ゆれる ゆれる チューリップの花が♪
昨年、公民館前の花壇にそのまま差し込んだだけの球根ですが、花を咲かせてくれそうです^^; 昭和54年に埼玉県園試で異常花から発見された「チューリップサビダニ」…我が師匠の研究成果だわなぁなんて昔を思い出す。咲き誇る前のチューリップを見ていたら、つぼみを頭に、ドレスを着飾り手を拡げた『踊り子』に見えて来た。古くはオスマン帝国でもてはやされ、オランダで品種改良が進んだ花ではあるのですが、そのオランダの民話に、3人の騎士に求婚された美少女が、相手を決めかねて悩み、花の精霊に願い自らを花の姿に変えてもらったというお話があるようです。(Wikipediaの受け売りですが^^;)結納の品に贈られた王冠が花に、剣が葉に、そして財宝が球根に変ったのでありますと…貧困な発想力しかない『おやじぃ』がチューリップの株を見て、『踊り子』を連想したとしても、さもありなんと納得した次第でありますよ。そうそう、故「村下孝蔵さん」の楽曲である「踊り子」は、1983年(昭和58年)にリリースされたようでありますが、お歳を重ねた今、詞を噛みしめてみると、つま先立ち(背伸びした)若い男女の悲恋を歌い込んだようにも思えて来た。年を重ね、大人になった気分になっているけれど、未だに世間の風に吹かれ『踊り』、『踊らされている』自分に気付いていない情けなさよ…。かつて部下として机を並べていた女の子に電話を入れてみた。(ここのところ姿を見掛けなかったので、辞めてしまったのかしらなどと余計な心配をしてね^^;)『おやじぃ』からの電話に嫌がりもせず出てくれた彼女も、今では二児のお母さん…出産、育児休暇で姿が見えなかったことを知り、『おやじじぃ』は安堵しましたよ(笑)
「大根葉」の煮物でお酒もご飯も進む^^;
親子ほどの年齢差があるから、同僚と言うよりは『おやじじぃ』が適切な表現ではあるわなぁ^^; 新採の娘っ子たちが、『おやじぃ』からすれば危なっかしいような恋をして、今ではそれぞれお母さんと職業人の二役を務め上げている。(良しヨシ^^;)幸せそうな近況を聞ければ『おやじぃ』は満足なのでありますよ。(突然の迷惑電話に「ゴメンな」と申し開きだけはしておきましたけれどね^^;)
はてさて、心理学の分野に「共感疲労」という用語があるそうな…介護、看護職をはじめ、対人援助をする方々が過度に自分の感情を抑え、相手に共感することで疲労しきってしまうことらしい。また、コロナ禍の憂鬱な気分や、自然災害に対する無力感、ウクライナ報道に対する無力感なども、ストレスを引き起こし、疲れ果ててしまうこともあるらしい。『おやじぃ』もまた、チューリップの株を見て、『踊り子』を連想するほどの『情緒家』だから危ないアブナイ^^; どこかで、キリリと一線を画すことが必要なのかも知れない。歳を重ねたとしても、狭い舞台でつま先立ちになって『踊らされて』いないかい?自分の意思で『踊る』のはヨシとして、『踊らされる』のは御免被りたいものだわ(笑)
#戦争反対 ウクライナが独自開発した巡行ミサイルがロシア艦船を撃沈?これもロシアにしたら隣国の『脅威』のひとつでしょうに…こんな発言をすると『おやじぃ』はロシア側の人間か?と詰問されてしまう。「よくやった。」などと手放しで喜んでいる場合じゃない。無益な戦争を止めさせたいだけなんだけれど…さもないと、武器供与で肥え太るのは一体誰なんだということなんだけれどなぁ。