――雨が降る。風が吹く、もう遠くに霞んでしまった冬将軍の引き摺る踵を垣間見せながら、小さな戻り寒波が冷たい雨と風を送り込んで来る――
大気に漂うコロナウイルスを、吹き払い希釈する恵みの雨風と思えば、家籠りする身には特に不自由もない。
Stay at Home と、またまた横文字・カタカナ文字の氾濫である。クラスター、オーバーシュート、ロックダウン等々。「家にとどまる」「集団感染」「爆発的患者急増」「都市封鎖」という分かりやすい日本語があるのに、政治家や学者やマスコミは、何かというとカタカナ文字を使いたがる。かつての「西洋かぶれ」や「舶来品珍重」を思い出す。偉そうに聞こえるとでも思っているのだろうか?
さすがに、もう現実のものになった「医療崩壊」にあたるカタカナ文字は登場してない。
ネットのある記事にこんな記載を見つけて、ウンウンと頷きながら笑ってしまった。笑ってる場合じゃないのに……。
「母国語である日本語を柔軟に扱う能力がない男を、首相として重んじることは到底できない」
諸外国から、日本の対応の甘さを指摘する声が相次いでいる。
「この状況は各国の経済だけではなく、我々が享受している文明そのものを破壊しかねない、恐ろしく、終わりが見えない“戦争状態”なのです。
相手はどこにいるのかわからず、避けようと思っても忍び寄ってくる……。恐ろしい亡霊のような、しかし破壊力は爆撃以上の恐怖の塊なのです。」
マスクが店頭から消えて既に2か月以上になる。乏しくなった在庫は最悪の事態に備えて取り置きし、使い捨てのマスクを殺菌用石鹸で押し洗いして、熱風で乾かして再利用していた。不織布だから、洗ったら効果がなくなることは承知しているが、無いものは無いのだ。ウイルスの遮断は出来ないとしても、自らの飛沫で他人に迷惑を掛けまいと思っていた。
耐えるしかない「コロナ弱者」の高齢夫婦は、このところ温かい善意に包まれて幸せな気分に浸っている。いつも新鮮な野菜を届けてくれるY農園の奥様から2度にわたって、博多に住む家内の従弟の奥さんから、そして東京に住むその娘さんから、相次いで手作りマスクが届いたのだ。それぞれの模様の生地と「デザインで、縫った人の手の温もり・心の優しさまで伝わってくるマスクの数々である。
その善意が嬉しくて、涙が出そうだった。
実は……東京から送られて来たのには、ある裏話がある。彼女のFacebookに、「手作りマスクを縫いました!」という書き込みがあった。早速、半ば冗談、半ば本気で「良かね~、欲しか~!」とコメントを入れたところ、早速それに応えて手作りし、送ってくれたのだった。
とりどりのマスクを並べ見ながら、「よし、これで乗り切れる!」という、確信にも似た思いが沸き上がってくる。政治家の思惑の及ばない市井の片隅で、一人一人がこうした善意に守られて懸命に生きているのだ。
四百数十億を掛けたパフォーマンスの、アベノマスクなんか要らない!
2月12日に、博多駅前の公証人役場に公正証書遺言状を巻きに行って以来、JRにも西鉄電車にも乗ってない。既に雌伏2か月、忍耐の日々はまだまだ続く。ワクチンや治療薬が確立しない限り、数か月どころか数年、あるいは第2波、第3波という国際的波状感染で、もっと長い間戦いが続くかもしれない。
日々の生活のあり方を、そして「命」というものの尊さを、改めて見詰め直す時が来ている。
――雨が降る。風が吹く、もう遠くに霞んでしまった冬将軍の引き摺る踵を垣間見せながら、小さな戻り寒波が冷たい雨と風を送り込んでくる――
2020年4月:写真:善意の手作りマスク)