その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

もしも明日が…

2023-06-07 09:46:05 | 転職

「アジサイ」の花は、まだですなぁ…。

「もしも明日が…。」は、1983年に発表された「わらべ」の楽曲で、当時放送されていた「欽ちゃんのどこまでやるの!」の挿入歌でした。当時の番組は、『いじり』もあったけれど、家庭内に起きるドタバタ劇を『お笑い』に変える、ほのぼのとした笑いがあったような気がする。今なら「サザエさん」あたりが似た雰囲気を持っているだろうか?
いやはや、『おやじぃ』はお笑い番組を調べようとしていたのではなく「もしも」…「もし」…「もしもし」を調べていたのであった。「もしも(若しも)」は「もし(若し)」を強めた言葉であり、「副詞」として使って、まだ現実になっていないことを仮に想定するさまを表す…などとわざわざ説明を受けなくても日常的に使っているのでありまして、『もしも明日が…』の後には、明るい未来を想像したいものである。しかし、『もしも明日、ミサイルが飛んで来たら…』を想定した避難訓練が、我が在所高畠町であったのでありますよ。国の進める避難訓練を高畠町が会場として引き受けたということでしょう。当然、今年の集落役員にも参加の打診がありましたけれど、「へそ曲がり」の『おやじぃ』は欠席連絡…どんな講話があり、訓練があったのかも知らない欠席者が安易に批判するのも如何とは思うのだけれど…。


晩酌会…『ノロ社長』は『高齢剣』参加^^;

さて、経験不足のカラスの『カン太郎息子(性別不明)』が、昨日、感電死したかも知れないと、『世話人』である『ノロ社長』に伝えたら、「今朝も親子で朝飯を喰いに来た。」とのことであった。『カン太郎息子』の感電事故死は、『おやじぃ』の勘違いであり、毎日、餌付けをしているとは言え、『毛並み(羽のボサボサ感)』だけで識別できる彼の観察眼には敬服する。(彼にだけ懐いているということもあるけれど…。)
はてさて、今年、集落役員を仰せつかってる同級生のオヤジたちは、「Jアラート」発報後の避難訓練に懐疑的である。(参加した多くの区長さんたちには申し訳ないけれど…。)「発報のエリアが広範囲過ぎる。」「発報時には着弾している可能性がある。」「途中、飛翔体を見失ってしまう。」etc.と酷評してしまう。(防衛省だって必死に追跡しているのでしょうけれど…)結局のところ、「この国は『竹槍を持って上陸戦を阻止する』という精神論から一歩も進んでいないのではないか。」などと無責任な言葉も出てしまう…。「もしもの時は、自分で考え行動する。」それがこの避難訓練の『キモ』なのかも知れませんなぁ。『もしも明日が…』ほのぼのとした明るい日であってもなくても、死ぬ者も居れば、生き残る者もいる…『紙一重』などという言葉もあるけれど、『もしも明日が…』の後には、平和な日常が続いていると信じたいのでありますけれどねぇ…。

コメント
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