後も減ることが予測されている。

その上、長生きをすれば介護はもとより、貯金も減るばかりで、不安を秘めたりしている。

このような事情で、身勝手な思いとして、年金、医療、介護などが、
予測した以上に私・高齢者に負担となれば、やむなく時の政権に、衆、参院選で、
反対票を投じるかも知れない。

こうした私と同じような高齢者は、みんなで渡れば怖くない、古来からの哲学を、
もっとも恐れるのは、国会議員諸兄諸姉である。

国会議員諸兄諸姉は、国民の税金で高収入、高待遇であるが、
落選すれば、私と同じような国民のひとりとなる。

こうした理由から、整然として今後の社会保障のありかた提示し、
やむなく国民に対して、今以上負担が必要と思われるが、落選、党の衰退を恐れて、
明記できないでいる。

そして国会議員諸兄諸姉、私たち高齢者の多くは、こうした難題を避けて、
なるべく現状維持を要望している、と私は思い重ねたりしている。

             

ただ強(した)たかで元気なのは、財務省と厚生労働省かしら、と私は妄想したりしている。

昨年、ネットの【マネーポストWEB】の中にある『暮らしのマネー』を見ている中で、
【 年金の負担増サイクル 現役→高齢者→低所得者の順に回す 】と題された見出しを見た・・。

この記事の原文は、『週刊ポスト』の昨年の2016年12月16日号に掲載された記事のひとつであり、
関連ネットの『マネーポストWEB』で昨年の2016年12月8日に配信されていたが、
無断ながら大半を転載させて頂く。
             
《・・年金の負担増サイクル 現役→高齢者→低所得者の順に回す
         
☆「世代間格差是正」を名目に、現役も高齢者も負担を増やす

「高齢世代と現役世代の格差を是正する」
厚労省はそう掲げて、今国会に年金減額法案を提出、与党の強行採決で衆院を通過した。

物価が上昇しても、現役世代の平均賃金が下がれば、年金受給者に払う年金額を減らす内容だ。
当然、受給者の生活は苦しくなる。

だが、それで現役世代が楽になるわけではない。
この間、サラリーマンの平均賃金は下がり続けているのに、
厚生年金保険料はこの9月から大幅に引き上げられ、
月収30万円の人は年額約1万3000円(労使合計)もの負担増になった。

年金役人は、まず現役世代の保険料を上げ、
それに不満を持つ現役サラリーマンに、“高齢者はもらいすぎ。不公平だ”とささやいて、
高齢者に怒りを向けさせ、世代間の争いをつくり出して、次に高齢者の年金をカットしようとしているのだ。

             

☆現役→高齢者→低所得者の順に回す“負担増サイクル”

経済ジャーナリストの荻原博子氏の指摘は鋭い。
「政府は社会保障を負担させる相手を3つに分断して、順番に回しているように見える。
まず現役世代の負担を増やし、次に高齢者、続いて低所得者を標的にする。

そうやって互いに敵対させることで、国への不満を巧妙にそらしながら、
結局はみな負担が重くなっていくわけです」

医療・介護の負担増がそれと同じやり方だ。
今年(2016年)、現役世代(40~64歳)が負担する介護保険料は、
過去最高の月額5352円(全国平均)まで上がった。

すると、厚労省は高齢者へと標的を変え、
来年度から高齢者が介護給付を受ける際の自己負担を1.5倍(2割→3割)に引き上げる構えだ。

さらに75歳以上の低所得者の健康保険料(後期高齢者医療制度の保険料)軽減措置を来年度から
段階的に廃止する方針を検討しており、実施されれば保険料が2~10倍にハネ上がる。

まさに現役→高齢者→低所得者の負担増サイクルだ。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は何かと働いて下さる現役の諸兄諸姉に注視するのは、
もとより日本の社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用は、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実からでもある。

そして私は確か5年前の頃、働いて下さる現役世代の男性の民間会社に勤めている正社員の人たちが、
平成9年( 1997年〉の時点から、年収が横ばいと知り、無力な私は悲嘆した・・。

こうした中で、少子高齢化が増す社会となり、年金、医療、介護などの社会保障費は膨張し、
やむなく年金の削減、医療、介護の見直し改定が実施されてきた。

そして過酷な現実として、年金、医療、介護なとで、毎年一兆円が増加している。
       
更に昨今、国税庁による「民間給与実態統計調査」に寄れば、
1人あたりの年間平均給与は、継続的に下がり続け、
平成16年には438.8万円だったのが、平成26年には415.0万円と知ったりした。

ここ10数年は、民間会社は短期に成果が問われる時代の中、常時リストラともいわれたりして過酷な時代になり、
多くの会社は正社員は6割、契約社員、アルバイトなどは4割、と知り、深く憂いたりしてきた。

こうした状況が放置すれば、現役世代の諸兄諸姉からすれば、高齢者は過重負担する人たち、
と思いながら険悪し、粗末にする風潮も予測できるので、
私は働いて下さる諸兄諸姉に、ときおり感謝を重ねたりしている。
             
こうした心情を秘めている私は、憂いたりした・・。

社会保障を管理する厚生労働省、財源を管理する財務省は、
《・・まず現役世代の負担を増やし、次に高齢者、続いて低所得者を標的にする。
そうやって互いに敵対させることで、国への不満を巧妙にそらしながら、結局はみな負担が重くなっていくわけです・・》
こうした分断政策で、何とか社会保障費を維持している総合施策に、動顛させられたりした。

             

今回、社会保障費の現状と今後についての概要を学び、
政府の有識者会議では、社会保障改革の停滞に強い危機感が提示されているが、
国会議員諸兄諸姉は落選、党の衰退を恐れて、そして私たち高齢者の多くは、こうした難題を避けて、
いつの日にかとお互いに思いながら過ごしている、と私は思い重ね、溜息ばかり重ねている

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健康診断で見つかりにくい危険な病気TOP5、健康に関しても七転八起を体験してきた私は学び、やがて微苦笑して・・。

