一週間前、日本海の向うに沈み消えてしまった太陽が、今朝太平洋から昇って来ました。
沈む太陽が何かの終わりを暗示する光景であるとすれば、昇る朝日は、これからの始まりを暗示する。人生、ひとつひとつに区切りを付け、その度毎に再スタートを切ることが出来るのであるならば、こんなに幸せなことは無いのでありまして、なかなか区切りがつけられず、ただ漫然と日々を送ってしまうことが常であります。昇る朝日に感動しながらも、これを毎日見続けたならば、また同じ光景の一部としてマンネリ化してしまう。しかし、何度でもやり直しは効く…そう思えることと行動できることが若者の特権ではないかと感じる『夢屋国王』であります。そして、そのことが羨ましいとか、何と無駄な日々を過ごしているのかと感じ始めることが老化の始まりではないかとも思うのであります^^;
さて、「親孝行、したい時には親は無し。」などと申しますが、我が家の古老が亡くなり丁度3年めの秋を迎えました。4年前の秋に「たまにはこちらから出向いて兄弟会をしてはどうか?」と話を向けると素直に承諾し、茨城県日立市に住む叔父の手配で兄弟会を開き、出不精の古老にしては珍しく私の運転する車で遠出をし、飲むでもなく想い出を語るでもなく、ただ兄弟の話に耳を傾けていた姿…翌年は、病院のベッドで家で酒でも飲んでいけと兄弟に語っていた古老…昨年は、3回忌で集まった叔父貴たちと思い出話で酒を飲み、今年は米沢に住む叔父を車に乗せて、茨城県大洗町の民宿で『親父の兄弟会』に参加してまいりました。
早世した私の祖父の代わりに、古老は親代わりとなって兄弟を育て上げたものだから、兄貴というよりは兄弟たちにとっては親父のような存在であり、僅か1歳で父親を亡くした一番下の叔父は、むしろ私の兄貴のような存在でもある。貧乏から這い上がる男兄弟たちの姿は、日本の高度経済成長と重なり、そして高齢化社会の一員として(^^;)、立派に年金を受給する年齢と成っているのであります。
昇る太陽があれば、沈む太陽もある。「あと何年生きて、あと何回兄弟会に参加できるのだろうか?」早世した親父の年齢を優に超えてしまった叔父たちは、次の区切りとして古老の他界した年齢をひとつの目安としているのであります。私とて、古老がこなした作業と年齢を基準に、その歳まで出来るだろうかなどと考えるのだから、当然と言えば当然なのだけれども、また、明日からの日常に戻れば、そうした感慨も忘れて雑事に追われて日々を過ごすのでありましょう。
男どもは老いさらばえて、いつかは土に還ることでありましょうが、決して夢を捨ててしまった訳ではない。「孝行」…うふふ、甘い甘い…「後攻」…9回裏の攻撃ツーアウトまで、もっと言えば、ゲームセットの声が掛かるまで、目だけは「煌々」と光らせ生き続けるのであります。『悪ガキ』たちは、そう簡単に潰されたりしないのでありますよ^^;