1月11日は「塩の日」です…(フリー画像)
由来は、藩祖上杉謙信公が、今川氏から塩攻めされている武田方の領民に塩を送った日が由来であるとされているようでありますが、無償で贈った訳ではなく、通常価格で越後の塩を送ったという説もある。「敵に塩を送る」という美談の故事も、経済戦略のひとつであり、領土の拡張もまた、自国の食糧確保(調達)手段と考えると、豊かな世界になったとしても『争いごとの種』は尽きないとも思える。
日航機事故に端を発したペット客室持ち込みの是非もまた然り…炎上した民間機の乗客が奇跡的にも無事だったと言う幸運の一方で、海保の職員5名の方が亡くなっている。家族の一員としてのペットの命も重要ではあるけれど、『家族』と思う者と『家族ではない』と思う者の心の交差が気にかかるところではある。公共交通機関内での赤ん坊の泣き声や騒ぐ子どもたちへの対応と同じようなものであり、どんなにか可愛い子や孫の泣き声であったとしても、『家族ではない者』の発する音は迷惑この上ないものなのかも知れない。「困ったときはお互いさま。」とか「寛容性に欠けている。」と断じてしまえばそれまでのことではあるけれど、『個』というものを、それぞれに大切にしていくと必ずやそこには『壁』が出来上がるに違いない。『壁』の存在を意識しつつ、『塩対応』で素知らぬフリをする…『大人の対応』とは得てしてそんなものかも知れないねぇ(笑)
冷凍モノの「鰯」でしょう…
さて、能登半島地震も10日ほど経過し、そろそろ各界から『支援物資』と言われるモノが届けられているに違いない。『何か役に立ちたい。』という純粋な気持ちとは裏腹に、『今は必要とされないモノ』まで送られてしまうことが常のようである。必要とされるモノとは何なのか、お届け先から避難者に届ける配送手段があるのか、よくよく考えてから行動された方が良さそうである。決して『悪意』などない『純粋な行為』さえも『悪意』とも捉えられかねない重要な局面であるのだから。
はてさて、藩祖上杉謙信公の「敵に塩を送る」行為も、ただの経済活動の一環であったとされてしまうと少々興醒めしてしまう。一方では、和睦の手段として武田領内での塩の高騰を防いだという説もあるようだ。本来は、正確な情報を伝えていると自認しているはずのマスコミ映像も、倒壊した家屋や避難所の光景を映し出すだけである。戦時ではないが『有事』であることは確かであるのだから、物見遊山的なボランティア志願者や純粋な気持ちからの『支援物資』も、受付窓口が設けられているようだから確認してから参加いただきたいものである。この場合は、『塩対応』などとは言われないはずである。冷静に必要なモノや必要とされる手を適所に届けるために、一旦、『純粋な善意』を我慢するのも『大人』の対応なのかも知れませんぞ。