2017-10-04 14:50:31 | ささやかな古稀からの思い

先程、小学館が発行するトレンドマガジン「DIME」が運営している
公式サイト【 @DIME(アットダイム)】を見ている中で、

『 医師に聞く健康診断で見つかりにくい危険な病気TOP5 』と見出しを見てしまった。

私は民間の中小業のある会社に35年近く奮戦し、2004年(平成16年)の秋に定年退職後、
多々の理由で直ちに年金生活に入ったした。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけの家庭であるが、
私は
現役サラリーマン時代は悪戦苦闘が多かった為か、解放感で高揚したりした・・。


そして年金生活を当初は、私は独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。

何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりした。

そして朝食は白米
のご飯をお腹いっぱい食べたり、
昼食だけは我が家は、お互いに制約することなく自由としている中、
私は冷凍商品のチャーハン、或いはアンパンを二つ食べたりしていた。

夕食する前には、
純米酒の辛口が好きの私は、
晩酌の時は現役時代と同様に2合、ときには3合を呑んだり、

或い日はビールの時は500mlの缶ビールを数本を呑んだりした。

こうした中で、ときには日中に小庭のテラスに下り立ち、簡易椅子に座り、缶ビールを呑みながら、
リストラ烈風の中、最後の出向時代の5年間は、何かと大変だったなぁ、と思い重ねたりした・・。

この結果、身長は170センチ、体重は70キロだった私は、毎年少しずつ体重が増えてしまった・・。

                            
  

過ぎし2010年(平成22年)の秋、私は健康診断の結果、
『糖尿病で、内科に受診して下さい』と明記されてしまった。


私は青ざめ、翌日に自宅から徒歩10分ばかりの内科専門病院に行き、検査、そして問診の時、
『国内旅行に何とか70歳ぐらいまで行きたいので・・何なりと御指導をお願い致します』
と私は内科の医師に懇願した。

そして高橋真梨子さんが唄われた『桃色吐息』は妖艶であるが、
体力の衰えた66歳の私は、青色吐息のような表情で、内科の医師のアドバイスを聴いたりした・・。

私は家内との共通趣味は国内旅行であり、糖尿病の場合は、もとより食事制約がある。

このような時、家内と共に旅行の宿泊先で美味しい夕食を頂けそうな時、
私は食べてはいけない料理だったら、余りにも惨(みじ)めである、と思ったりした。

やがて医師から、料理のカロリー試算表を渡された上、軽い運動を毎日して下さい、と私は言われた・・。
この後、6週間の私は、家内が料理のカロリー試算表を確認しながら野菜を多くした料理を作って貰い、
これ以来、朝夕頂いたりした。

そして私は、ウォーキングをしたり、或いは早足で遊歩道を歩いたりし、
お酒はしばらく・・さよならねぇ、と夕食の時も煎茶を飲んだりしていた。

この間、私は最寄の内科に4週間毎に定期健診を受けて、
糖尿病の範囲の対象から克服でき、悪玉コレステロールは基準値の90%、
これ以外はすべて優等生となったのは、2011年(平成23年)の3月の初旬であった。

                                   

こうした中、私としては何よりも不思議と感じたのは、冷蔵庫の中にビールがあること、
台所の片隅の収納所に日本酒の一升瓶、四合瓶も忘れてしまっていることである。

かって呑兵衛と自任してきた私は、平素の夕食に煎茶でもまったく違和感が感じることなく、過ぎている・・。

このように私は20代から何かと日本酒、ビールを中核にワイン、ウィスキーも呑んできたが、
歌を忘れたカナリヤのようにアルコールから遠ざかり、
国内旅行、冠婚葬祭、或いは懇親会の時は例外として、そして我が家で週に一度ぐらい呑むぐらいとなり、激少となった。

この後、国内旅行で家内と共に、各地を幾たびも行ったりすると、
やはり宿泊処で地酒を呑んだりしてきたが、体重が増えてしまった。
         
やむえなく糖分の多い日本酒、ビールとお別れして、ウィスキーに氷を入れただけのオンザ・ロックとし、
弱くなったので、少しだけ水を入れた濃いめの水割りで呑むこととして、
5日に一度ぐらい自宅で呑んだりしているのが現状となっている。
                           
このように過ぎゆく人生は、無念ながら何かしら断念することもあり、
ささやかな年金生活を継続を望むなら、私の場合は愛飲していた日本酒となったりしている。

             

そして2013年〈平成25年〉の秋には、何故かしら『胃がん検診』の結果だけは、
『要精検(内視鏡)』に◎印が囲まれていた。

私は担当の医師から、『胃の下腹にあたる幽門部に粘膜面異常が見られますので、再検査をして下さい』
と写真の6枚を見ながら私に説明をして下さった。

『再検査と言いますと・・胃カメラを呑んで・・検査することですか?』
と私は医師に言った。

『代表的な検査としては、胃カメラで検査することが多いですね』
と明るい表情で医師は私に言った。

私はこれまでの胃がん、大腸がんの検診をしてきたが、すべて良好の『精検不要』となっていたので、
生まれて初めて胃カメラを呑んで、再検査かょ、と何かと小心者の私は怯(おび)えた。
                    
この後、この医師に調布市で胃腸科に関して評判の良い病院に紹介書を頂き、
そして紹介先の病院に訪れて、胃の再検査を予約の申し入れて、やがて受診した。

結果として、医師の問診があり、私は医師から検査で写した鮮明な写真を8枚ばかり、
パソコンの画面から解説を受けたりした。

『胃潰瘍・・わずかに見られます』
と医師から私は言われたが、家内に胃潰瘍と診断されたこともあったので、私は安堵した。

そして私は『胃ガンの初期状態は・・?』
と私は医師に問い合わせた。

『現状では、そのような徴候はありませんょ・・』
と医師は明るく私に言った。

                         

