「朝三暮四」…焼きナスがふた切れに^^;
夢の中で『老人♂』が不満を漏らして会場を出て行った…何が不満なのかは分からない。目が覚めて、ふと『満足』とは何かを考えてみた。古代ギリシャの哲学者エピクトテスは「豊かさとは(中略)少ない欲求のみをもつことにある。」と語ったとされるのだが、ここから『おやじぃ』の瞑想(迷走)が始まる^^;
夢の中の『老人♂』が不満であるということは、何がしかの『欲求』を持っている訳であり、それが満たされれば『満足度』は上がるはずなのだけれど…「満足の要因と不満足の要因は同一線上にあるのではなく別々に存在する。」という二要因理論を発表したのが19世紀のハーズバーグ(米)であり、一世風靡したようでありますよ。『おやじぃ』なりに解釈すると「明日からご褒美としてビール(評価)を二缶にします。」と言われてホイホイついて行くけれど(満足)、健康に不安(不満)を抱えていると、「それでは健康が害される。」と不安の解決策にはなっていないことに不満を覚えるといったところかなぁ…。
ちなみに、友人『ノロ社長』にゴチになったしめ鯖は、明日半分になったとしても、不満を覚えないかも知れない。(あまり好きではないから^^;)しかし、今夜、焼きナスがふた切れになり、明日、ひと切れに戻ったら不満を覚えるかも…どうやら『第三の要因』も存在するようである(笑)
小菊がもう咲いている…
さて、中国故事の「朝三暮四」…登場するお猿さんは、一日に貰えるドングリの量が変らないのに、朝三つ貰えるか、四つ貰えるかで一喜一憂する。為政者は、巧みな詐術で衆愚を欺くことの例えとして使われますけれどねぇ…。
はてさて、『おやじぃ』が不満を持つ『老人♂』の夢を見たのも、『住民意識調査』なるアンケート調査用紙が届いたことにもよるのも知れない。「大いに満足~ふつう~大いに不満」と大概は五段階評価で満足度を推し量る訳なのだけれど、何と比較して、どこと比較して『満足』か『不満』かを選択するのも難しい。もしも「水洗トイレをポットン便所に戻してでも、福祉予算を増額すべきである。」などという設問があったなら『大不満』と回答するだろうけれど…^^; 総てが、現状が補償された上での設問であるから、後戻りすることなど思ってもみない。『おやじぃ』が経験してきた生活様式を振り返れば、充分過ぎるほど幸せでありますよ。これもまた『自立』した生活が出来ているからでありまして、身に『不自由』が訪れたなら…「少ない欲求をのみもつことにある。」ドングリが明日も補償されていると幻想を描くのは、お猿さんと何も変わらないような気がして来たぞ(笑)