何か不機嫌だった昨夜。いや、何かではなく原因はわかっている。喉元まで出る言葉を今日までしまっておくことにした。それができるようになったので人間関係をこわさずに済んでいるのかもしれない。目覚ましで目が覚めた。今日はミサと陶芸に出かけるので早い。気温は昼間は平塚とそうは変わらないが、朝晩の冷えは体に利く。今朝は「生きている」どころではなく、出かける準備だ。
先週の金曜日の陶芸の授業の後、先生が「もう1日授業を増やしてもいいよ」と言われた。せっかく学んだことが1週間経つとぼけ老人は忘れてしまう。「体得」することは、週1と週2ではかなり違う。そんなことを考えていた時なのでびっくりした。毎週2回は難しいが、3月まではできるだけ週2回行くことにした。TVのあさドラの手ろくろでカップを作っている。当たり前だが、TVの作り方通りだ。土を形に巻きながら積んでいくのは少し要領を得た。中をきれいに仕上げるのがコツだ。あとで中はきれいにはしにくい。今日は底を削り出す。カップが小さいと気を付けないと穴をあけてしまう。「かんな」という道具で削り出していく。どのカンナのどこ部分を使うか?難しい。外側も針金で削り出すが、左手の力が弱いのでうまくいかない。日常で左手を使うことは少ないので、「認知症予防」と苦戦しながらやっている。わが手が自由に動かない。
約1時間の真剣勝負だった。外科医になりたいなどと思ったが、ならなくてよかった。陶芸は修正が利くが、人体はきかないだろう。先生が直してくださったが、外側を削るときに側面に穴が開いた!でも、この緊張のあと少しはきれいに出来上がるようになってきたのでうれしい。「重く見えて軽いのいい作品だ」と言われる。今日の初めの重さと比べるとかなり軽くなった。最後は先生が中を削ってくださった。えっ!そんなに削れるの!?というと、「人の作品だからね」と言われた。そうか、看護師さんが自分の子供に注射できないのと同じか!
京都へ出かけたかった電車が遅れていたので、そのまま帰宅することにした。妙に気持ちがさわやかだ。ああ、あの集中できた時間が気持ちの濁りを消去してくれたのだろうか。ああ、すっきりした!スカーレットの朱色はうつくしい。そんな作品を作るには、道遥かだが、陶芸には人をのめり込ませる魅力がある。(写真は次回磨きをかけて、焼いていく)