一昨年の『大腸がん』の検診で再検査・要と診断された後、晩秋には私の白内障の手術であったりして、
昨年の3月初旬には、内科胃腸専門医院で、大腸の内視鏡の受診した。

生れて初めて、恥ずかしながら肛門から内視鏡で盲腸まで約1メートルを挿入された結果、
内視鏡の検診をして下さった医院長より、大きなポリープはふたつ有り、摘出して
傷口は出血防止の為、クリップで縫逢し、
小さなポリープは6ばかり有り、いずれワイヤーで摘出しました、と私に説明して下さった。

こうした中で、悪性腫瘍であれば、癌に進むこともあり、
よくみられるポリープと思われますので・・と医院長より私は言われて、御礼の言葉を重ねたりした。

この後、ここ2年は健康診断を受診した結果、再検査・要にはならず、
ほっとしながら微笑んだりしたきた。

こうした年金生活を丸13年過ごした中で、健康に関して七転八起のように体験してきた私は、
今回の標題《・・健康診断で見つかりにくい危険な病気TOP5・・》気になり、
記事を精読してしまった。
  

この記事は、【 @DIME(アットダイム)】に於いて、2016年10月21日に配信された記事で、

私はトレンドマガジン「DIME」をときおり購読しているよしみに甘えて、無断であるが転載させて頂く。

 《・・医師に聞く健康診断で見つかりにくい危険な病気TOP5

            

健康診断や人間ドックを受けても、実際に見つかりにくい病気は、たくさんあるようだ。

医師専用のコミュニティサイト「MedPeer(メドピア)」を運営するメドピアは
昨年、同サイトに参加する7万人の医師ネットワークに特別アンケート調査を実施したところ、
最も多くの声を集めたのは「すい臓がん」という結果になった。

健康診断で見つかりにくい危険な病気は?

■健康診断で見つかりにくい危険な病気は?

1位 すい臓がん

・進行するまで症状が無く、一般の健康診断でも早期がんは見つからない。
 予防としては、過度の飲酒を避ける。(30代、救急医療科、男性)


・健診の項目以外で腹部エコーやCTを追加で検査する。(50代、腎臓内科・透析、男性)


・癌家系だったり、多飲酒だったりする人は、かかりつけ医もしくはかかりつけドックを持ち、
 一般的な健診ではあまり見てもらえないエコー・腫瘍マーカーなども時々行う。背中〜脇腹の不快感があれば特に。(50代、産業医、男性)


・背部中央の違和感が続くようなら、CA19-9を含めて検査する。予防は節酒、バランスの良い食生活。(50代、一般内科、男性)


・飲酒、肥満による糖尿病を避ける、禁煙。(60代、一般内科、男性)


2位 精神疾患(うつ病など)

・不眠や食欲低下に伴って億劫感が出現した時には注意が必要。(50代、精神科、男性)

・ストレスチェックを定期的に実施する。睡眠時間を確保する。(30代、精神科、男性)


・予防としては、残業時間を月30時間以内にする。休みの日は仕事と全く関係のない過ごし方をする。(30代、精神科、男性)


・一般に精神疾患の場合は脳のリズムが乱れてきますので、睡眠・食欲といった脳の基本的な役割が乱れてきます。
 2〜3週間、毎日睡眠や食欲の不調があって、内科的に問題がない場合は精神疾患を疑った方が良いと思います。(50代、精神科、男性)


・精神状態のチェックもしてもらえる健診があると良い。(70代、一般内科、男性)


3位 脳動脈瘤(くも膜下出血など)

・脳ドックでしかわからないので、近親者にくも膜下出血等の既往歴があれば検査を。(30代、脳神経外科、男性)

・未破裂脳動脈瘤は基本的に無症状なので脳ドックしかありません。(30代、脳神経外科、男性)


・通常の健診では脳までの観察はしない。
 いつもと違う頭痛やめまいを感じたり、親族にくも膜下出血がいればMRI、MRAを受けること。(50代、一般内科、女性)


・脳ドックを定期的に受ける。塩分摂取の制限、定期的な運動などで血圧の管理を行う。(40代、リハビリテーション科、男性)


・高血圧があれば、食生活の見直し。それでも高ければ降圧薬の内服。(30代、形成外科、男性)

            

4位 胆管がん

・早期発見は極めて困難。エコー専門医でも困難なことが多いが健診でも腹部エコーはすべき。(50代、一般内科、男性)

・総胆管がんは黄疸が出るまで事実上診断ができなので、膵臓がん以上に見つけられないと思います。(50代、神経内科、男性)


・なかなか有効な方法はないと思うが、あえて言えばPETをうける。(40代、麻酔科、男性)


・予防策ははっきりとはわかっていない。たばこをやめる、健康的な食生活をする等。(50代、一般内科、男性)


・印刷業などの職業病の可能性が高いため、発がん性の高いインクなどを使用した経験がある人は、
 年に一度その専門医の検診を受けた方が良い。
 それ以外予防策は無いように思う。(50代、消化器外科、男性)


5位 睡眠時無呼吸症候群

・家族などに無呼吸があることを指摘されたら病院を受診するのが大事だと思います。
 予防としては、太っていれば減量するのが大事だと思います。(30代、呼吸器内科、男性)


・JESSにて自己チェックを行う。
 ただ、仕事等で長距離/長時間運転せざるをえない方はJESSの点数に関わらず受診し、
 必要に応じてSASの簡易検査を行うべきだと思われる。(30代、呼吸器内科、女性)


・予防は、肥満に注意する、就寝体位を工夫する。(60代、一般外科、男性)


・周囲にいびきを指摘される、昼間の眠気がキツイなどがあれば受診する。
 予防は、適正体重に保つようにする。(30代、皮膚科、女性)

文/編集部・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

            

