夕方のこの時間、2階の仕事に区切りをつけ、1階の自分の時間に戻るまでの時間。ぼんやりと外を眺めている。癒しのBGMをかけながら。仕事がいやなのではないが、掃除や料理をしたり、習い事の時間にしたいとは思う。母が父が亡くなってから、書道を初め、父のやっていた家庭菜園を始めた。家庭菜園の周りにお花を植えていた。なんでもきちんとした母は書道も畑仕事も上手にやりこなした。そんな母の姿を思い出すと羨ましく思う。今の状態は体が気持ちについていかないようだ。だから、このぼんやりがいいようだ。
「もう少し早く逢っていれば・・・」そんな言葉はよくある。特に男と女の間には。でも、そうでもない気がする。それぞれが時で、それが二人の「とき」でいいのだと。このごろはそういう縁(えにし)なのだと思える。「全てのことには時がある」 と聖書にあるが、そのまま受け止めるのがいいのではないだろうか。逢うのが遅かったと悔やむでもなく、早くて悔やむでもなく、ただそのときを受け入れるしかない。あがかないことだろう。時の流れに身をゆだねていけば、無理なく流れていける気がする。この30分間ぐらいのなににもならない空間と時間がそう思わせてくれる。
「もっと早く逢っていれば・・・」そうじゃないのよ、そうだったら、それはうまくいったかどうかわからないわ。与えられたときがあり、そのときをどう生きるか、悔やまず幸せに生きるにはどうすればいいか。それが人の知恵かもしれない。
そろそろ下へ降りて食事の仕度です。二人の食卓のために。