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あかねさす 紫野 の関係

2020-01-25 19:14:46 | 日記

教会の棟上げ式だった。想像がつかなかったが、棟上げ式のキリスト教の祝い方がある。もう経験はできないだろうなぁ。

触れたくない話題がある。連日、ネットに出てくる記事だ。それを品格あるブログにするには・・・。

 『あかねさす 紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る』 (額田王)

 『紫野にほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑにわれ恋ひめやも』 (大海人皇子)

近江にいるとさらに身近に感じる歌だ。これはこの歌を習ったとき、額田王は、はじめは大海人皇子(天武天皇)の愛人でのちに天智天皇の後宮に入った女性、三角関係の代表のように言われた。

白洲正子さんの書物によれば、この二人は公の席で人目を忍ぶには、年を取りすぎていたという。(若く見積もっても、彼女が34・5くらい、皇子が50近い年ごろ)一種の戯歌、品よく言えば儀礼の詠歌 と言っている。

このころの額田王君の歌

  『君待つと吾が恋ひをれば吾が屋戸の 簾うごかし秋の風吹く』

この歌のほうが、まさしく恋歌だといっている。たしかにこの歌はいい。

それぞれにそれぞれの事情があり、他人のわかりうるところでないのがこの男と女の世界。いわんや、夫婦おや。

一つだけ書いておこう。これはあの渡辺淳一氏が言った言葉だ。「三年以上続けば一時の気の迷いではないことが多い」と。 (最後にきよらかな梅の花を)

 

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