私は健康診断を欠かさず受診してきたのは、何よりも自身の身体の弱点を知り、

弱点を指摘されれば、ある程度の治療、或いは自助努力で克服できればよい、
と至って常識的な思考の身である。

そして健康診断を受診せず放棄している人は、自身の命を粗末にしている、と思ったりしている。

今回、《・・7万人の医師ネットワークに特別アンケート調査に於いて、
健康診断や人間ドックを受けても、実際に見つかりにくい・・危険な病気TOP5・・》
多々教示させられた・・。


私は定年した60歳より多々の理由で年金生活を始め、
殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、スーパー、専門店で買い求めたりしている。

このような買物メール老ボーイとなっている私は、
利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、

歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している。
             
帰宅後、やがて独りで我が家から歩いて3キロ範囲にある遊歩道、小公園をひたすら歩いたりしている。

こうした根底のひとつには、
もとより健康でなければ、私でも日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したり、
まして寝たりなどになってしまったら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

           

このように私は、体力の衰えを感じながらも、
程ほどの食事、熟睡、歩くことなどで、何とか健康寿命を保ち、
73歳の私としては、第一目標として後期高齢者入門の75歳を溌剌と迎えたい、
念願したりしている。

そして今回
の記事に於いて、多々教示されながらも、
病気になるんじゃないか、と余り考えすぎないで、明るく前向きに過ごせば、
大病に遭遇せずに、生かして下さるかしら、と何かと楽観的な私は微苦笑をしたりしている。 

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あなたの記憶力を底上げするシンプルな習慣、遅ればせながら私は学び、やがて微笑返し・・。

2017-10-03 15:01:49 | ささやかな古稀からの思い

《・・あなたの記憶力を底上げするシンプルな習慣

☆記憶力の違いは行動の違い

名刺交換直後の行動が記憶力を左右する

「最近、物忘れがひどくて……。年のせいかな」なんて思っていませんか?

「あの人は記憶力がいい」
「私は記憶力が悪い」

こんなことを言って、記憶力を何か生まれつき持っている「能力」だと思っているかもしれません。

しかし、それは大きな勘違いです。

記憶力の違いは、行動の違いにすぎないのです。

たとえば会った人の名前をすぐに覚えてしまうAさん。

しかし、それは(略)名前をすぐにイメージ化して、顔と一緒の絵・写真にしてしまうという
たった一つの行動をしているだけにすぎなかったりします。


この「イメージ化する」行動は外からは見えないので、その行動には気づかず、
「Aさんは記憶力がいい」
ということになってしまうだけなのです。

           

☆すぐできる! 記憶力を高める行動とは?

「イメージにするのは、なかなか難しくて・・」という人もいるかもしれませんから、
あなたの記憶力を高める、もっとハードルが低い行動をご紹介しましょう。


それは「繰り返す」こと。

会った人の名前を覚えることであれば、相手と名刺交換したり、
相手の名前を聞いた際に、すかさずその名前を口に出して繰り返すことです。


日本語は主語を省略しても話が通じるので、ついつい相手の名前を言わずに話したり、
質問したりしがちですが、あえて相手の名前を入れて話をするのです。


たとえば、「どちらのご出身ですか?」とたずねるところを、あえて
「田中さんは、どちらのご出身ですか?」
と名前を入れてたずねるわけです。

これならすぐにできそうでしょう。

慣れないうちは最初、違和感を覚えるかもしれませんが、
口に出して繰り返すことで、確実に相手の名前を覚えやすくなります。

           

イメージ力もアップさせる! 記憶力を高める究極の習慣

フッと思い出す癖をつけよう

ここまでにご紹介した「イメージ化する」、「繰り返す」の2つは、
記憶力を高める日々の習慣として、とても強力です。


そしてこの2つを組み合わせる行動を行うという究極の習慣があります。
そしてこれはさらに、「イメージ化」する力を高める効果もあります。


さて、この究極の習慣とは・・、

それは「思い出す」こと。

たとえば、この記事の最初のページを思い出してみてください。

どんな写真があったでしょう?

見出しにはどんな言葉があったでしょう?

最初は思い出せなくても構いません。

ぼんやりでもいいので、思い出そうとしてイメージを浮かべることが大切なのです。

これによって「繰り返す」習慣が強化されるとともに、
「イメージ化」するのも、楽にできるようになってきます。


「思い出す」癖こそが、記憶力を高める究極の習慣なのです。

まずは寝る前に、これを習慣づけましょう

この「思い出す」ことに慣れるために、まずは毎晩、寝る前にほんの数秒でも構わないので、
その日のことを思い出してみましょう。


ベッドや布団に横になって、朝起きたときから、今の夜寝るまでを、
ざっと思い浮かべてみるのです。


その日食べたもののことでも、寝る直前に読んだ本や観たテレビ番組のことでも構いません。

毎晩、少しでも「思い出す」ことを繰り返しうちに、日中もふっと「思い出す」ことが習慣化してきます。

同時に、最初は思い出す際に、全くといっていいほどイメージが浮かばなかった人も、
だんだんとイメージが浮かぶようになってきます。


そうすると、さらに記憶に残りやすく、浮かびやすくなってきます。

実は、あなたも好きな人やモノなどに対しては、知らず知らずのうちに、これを行なっています。
だからこそ、好きな人のことについては、いろいろなことをよく知っていたりするのです。


それを意識的に、もっといろいろなことに使うわけです。

なお、記憶したくないことについて、ついついこの行動を行いがちなので、
逆にそれはやめて、あなたが記憶したいことを意識的に、思い出すようにしてください。


「記憶力が悪い」と嘆いている間に、記憶したいことを思い出してみましょう。

「イメージ化する」
「繰り返す」
そして
「思い出す」


これらの行動を日々の習慣にすることで、あなたの「記憶力」はよくなっていきます!・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

           
                                   

              
私は小学5年の頃まで、劣等感と卑屈にさいなまれ、いじけた可愛げのない屈折した児であった。
兄の2人は学校の成績が良く、私は通信簿は『2』と『3』ばかりの劣等生で、

