午後から晴れてきてさわやかだ。昨日と今日はパソコンの前から動けなかった。取材のあとはいつも忙しいが今回は特に忙しかった。まぁ、嬉しいことだが。シニアサッカーのピッチでのプレイ姿をお撮りしているが、今回、写真をお送りした方から、「サッカーをする楽しみが増えました!」というメッセージを頂いた。脳梗塞からリハビリの末、ピッチに復帰した方からも、こんな姿が見られるなんて!というメールを頂いた。ああ、そんなメッセージをいただけるなんて!と嬉しかった。
そうだ!だれかの(なにかの)楽しみ(喜び)を届けられるように生きていこう!と思った。喜びと届ける人でありたいと。ふと思い出したことがある。あまりいい思い出ではないといえるかもしれないが、もと夫の本気相手の手紙が不幸にも塾の教室に置き忘れてあった。嬉しくて忘れたのか?どうかはわからないが、読んで急いで教室を出たのだろう。翌日、私がみつけてしまった。ある程度、予測はしていたが、これはどうしたものか・・・と苦しんだ。
それでもと夫の本気は完全に発覚したのだが、その手紙の中に今でも憶えている一節がある。(うろ覚えだが)『あなたの歩いていく道に薔薇の花を散らして生きて生きたい。あなたは気がつかずにその上を歩いていく』だったと思う。いま、「あなたに喜びを届けたい」と思うと、彼女はすばらしい女性だったなぁ と思う。彼女が23歳くらいのときだと思う。そうして、本当にすてきな薔薇の人生をもと夫に贈った。私となら茨の道だっただろう。
先日、龍潭寺へ行ったときのこと。帰りに門前に落ちている沙羅の花を拾う人がいた。黄色く汚いものだけ拾っている。お寺の方だろうと、「どの木から落ちてくるのですか?」と聞いたら、「上からです」と言われた。上?花は見えなくて、葉っぱばかりだ。不思議そうな顔をする私に「花は葉の上にあるからみえないでしょう」と言われた。そうか、花は見えないのか・・・・。そのときに前述の薔薇の話を思い出した。
私のことだから押し付けがましいかもしれないが、あなたの歩いていく道に沙羅の花を散らしていこう。そういう生き方がいいなぁ。何も惜しむことがない。花もなくなりやがて葉を落とし、枯れていくにしても。