やっと「引っ越しました」 のはがきを書いている。12月末に決まり、2月の20日頃の引越しだった。今思うと、よく出来たという感じだ。そして3月、4月、5月はNPOの取材が続き、その間に転居に伴う事務的な仕事があった。6月は、NPOと友達の会社の決算報告。一息つくとめまいがでてきた。7月の中旬になってしまった。友達には8月に東京に出たときにでも、引越しの理由などはお話しよう。
人生の最期に後悔することの一つに「自分に正直に人生を生きられなかった」があるそうだ。(海外の終末期ケアをした人の記録)やはりそこには『人の目』というようなものへの意識が働くらしい。家族の問題が大きいだろう。でも、独りでも正直に生きられるかどうかはわからない。ふと、自分が母親だったら息子や娘にどう生きてほしかっただろうか。娘なら、ごく普通に家庭を営んで平和に暮らしていてほしいと思う。息子なら、何か人の役に立つ仕事をしていてほしいと思う。父や母は私にどう生きてほしかったのだろうか?「ああしなさい、こうしなさい」はなかったが、なにかを形造りにくかった。昨日書いた親友のYちゃん「子供達にはのびのび自由にやりたいことをするように育てたけど、結局どうにもならないものになったわ」と笑う。「枠がないと豆腐も固まらないものね」と笑った。
長浜に越したとき、みなさんが裏やましがった。よく決断して行動したと。こうして転居届けを書いていると、あの引越までの怒涛のような2ヶ月はなんだったのだろうか。なにも考えず最後の仕事のように荷造りをした。いつまでこの家で暮らせるかわからないが、あの時は自分の気持ちに正直だった。ここで動かなくては後悔する と。他の人がどうかではなく、この築40年近いぼろ長屋が私にはいいのだ。ごった煮のような長浜の町がいいのだ。大きな海のような琵琶湖がいいのだ。
「みな人の 迷いの海は 深くとも 法の(のりの)舟にて 渡す岸寺」 昨日の光源寺のご詠歌だ。