通信簿を学期末に頂くたびに、
お兄さんの2人は優秀だったのに、と担任の女の先生が溜息まじりに言われたりしていた。        
 
この当時の私は、クラスの仲間からは、私を『三原山』とあだ名を付けられていた。

何かと平素は無口の癖に、ときたま怒り出し、周囲の多くの同級生が困惑し、
伊豆七島のひとつの大島は、幾10数年ごとに爆発する活火山の由来だった。
                      
        
やがて小学6年生の頃になると、突然に人前でおしゃべりをすることが大好きと変貌して、
見知らぬ小父さん、小母さん対しても、私の方から話すようになり、
母、兄妹、そして父の妹でこの当時未婚だった叔母も驚いていた・・。

これ以来、私はお調子者のひとりとなって、学生時代、社会人のサラリーマンの中、
ときにはトンボのように自由にふるまったり、おだてられると高揚しながら奮闘したりしてきた。

私は現役サラリーマン時代も、初対面した御方には、表情、しぐさはもとより、
言葉づかい、アクセントなどを記憶するように努め、
明るい笑顔で対応してきた。

こうした中、会社間で合併した時も、私は母の血筋を純粋に受け継いだ為か、
恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
相手方の多くの社員と談笑を重ねて、交遊を深めたりしてきた。
           
            

2004年(平成16年)の秋に定年退職後、多々の理由で年金生活を始めた。

こうした中、相変わらず亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、
おしゃべりが好きで、何かと家内と談笑したり、
ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

そして私は、遊歩道、公園などを散策していると、見知らぬ男性、
女性グループの御方たちと、話しかけられたり、或いは話しかけたりして、談笑し、
殆ど毎日過ごしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらくねぇ・・、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビールか水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり私たち夫婦は、都心のシティホテル、街、公園、国内の旅先で、異国人から話しかけられ、
私は英語の単語をたどたどしく並べて、身振り手振りで応対していた状況を、
家内が傍で見かけて、家内は私に、外国に行ったらアブナイわ、と信頼が失墜しているのが実情となっている。

私としてはサラリーマン時代に、会社として台湾、その後はハワイに旅行で遊学したが、
このような事情で、私たち夫婦として、異国の海外旅行に行ったことのない稀な夫婦となっている

そして気楽に日本語が通じる国内旅行を私たち夫婦は重ねてきたが、
旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、
話しかけて談笑したりしている。
                          
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

           

平素の私は、ここ半年は布団にもぐるのは、真夜中の12時前後であり、
目覚めるのは朝の7時頃が多くなっている。

私は寝ている間は、現役サラリーマン時代だった時と違い、悩みは激少している為か、
たとえ震度3ぐらいの地震でも、 目覚めることなく熟睡している。

こうした中、 私は今でも、あたかも映画館で三作品が一挙に上映されたかのように、
昨夜は二本立て、或いは3本立て、の夢をみた、と微苦笑する時もある。

そして睡眠中、夢をみることは貧富に関係なく、その御方の日々の思い、念願など、
さまざまな思いが交差される現象かしら、と思う時もある。

そしてぼんやりと目覚めて、うつらうつらとまどろみながら、
ぼんやりと昨日の出来事を思い浮かべたりした後、
本日は・・今週は・・と予定事項を思い馳せたりして、15分過ぎた頃、起きだしている。

今回、私は《・・記憶力を底上げするシンプルな習慣として、
「イメージ化する」、「繰り返す」、そして「思い出す」・・》を多々教示されながら、
つたない人生航路を歩んだ私でも、
そうですよねぇ・・と私は幾たびか微笑返しをしたりした。

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「いつのまにか骨折」を防ぐ レシピ6品と運動法、遅ればせながら私は学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2017-10-02 16:17:13 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読しているネットの【ディリー新潮(DAILY SHINCHO)】を見ている中で、
【 カルシウムサプリではダメ!「いつのまにか骨折」を防ぐレシピ6品と運動法 】と見出しを見たりした。

私は昨日黒柳徹子さんが遭遇した「大腿骨骨折」
患者数が年々増加、寝たきりリスクも、高齢者の私は多々学び、やがて動顛して・・。

と題した投稿文を送信し、高齢者にとっては骨折による困苦なる状況を学んだりした。
 
今回、《・・「いつのまにか骨折」を防ぐレシピ6品と運動法・・》遅ればせながら学ぼうと思い、
記事を精読してしまった。

この記事は、『週刊新潮』2017年9月7日号の特集ひとつとして、
「5年生存率は『乳がん』『大腸がん』以下! 『寝たきり』『ボケ』に直結!!
死への扉『いつのまにか骨折』から身を守る完全ガイド」と
掲載された記事のひとつであり、
関連の【ディリー新潮】に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・カルシウムサプリではダメ!「いつのまにか骨折」を防ぐレシピ6品と運動法

桃井かおりのテレビCMで、お茶の間に周知された「いつのまにか骨折」。

骨粗鬆症による自覚のない骨折は、最初の骨折を放置することによって、2カ所、3カ所と連鎖する。
歩行能力が下がることで「寝たきり」につながるほか、
円筒形の椎体が時間と共に潰れる「椎体圧迫骨折」を起こせば、5年後の生存率は、大腸がんや乳がん以下になる。

            

現在、患者数が1500万から1600万人にも上るという骨粗鬆症を防ぐためには
どのような生活を送れば良いのか。

食生活の改善という点では、(略)中には、食事からカルシウムを摂るのは面倒だから
手軽なサプリメントで、という方もおられよう。

しかし、「カルシウムをサプリメントで過剰に摂取すると、
血中のカルシウム濃度が急激に上がり、それを下げようとする強い力が働いて、
血管が緊張して負担がかかる危険がある。

そのため心筋梗塞など心血管系の病気のリスクを高める可能性が指摘されており、
現状では、1回に500ミリグラムを超えて摂取しないほうがいい。

食べ物や飲み物に含まれるカルシウムは、他のものと一緒に体内に取り込まれるので、
このようなリスクを上昇させる危険性はありません」
(藤田保健衛生大学医学部・内分泌・代謝内科学教授の鈴木敦詞氏)


