本日の目のご褒美です。
この花もまた、そのお名前を知りませんけれどね^^; 野の「コゴミ」はまだ早い。ハウスに取り込んだ「コゴミ」が『ほけた(伸びた・葉が広がった)』から、山の「コゴミ」は当然まだまだ早いに違いない。昨年は連休には『ほけて』いたから、大雪だった今年はさらに遅いに違いない。直売所の帰り道、足を延ばして『おやじぃ』の狩場を覗いてみたのでありますが…あらら『ほけて』いた。確かに日当たりの良い場所ではあるのですが、『おやじぃ』の早出し構想はこれで頓挫、もっと早くハウスの中に取り込めということですわなぁ^^; 『野』にぼんやりと暮らす『おやじぃ』と違って、『山』の植物たちは敏感に春の訪れを感じているようであります。
雪の影響かなぁ…いや、獣が掘り返したような跡もある。昨年と違って、さらに山は荒れ、「コゴミ」の株も消失してしまっておりましたよ。『おやじぃ』の背後の藪からは「ホーホケキョ♪」縄張りを主張するウグイス♂の鳴き声が…「野の者よ、山を荒らすな。」との注意勧告ですかねぇ。「あんだは食べないでしょうに…絶えない程度に少々山の恵みを分けてくださいな。」とお願いするのでありますよ。
そうそう、取り合わせの良い物の例えとして「梅に鶯」なる諺がありますけれど、南画に好んで描かれる、いわゆる『うぐいす色』の小鳥は、「メジロ」に違いない。ウグイスは藪の中を好み、色はもっとくすんだ色合いだもの…確かに、生態学や生物学では、それが正しいのだけれど。
同じ「芋」を使っても色合いが全然違う^^;
「梅は春を代表する花(色、視覚)であり、ウグイスの鳴き声は春の訪れを告げるさえずり(音、聴覚)であるから、美しく調和する物として描かれているのである。」「ウグイスとメジロを取り違えていると物知り顔で主張するのは、歴史や美学を心得ていない者の発言である。」と寄稿されていた方もいらっしゃった^^; まぁまぁ、口角に泡を飛ばしてまで議論する内容でもありますまいに…いわゆる「智に働けば角が立つ。」というやつでありますなぁ。『博物画』として、開花した梅の枝の鶯を描いたのならいざ知らず、美的センスの問題と生態学の分野で、互いに間違いを指摘し合っていたところで立ち位置が全く違うのであるから…。道すがら、越冬した「ルリタテハ♂」が、陽を浴びて翅を開閉しておりましたよ…お日さまに輝く「瑠璃色」を美しいと感じるか、ぎゃ~『チョウマ(蝶々)』だと『人類の敵』の如く、大騒ぎするのにも似ている^^;
夕刻、お隣の『えっちゃん』から晩酌のおつまみの差し入れがありましたよ…友人『ノロ社長』渾身の作「芋煮」も美味しいけれど、見た目は主婦『えっちゃん』の「芋煮」に軍配が上がる。目に優しく、舌に美味しく、耳に和らぐ春の音…本当は「オラオラ、ココはオイラの縄張りだぜ!」と威嚇しているのかも知れませんけれどね(笑) のどかな里の春でありますよ。
#戦争反対 「千羽鶴を贈るのは無駄である。送るならお金を…。」それもひとつのご意見ではある。『ほう、法華経』…全ての生き物には「仏の心」が宿っているんだそうだとか。願いを形にして、「仏の心」に届けと祈るのも悪いことではないと思いますけれどね。