11月23日は「勤労感謝の日」…我が在所の耕福寺に安置されている「福一満虚空像菩薩」の年越祭が行われます。神道でいうところの「新嘗祭」に通じるものがあるのかもしれませんが檀家に餅が振舞われます。(とは言え、御札代と祈祷料を含めて参加費1,300円也^^;)納豆餅とお雑煮、あんこ餅、白菜の浅漬けに大根の煮しめ。メニューは子どもの時から変わっておりません。夢屋が子どもの頃は近所の同級生と連れ立ってお寺の本堂に陣取り、何杯食えるか競ったものであります^^;
基本は、あんこ餅を食べず、納豆餅を食べる…甘さや余計な具材でお腹が一杯にならないようにするための子どもの浅知恵であります。それでも、せいぜい10杯程度だったでしょうか、最後は餅を一切れにしてくださいなどと給仕のおばちゃんにお願いし、「オラは〇△杯、食べてきたぞ!」などと他愛の無い自慢をするのであります。「働き手の男は一升餅くらい楽に食えるもんだ…。」などと、近所のじぃさんたちは、昔語りをしたものでありますが、こういうじぃさんに搗き立て餅を千切ってやると、餅は噛まずに丸呑み状態…餅に付いた納豆を振り落としながら飲み込むので、千切り手が追い着かない状態になるのであります。
もう食べた杯数を自慢する年齢でも無いので、四杯ほど食べて席を立つと「あど、かねな(食わない)がは?」と近所のおばちゃんがひと言。「これ以上食うど、じごぼっち、仕事さんにぐなっから(出来なくなるから)」と久し振りに応える夢屋であります。
『じごぼれる』・・・お腹が一杯になって、動けなくなる状態を指します^^;
「勤労感謝の日の父」は、のんびりと一日、一年の勤労に感謝し、温泉にでも浸かりながら疲れを取る・・・これが、夢屋の理想とする「勤労感謝の日」の正しい過ごし方なのでありますが、朝から庭木の剪定後の枝を片付け、オッカーと娘の車のタイヤ交換をし、消雪パイプの配管を直し、裏の畑の「ウコギ」の垣根を整枝する・・・。気付けば夕方の4時でありました。
少しは「ゆとり」が無いと勤労に感謝できない…しっかり、『第2サティアン』では家族に内緒でストーブにかけた「ビーフシチュー」を仕込んでおりますよ^^;
安い牛すね肉のブロックではありますが、畑で採れたタマネギを丸ごとコッヘルに入れて、半日ほど水と塩と胡椒だけでコトコトと煮込む。良い味のスープが出来ておりますが、まだまだ、これは明日の楽しみとして取って置く。小説など読みながら、早い夕暮れ時を過ごしたのでありました。画像は、この夏、大沢山で見つけた「空中浮遊するアオムシ」…日がな、風に吹かれてクルクルと舞う幼虫でありますが、今は、外で日向ぼっこをするには厳しい木枯らしの季節であります。