御笠川沿いの桜並木は、豪華絢爛な花時を迎えていた。惜しむらくは花曇りの空、桜は初夏を招き寄せるほどの真っ青な空にこそ映える。
しかし、コロナ籠りに倦んで「コロナブルー」に陥りがちな身も心も、一気に解き放つような花のトンネルだった。大きく川面に差し伸べた枝から、もう花びらが風に舞い始めていた。数日後には、この流れに美しい花筏を浮かべることだろう。
不要不急には違いない。しかし、平日の昼間、川風が花びらを舞わせ、行きかう人も稀なこの川辺を歩くに、誰の許しが要ろう。「高齢者」=「コロナ弱者」故に、日ごろの用心と自粛は怠らないし、在庫乏しいながらマスクも常備し、友人から贈られたお手製のマスクもある。街中の雑踏でなく、「三密」の気配もない自然の中で風に吹かれて花びらを浴びながら歩く時間は、身体ばかりでなく心の妙薬でもある。これだけ用心してなお罹るなら、もう打つ手はない。覚悟を決めて従容と受け入れよう。
コロナを忘れ、鉄面皮のシンゾウもバカ丸出しのアキエも忘れ、桜色の木漏れ日を浴びながら、老々散策を楽しんだ。
「モリ・カケ・サクラ」のお蔭で、今年は心なし桜の花びらまでが薄汚く感じられる……ような気がする。花には何の罪もないのに……。
おまけに、訳が分からないマスクが2枚ずつ届くという。「またか!」と呆れる気力もない。アベの相変わらずのパフォーマンスに、貴重な200億の金が使われる。「アベノマスク」というらしい。
そして、昨日まで20万円と言っていた現金支給が、突然30万円になった。根拠も対象もわからない。アベの後継問題が潜んでいるのか、突然キシダが表に出てきた。醜くくすんだアベの顔色からすれば、交代時期は意外に早くなるかもしれない。
しかし、己の権勢欲を満たすためなら、見え透いた大ウソでも平然とつき続ける奴だから、コロナでやられても這いずって政権にしがみつき続けるかもしれない。彼の頭には、「オリンピックと憲法改正を成し遂げた総理」として、歴史に名を残すことしかないのだ。
後手後手でピント外れな政策を繰り返し、官僚の書いた文書を読み上げるしか能がない男。形容詞と形容動詞ばかりで、内容のない「朗読劇」を演じるピエロ。カタカナ文字を羅列すれば権威あると錯覚している男。「まさに」と「しっかイと」(ラ行のろれつが回らなくなってるから「しっかりと」が「しっかイと」としか聞こえない)を繰り返す男。どうして諸外国の長のように、「自分の言葉」で「国民の目を見て」訴えようとしないのだろう?大嘘つきが「自粛」を呼びかけても、だれが聞く耳を持とうか。(ある記事を見た。「本当の嘘つきは、自分が嘘をついているという意識すら失っている」と。)
こんなリーダーに率いられていることこそ、コロナ以上に厳しい日本の最大の悲劇かもしれない。アベを選んだ国民は、命を懸けて懲りることになる。
もっと呆れるのは、この非常時で国の総力を結集しないといけないというのに、「コロナ鎮静後、観光復興のために一大キャンぺーンを打つ」という訳の分からないニュースが流れる。観光立国など、国民は望んでいない。あれほど観光公害が出ているのに、まだ4千万人だ6千万人だと政府がぶち上げる。多分、永田町の観光族議員の古狸が仕掛けているのだろう。あらゆる魑魅魍魎が跳梁跋扈する永田町だから、狸もウジャウジャ群れているに違いない。
嗚呼、今日だけは思い出したくなかったナ~!この美しい爛漫の花の下で、言いたくなかった!
川面に戯れるシラサギやカモを見やったりしながら、川沿いを朱雀大橋まで歩き、右に折れて都府楼政庁跡の広場に出た。例年になく人が少ないのは、学校や幼稚園の遠足がないからである。それでも、子供連れの母親の束の間の癒しの姿が見えて微笑ましい。
木陰にシートを拡げて、コンビのお握りをほどいた。自然の中で舌鼓を打つ。何よりの御馳走だった。
帰り道に立ち寄った観世音寺参道脇のハルリンドウは、今真っ盛りだった。木立を囲むように、一面に敷き詰めた花の数は圧巻だった。早速撮った写真を親しい友人に写メで送ったカミさんは、花の絨毯の傍らに、カメラケースを落としてきた。
気付かないままに、参道前の喫茶「観音(かのん)」でお茶して帰ったところに、観世音寺の前に住まいする友人から、写メが来た。
「今ハルリンドウの所に来ています。奥様のカメラケースではありませんか?」
桜と春竜胆に癒され満たされて、笑いの中に我が家の春が終わった。
(2020年4月:写真:真っ盛りの春竜胆)