昨夜は久しぶりに親友のYちゃんと電話で長話をした。ご主人が出張のときはそれ! と話をする。おそらくそうしないと二人ともストレスが溜まるからだろう。昨夜は「しみ・しわ・白髪」の話ではなかった。お母さまが100歳になられた!彼女の助けを借りてはいるが、日常生活はご自身でされている。Yちゃんが「いままでいわゆる世間でいう愚痴も言わず、なんでもNさん(ご主人)のすることは許してきたけど、本当にそれでよかったか?私は逃げていただけではないかと思うの」と話した。「そうね、許すのも罪かもしれない。必要なことはうまく伝えるほうがいいように私も思うわ」と言った。「ここまでくるともう修正がきかないけど、そう思って反省しているわ」と彼女。
今朝は起きられないのでミサは行けなかった。イエス様に謝りながら、家で祈った。昨夜の彼女のことば「一生懸命、人を愛してよかったと思うの。そういうことが人生にあって本当によかったじゃない、なにもないよりも。愛したのよ!」が力にはなるが・・・。そうか、高月へいって写真を撮ってこよう。1時間に1本の電車だ。高月は光源寺、冬の雪景色がいいのだが十一面観音像を見てこよう。
戦乱の世に、住民たちに猛火を冒して搬出して、土中に埋蔵された仏さまだ。裏面まで回れて十一面の暴悪大笑相までみられるが、それよりもやさしくびれた胴とわずかにひねられて腰のうつくしさに目がいった。半歩踏み出した右足も印象的だ。この仏さまのお身体の中にある熱いものは何なのだろう。
かの人も巡りし湖北の仏たち。このあたたかさと熱いものをおあたえになったのだろうか。