☆“納豆県”は骨折する人が少ない

ではどのような食事が好ましいのかというと、まず、

「カルシウムだけではなく、肉、魚、卵、乳製品、大豆製品などから
タンパク質もきちんと摂る必要があります。

また、防腐剤や食品添加物、加工食品などに入っているリンは過剰に摂取すると、
カルシウムと結合して、体外に排出してしまうので注意が必要です。
塩分にもカルシウムを排出する働きがあるので、塩分の摂りすぎもよくありません」と、鈴木氏が続けて語る。

「納豆などに多く含まれるビタミンKは、骨を作る働きを促すので重要です。
納豆の摂取量の多い県では、骨折する人が少ない、という調査結果もあります。
ビタミンKは納豆以外では、緑黄色野菜や卵などに多く含まれています」


その点、掲載レシピの〈納豆入り卵かけご飯〉などは、
実にバランスのとれた「骨太レシピ」と言えよう。

「小腸でのカルシウムの吸収を高める働きのあるビタミンDも重要です」
とは、山王メディカルセンター女性医療センター長で国際医療福祉大学病院教授の太田博明氏。

「ビタミンDは、しいたけに多く含まれると言われていますが、天日干しをしたしいたけに限られます。
機械乾燥で日光に当たらずにつくられたしいたけには、ビタミンDは含まれません。

ですから、天日干しでないしいたけは、30分ほど日光に当てて、
ビタミンDを合成させてから料理することをおすすめします」

レシピにある通り、魚ではクロカジキに最も多く含まれるというビタミンD。
そもそも、「人間は日光に当たることで、体内のビタミンDの80%を皮膚で合成することができます。

だから、日焼け止めを常に塗って、過剰に紫外線対策を行うと、
ビタミンDが合成できず、ビタミンD不足の原因になります」(同)

            

☆「大きな古時計」のメロディで

骨粗鬆症を予防するにあたり、食事と同様に重要なのが運動である。

「運動で、骨密度を1%から3%上げることは可能です。
何もしないと、年をとるにつれて骨密度は下がるので、運動でそれを維持することはとても重要」と、先の鈴木氏は話す。

「骨は負荷をかけると、それに応じて強くなり、負荷をかけないと弱くなる。
テニスの選手は、利き手の腕の骨のほうが、そうでないほうの腕より骨密度が高い。
これは、負荷をかけることで、ラケットを持つほうの腕の骨が強くなっていったからなのです」

骨粗鬆症財団理事で健康院クリニック院長の細井孝之氏が
勧める強い骨格を作るための運動は、背筋を鍛える胸張り体操。

「いすに深く腰掛け、両腕を脇に下ろします。
で、胸を張るように手のひらをくるっと回転させ、背中の左右の肩甲骨を中央に寄せる。
10回1セットとして、1日3セットを目安に行います」

伊奈病院整形外科部長の石橋英明氏が推奨するのも、
お腹の下にクッションなどを敷いて行う背筋運動。

https://www.dailyshincho.jp/article/2017/09100801/?photo=3
【ディリー新潮】;【「いつのまにか骨折」を防ぐレシピ6品と運動法】

それ以外には、「足の付け根の大腿骨頸部に負荷をかける片足立ちも有効です。
机やいすにつかまりながら、片方の足を5センチから10センチ上げて、もう片方の足で1分間立つ。
反対の足も同様に行います。

この運動をやると立った時のバランスが良くなるので、歩行の安定性が増し、転倒予防にもなります」
と、石橋氏は言う。

 「スクワットもお薦めです。
足を肩幅より少し広げて、足先を30°ほど外側に向けます。
手は好きな位置で構いません。

腰を後ろに引くように5秒ほどかけて膝を曲げます。
この時、やや前傾姿勢をとるとバランスがとりやすい。
膝がつま先より前に出ないようにして、5秒ほどかけて元の姿勢に戻します」(同)

ストイックに黙々と運動に励むのも悪くないが、
「歌を歌いながらやるのもいい。

『大きな古時計』のメロディで、“腰を引いて 膝曲げて ゆっくり しゃがみこもう〜♪ 
前かがみに なるのはいいよ 手の位置はお好み〜♪ 
大殿筋 ハムストリング 大腿四頭筋 そして前脛骨筋 みんな鍛えられる〜♪ 
立ち上がる力だ スクワット スクワット 階段昇降 スクワット スクワット いつも 使う 脚の力 毎日鍛えよう〜♪”
との替え歌でも歌えば飽きずにスクワットが出来ます」(同)

妙な替え歌だと笑っているそこのあなた。

寝たきりになってしまってから、後悔したのでは遅いということをお忘れなく。・・》

            
私は食事に関しては、私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
たとえば朝食は、ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の一汁三菜(いちじゅうさんさい)の真似事をしている。

昨今の私の朝食の原則として、前菜を必ず頂いている。
タマネギをスライスし、生ワカメとあえて、そしてミッカンぽん酢とお醤油をかけて、
大きな皿に盛大に食べたりしている。

やがて十六穀米の入った白米のご飯を半合ばかり盛ったお茶碗、インスタントのワカメの味噌汁、
納豆、コブの佃煮、大根おろしとシラス干し、福神漬けを必須として、
これ以外はカブの醤油漬け、カブの葉の塩漬け、焼きノリなどを
加える時もある。
そしてシャケの瓶づめ、或いはサバ缶のミソ煮で頂くことが多い。

家内は時折つきあうが、大半は食パンにジャム、オレンジ・ママレード、或いはブルーベリーを塗り、
二枚ばかり食べながら、ホット・コーヒーを飲みながら頂くことが多い。
そしてバナナなど果物も食べたりしている。

こうした簡素な朝食を愛食しているので、身体にも良いよなぁ、と私は思いこんでいる。
 
            

私は歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛し、
殆ど毎日、我が家から歩いて3キロ範囲にある遊歩道、小公園をひたすら歩いたりしている。

