気温は高かったが、たれこめた雲と雨が寒さを感じさせる。3年間、母の物忘れ外来通って初めての雨の日だ。母は短期記憶以外は比較的しっかりしている。考えることや情緒的なことにはびっくりすることがある。日常生活はめちゃめちゃだが、そのことにも気がついている。物忘れがひどいことが彼女を苦しめている。認知症は、そういう意味で残酷な病気だ。その人によって進行や症状が違うのも、病気の理解が難しいことなのだろう。幸い、自己が壊れていないこと古い記憶が残っているので、母はいいほうだと思う。
ちぎり絵のような作品を作っていた。千代紙やらをきれいに張って、ツバキと(なぜか)きゅうりと柿がある張り絵だ。赤いツバキがテーマらしい。そこに「海が見える小高い丘のうえに、椿の木がありました。冬になると赤い花をたくさん咲かせました」と毛筆で書かれていた。この文を読んで絵を作ったと思ったら、あとでこの文を母が考えたということだった。これを持って物忘れ外来に出かけた。大好きな先生を励ますためだという。
「いかがでしたか?お正月は?」などの先生の質問が終わると、母はいそいそとその作品を取り出した。「今日は、先生を励まそうと持っていくといっていました」と私が言うと、先生はびっくり!年末の「これからは人のため生きたい」という母の発言にも感動!あけても暮れても先生はわけのわからない話を聞いている。診察室から時々は、大きな声の家族の喧嘩も聞こえてくることがある。母はそんな先生のことを理解していた。だから、「先生のために」とその絵を持っていった。それがよ~くわかる先生だ。うれしいそうな先生の顔が心に残る。帰り道、母はルンルンと子供のようにはしゃいで歩く。
認知症という病気?早期発見と私のような残酷な家族のほうが以外に進行が遅い気がする。共倒れにならない。それがキーワードかもしれない。認知症にしても他の病気にしてもどんな姿になっても「最期まで看取る」という覚悟があると共倒れにならないのかもしれない。そういう意味で私は自分の残酷さを愛している。
ちぎり絵のような作品を作っていた。千代紙やらをきれいに張って、ツバキと(なぜか)きゅうりと柿がある張り絵だ。赤いツバキがテーマらしい。そこに「海が見える小高い丘のうえに、椿の木がありました。冬になると赤い花をたくさん咲かせました」と毛筆で書かれていた。この文を読んで絵を作ったと思ったら、あとでこの文を母が考えたということだった。これを持って物忘れ外来に出かけた。大好きな先生を励ますためだという。
「いかがでしたか?お正月は?」などの先生の質問が終わると、母はいそいそとその作品を取り出した。「今日は、先生を励まそうと持っていくといっていました」と私が言うと、先生はびっくり!年末の「これからは人のため生きたい」という母の発言にも感動!あけても暮れても先生はわけのわからない話を聞いている。診察室から時々は、大きな声の家族の喧嘩も聞こえてくることがある。母はそんな先生のことを理解していた。だから、「先生のために」とその絵を持っていった。それがよ~くわかる先生だ。うれしいそうな先生の顔が心に残る。帰り道、母はルンルンと子供のようにはしゃいで歩く。
認知症という病気?早期発見と私のような残酷な家族のほうが以外に進行が遅い気がする。共倒れにならない。それがキーワードかもしれない。認知症にしても他の病気にしてもどんな姿になっても「最期まで看取る」という覚悟があると共倒れにならないのかもしれない。そういう意味で私は自分の残酷さを愛している。