「サワグルミ」ですかねぇ…?
人の本心というものは、うかがい知れない部分がある。「本音」とは「本来の音色や本心からいう言葉」という意味であるのだけれど、我が在所で『ほんね』と言えば「違う」という意味になる。「お前の言っていることほんねべぇ!」と言えば、「貴方の言っていることは本音でしょう!」という意味ではなく、「貴方の言っていることは違うでしょう!」という意味になり、「お前の言っていること本音だべぇ。」となって、ようやく前者の意味になる。「ほんね↓(本音)ほんねぇ↑?」となれば「本音じゃないかしら?」という類推の会話になるから、実にややこしい話ではあるけれど、前後のやり取りで想像がつくのでありますよ^^;
さて、『おやじぃ』さえも、日常をブログという形で日記に認めているような世情だから、世の中には様々な情報が流れ、ことの真偽も確かめずに「さもありなん。」と同調し、文字時として主張の一部分をことさら取り上げて「それが本音?それはほんね!」と勝手に判断してしまっているから困ったものである。『おやじぃ』にしてみると「ツイッター」というものは苦手である。140文字(全角)の「つぶやき」という前後の文脈が見えない中で、身勝手な判断や誤解で、他者を傷つけてしまう事例もあるようである。政治家、評論家を名乗る方々も、情報発信手段として盛んに利用されているようではあるのだけれど、真意が見えなくなってしまうこともあるようですなぁ…。(長文では読んでいただけないだろうし、『炎上』という名のウケを狙っているなら別ですけれどね^^;)
これ、ほとんどが在来種のタンポポです。
農道脇の畦畔には「西洋タンポポ」が…と思いきや、在来種のタンポポでした^^; どうもポツリ、ぽつりと咲く「在来種」のタンポポに見慣れているせいか、群落で咲いていると「西洋タンポポ」であるとの思い込みが生じてしまうようでありますよ。ましてや、農道脇である。「在来種は自然豊かな場所に…。」などという解説書を読んでいるから、思い込みはさらに深みにはまってしまうのでありますよ。「これは、みんな(全部)在来種です。」と断言しないところが素晴らしい^^;(見た限りにおいては、在来種ではあるけれど、中には西洋種もあるようだ…。)同じような光景なのだけれど、鉄コン水路脇の農道では西洋種が幅を利かせておりました。「鉄コン水路」が写っていれば『都市化(整備)』をイメージし、「土側溝」が写っていれば『田舎(未整備)』をイメージしてしまうという観察者にとっては、悪しき例なのかも知れない。
たまたま、ここが「在来種」の繁殖に適した場所であり、たまたまそこが「西洋種」にとって繁殖に適した場所だったのかも知れない。タンポポは「本音」を語ってくれませんのでねぇ…後付けで人間様が勝手な理由を考え出すのでありますよ^^; 「みんながそう考えている。」と同調を求めるのは一向に構わないけれど、「みんながそうである。」と断定されるのは叶わないなぁ(笑)
#戦争反対 昨夜、保守本流とも思える論客の主張にも耳を傾けた。軍備の増強…こんな世情だから、耳にも馴染みやすい。生き残り戦略は、それだけなのだろうか?「生き物」たちは棲み分けも含め、生存方法にも多様な手段を持っているような気がしてならないのです。