大きな「キャラ」の樹でありますが…
今は亡き実姉の嫁ぎ先のお葬式…この3年間のコロナ禍により「葬儀」の有り様も変わってきました。今回のお葬式も人の集まり(密)を避け、一般会葬と近親者による告別式は別々に執り行われました。それがどうということもない…遺族と親しい間柄であれば、また日を改めて弔問に訪れれば良いだけであり、浅い付き合いであれば、香典を携え手を合わせて『義理』だけは果たせば事足りるのだから…。
「葬送」は由来不明、意味不明の『儀式』が延々と続く。一つひとつ調べれば、その由来も出てくるのだろうけれど、知っていたところで『物知り顔』を披露するだけで、『葬式馴れしている。(不幸を多く経験している。)』などと思われても叶わない。故人との関り合いを思い出しながら、語り合うことで、故人は自身の心の中には生き続けていると思いたい『おやじぃ』であります。
がしか~し、「お経の時間短くないかい?」(これタイパ?)「それでお布施はいくらだったの?」(これコスパ?)と余計な雑念が湧き上がる…それもこれも、住職が黒塗りのベンツで葬儀場に乗り付けて来るところから生じる不信感。「曹洞宗」普及のために、必要な物品なんでしょうなぁ。いやいや、住職と言えど、宗教法人(非課税)からの給与(課税所得)で生計を維持しているのだから、自らの給与(課税所得)で何を購入しようと勝手ではある…庶民の生活からはかけ離れているところを『僻んで』いるだけかも知れない^^;
「手料理」も『タイパ』が悪い?
さて、『タイパ』とは、「コスパ」に対して、かけた時間に対する成果、満足度を意味する表現で、若者(Z世代)の傾向として使われる「タイムパフォーマンス」を略した言葉である。映像は、時短再生し、歌のイントロが長い曲は嫌われる…どこまで、時短を追求するのやら、そして、時短で得た残りの時間を次は何につぎ込もうというのでありましょうか?
はてさて、親子とは言えど、育てる(親だって育てられる^^;)…同居する時間は、高校までの高々18年間である。地元を離れ都市部の大学に進学し、就職すれば別々の生活を送ることになる。最近では、スポーツ留学などで早々に親元を離れる子どもさんも居るから、一緒に暮らす時間というものは実に短いものであると思うのでありますよ。(その割に、仕送りなど「コスパ」が良いとは思えないけれど…これは我が家のことかいな^^;)子育ては『タイパ』重視で、早く育て…早く育って、逆に親にお小遣いでも仕送りしてくれたら実に「コスパ」の良い子育てであったと思えるのだけれど、その分「コスパ」『タイパ』が悪いから、親父に唱えるお経は早送りしてくださいなんて言われたりして…。『おやじぃ』は鈍行で旅しますからお先にどうぞ…と先を譲りますが、まだ地元駅も出ていない『のろまな旅』をこれからも楽しみたいのでありますけれどね(笑)