こうした根底のひとつには、もとより健康でなければ、私でも日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したり、
まして寝たりなどになってしまったら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

しかしながら、今回紹介して下さった運動はしないできて、
先程、図形に表示されて運動をこっそりと真似て始めたりした・・。

そしてスクワットに関して、黒柳徹子さんも毎晩実行していることを思い浮かべ、
やがて私は器用には程遠く身であるが、独り実行しながら苦笑をしたりし、
努力すれば、やがて人並みに・・と思い挑戦したりしている。

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黒柳徹子さんが遭遇した「大腿骨骨折」 、患者数が年々増加、寝たきりリスクも、高齢者の私は多々学び、やがて動顛して・・。

2017-10-01 15:53:57 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【AERA dot.(ドット)】を見ている中、
【 黒柳徹子が明かした「大腿骨骨折」 患者数が年々増加、寝たきりリスクも  】と見出しを見てしまった。

私は過ぎし一昨日、家内がテレビを視聴していた時、
黒柳徹子さんが遭遇した「大腿骨骨折」について、ニュースが報じられて、
黒柳徹子さんは80代なのに、心身溌剌で第一線でご活躍されて 
高齢者のお手本のような御方と私は思っているので驚いたりしてきた・・。

このような心情を秘めた私であるが、何かと無知なことが多く、
「大腿骨骨折」について学ぼうと思い、記事を精読してしまった。

この記事は、伊波達也、杉村 健さんが、週刊朝日MOOK「腰痛 肩こり ひざ痛のいい病院」から一部抜粋されて、
綴られた記事で、【AERA dot.】に2017年9月29日に配信され、無断ながら転載させて頂く。

《・・黒柳徹子が明かした「大腿骨骨折」 患者数が年々増加、寝たきりリスクも

            
9月28日、舞台「想い出のカルテット」の公開稽古に黒柳徹子さん(84歳)が、車いすで登場した。

黒柳さんは、写真共有SNS「インスタグラム」の自身のアカウントで、
1カ月前に足を骨折し、手術を受けていたことを報告していた。

骨折したのは、太ももの付け根にある「大腿骨」という部分だ。
大腿骨骨折は年々増加しており、年間10万人に迫る。
寝たきりの原因にもなるため、高齢者で深刻な問題となっている。そのリスクとは。


大腿骨近位部骨折の発生件数の推移/日本整形外科学会骨粗鬆症委員会による大腿骨近位部骨折の全国調査結果。「頸部」「転子部」「不明」を合計した発生件数は、年々増加しており、年間10万人に迫る状況だ

【グラフ】発生件数は年間10万人に迫る


*  *  *

近年、高齢者の増加とともに、大腿骨の骨折が増えている。
高齢者は骨の強度が弱まっているうえに、筋力の低下による転倒を起こしやすい。
転倒して大腿骨近位部骨折に至るケースが、高齢者では頻発しているのだ。


大腿骨とは、太ももの骨のことだ。
股関節として、球状の骨「大腿骨頭(こっとう)」が、太ももの動きを可能にしている。
大腿骨頭からくびれた細い部分を「頸部」、
その下の太い部分を「転子(てんし)部」といい、あわせて「大腿骨近位部」と呼ぶ。


東京都板橋区の中核病院である高島平中央総合病院では、
股関節周辺骨折の手術を年間約230例以上と、都内でもトップクラスの手術数を実施している。

同院院長で整形外科の島峰聡医師はこう話す。

「大腿骨近位部骨折の9割以上は救急搬送です。
施設からの救急要請も、頻繁にあります。
近年では90歳以上の方の手術も珍しくありません」


整形外科医は、多忙をきわめるが、搬送されてきた患者の全身状態を考慮して、
できる限り早く手術することが、寝たきりを防ぐ道だと島峰医師は強調する。

            

■高齢者に増加する転倒骨折再骨折のリスクも大

日本整形外科学会では毎年、大腿骨近位部骨折の発生件数を全国調査している。
2015年は、9万3125人が受傷し、図のように過去最高を更新し続けている。

日本臨床整形外科学会理事長で、田辺整形外科医院理事長の田辺秀樹医師はこう話す。

「転倒骨折が増加し続けているのは、ただ高齢者が増えているからという理由だけでは、説明できません。
海外では高齢化が進んでいても、転倒骨折を減らせている国もあります。
日本で予防や対策がうまくいっていないことが原因の一つと考えられます」

高齢者が転倒骨折を起こすと、寝たきりへと至る悪循環を生み出す可能性が高い。
一度転倒骨折すると、その後の正常な歩行を困難にし、再転倒のリスクもきわめて高くなる。

また転倒に対する恐怖感が生じると、外出や運動を避けがちになり、
さらに筋力が低下し、再転倒を繰り返すリスクがある。


「再び骨折すると、リハビリによる回復も最初の骨折の場合よりも、
困難となる可能性も高く、そのまま寝たきりで、要介護という状態に移行してしまいます」(田辺医師)


わが国における要支援・要介護になる原因は、
1位が認知症で18.0%、2位が脳血管疾患(脳卒中)の16.6%、
3位が高齢による衰弱の13.3%に次ぎ、骨折・転倒は12.1%と4位だ
(厚生労働省「国民生活基礎調査2016年」)。

しかしこの事実は意外と認識されていない。


転倒骨折が増えると、医療費だけでなく、介護費用も増加し、社会的にも経済的にも損失が生じる。
転倒骨折は、認知症や脳卒中同様、予防に努めるべき重大な問題なのだ。


転倒骨折は、骨粗鬆症と転倒の二つが重なることで起こる。
高齢者は、高齢化が進むほど、骨がもろくなる骨粗鬆症を発症している場合が多い。・・》

           

私は記事を読み終わった後、《・・一度転倒骨折すると、その後の正常な歩行を困難にし、
再転倒のリスクもきわめて高くなる。

また転倒に対する恐怖感が生じると、外出や運動を避けがちになり、
さらに筋力が低下し、再転倒を繰り返すリスクがある。

「再び骨折すると、リハビリによる回復も最初の骨折の場合よりも、
困難となる可能性も高く、そのまま寝たきりで、要介護という状態に移行
・・》
こうしたことに私は動顛させられてしまった・・。


やがて私は《・・高齢者は、高齢化が進むほど、骨がもろくなる骨粗鬆症を発症・・》と学び、
私は恥ずかしながら『骨粗鬆症』に関して無知であったので、ネットで調べたりした。

そして私としては、一番判りやすい記事が、【AERA dot.】に於いて、
【 知らないうちに骨折!? 何度もくり返すことも・・原因は? 】と題されて、
2016年11月23日に配信されていた。

この記事の原文は、週刊朝日MOOK「腰痛 肩こり ひざ痛のいい病院」から一部抜粋された記事で、
無断ながら転載させて頂く。

《・・知らないうちに骨折!? 何度もくり返すことも・・原因は?
           

「ひじが痛い」「手術を勧められた」。整形外科の患者によくある悩みを、
部位ごとに分けて専門医に聞きました。

今回は「いつの間にか骨折」についての回答を詳しく紹介します。


【Q】
3カ月ぐらい前から寝返りをするときの背中の痛みや、起き上がるときの腰の痛みがあり、
そのうち立っていることや、歩くこともつらくなりました。

整形外科を受診したところ、エックス線検査で、背骨が圧迫骨折していることがわかりました。
転んだり、ぶつけたりもしていないのに、骨折することがあるのでしょうか?(女性・80代)


【A】
骨粗鬆症により、骨が弱くなると気づかないうちに、骨折することも

<回答者:JCHO大阪病院 副院長 冨士武史医師>

これは、骨粗鬆症(こつそしょうしょう)による、圧迫骨折(椎体[ついたい]骨折)と考えられます。
骨粗鬆症は、閉経後の女性にとくに多い病気で、骨がもろくなるために、骨折しやすくなります。

何もきっかけがないのに、いつの間にか骨折していることもありますし、
転んで尻もちをついたり、荷物を持ち上げたり、おじぎをしたりというちょっとした動作で
骨折することもあります。


圧迫骨折は、骨折したときには、痛みがないこともあり、
痛みが出始めた時点で、レントゲンを撮っても、最初は骨がつぶれていないので
骨折がわからないこともよくあります。

その後、3~4カ月ぐらい痛みが続きながら、だんだんその骨がつぶれていきます。


骨折していることがわかったら、骨折の治療とあわせて骨粗鬆症の治療も始めます。

骨がもろくなっているということは、いつ、からだのどこの骨が折れても
不思議ではない状態にあるということです。

実際、一度圧迫骨折をした人は、骨粗鬆症を放置していると、
何度も骨折を繰り返すことが多くあります。


骨折に対する治療法では、痛み止めの薬を服用します。
痛みを抑え、骨折を早く治すためにコルセットやギプスなどをつけることもありますが、
正しく装着しないと、かえって痛みが強くなったり、骨がつきにくくなったりすることもあると考えられます。


手術については、骨を固定するために医療用の樹脂を入れたり、
つぶれた骨を取り除いて、金属製の人工骨を入れたりする方法があります。

固定することで痛みがなくなり、動きやすくなるメリットがある一方、
1カ所だけを固定することで、その周囲の骨に負担がかかって半年から1年すると、
周囲の骨に骨折が起こることもあり、手術をすべきか否かは意見が分かれるところです。


治療法については、骨折した場所や骨折してからの時間、
そのときの骨の状態、痛みの程度などによって、相談することになるでしょう。

いずれにせよ、骨粗鬆症の治療は続けることが必要です。
また、動かなくなることで、骨はどんどん弱ってしまうため、安静にしすぎないことも大切です。

あわせて、転倒しないようにする、重いものを持たないようにするなど、
骨折を繰り返さないための注意も忘れないようにしましょう。・・》


           

私は年金生活14年生の73歳になる身であるが、
5歳若い家内と共に過ごしているが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たったふたりだけの家庭となっている。

こうした中で、お互いに齢を重ねるたびに体力の衰えを実感しているが、
幸運にも私たち夫婦は、大病に遭遇しないで、今日に至っている。

そして私たちの両親は、独り住まいの家内の母だけとなり、過ぎし4年前の頃から膝(ひざ)と腰が悪化して、
家内の母の老化と病状で、家内と家内の妹は交互に、
大半は家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしているので、
この間、我が家は私が『おひとりさま』の生活となることもある

家内の母は、膝(ひざ)と腰が悪化する前、体力の衰えは感じさせたが、
仲良し女性グループと国内旅行に行ったり、或いは新潟県の生家に訪れたりし、
心身溌剌の状況であったりした。

しかしながら膝(ひざ)と腰が悪化して、ある時、
こんなに酷い痛みになり、動くのに不自由となり、
XXさんには、色々とご迷惑をお掛けするなんて・・と家内の母は、私に言ったりした。

こうしたこともあり、私は73歳、家内は誕生日を迎えると68歳となる現在、
ここ数年は、お互いに転ばないよう、油断大敵ょ、と私は家内から言われたりしている。

           

私は定年した60歳より多々の理由で年金生活を始め、
殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、スーパー、専門店で買い求めたりしている。

このような買物メール老ボーイとなっている私は、
利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、

歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している。
             
帰宅後、やがて独りで我が家から歩いて3キロ範囲にある遊歩道、小公園をひたすら歩いたりしている。

こうした根底のひとつには、
もとより健康でなければ、私でも日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したり、
まして寝たりなどになってしまったら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

           

このように私は、体力の衰えを感じながらも、
程ほどの食事、熟睡、歩くことなどで、何とか健康寿命を保ち、
73歳の私としては、第一目標として後期高齢者入門の75歳を溌剌と迎えたい、
念願したりしている。

 
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