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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

隣はなにをする人ぞ

2018-10-25 17:34:59 | 日記

久しぶりに東京に出かける。爽やかな秋晴れだが夕方は涼しくなる。帰宅して電灯をつけるとなにか暗い気がする。目が悪くなったのか、以前よりも明るくないとパソコンも見難い。「秋深し 隣はなにをする人ぞ」で始まるメールが届いていた。秋深し か・・・・。隣でなく、気遣う人が増えてくる。お元気でお過ごしなのだろうか と。

お借りした本を東京までの往復で読み終わる。秀吉とおねの話である。この本は何を伝えたいのだろうか?と迷う。何かを伝えたくてものを書くのだろう。私自身ぶろぐは伝えたいことがあって書いているが、思いを書ききれない日もある。いや、そういう日のほうが多いかもしれない。読みやすい長さへの制約もあるし、そこまで書いていいものだろうか とも思う。「伝える」こと一つにしても、エネルギーの低下を感じる。突き進む情熱が減るのは、ある意味でいいのだが、自分が自分でないような気持ちにもなる。始めの情熱も長続きせず、すぐに「おだやかさ」がやってくる。激しい山を平坦にする能力が増したというのだろうか。

人の生き方に育った環境が影響しているという話が出た。家族というか両親というか夫婦というか、そこになにか共通の基盤がないと、どうして生きにくくなる という話になった。ちぐはぐな思いの夫婦の間で育つと上手く家族像のようなものができにくいのではないだろうか。人間関係もうまくこなせなくなるようだ。

家族とか家庭というものの大事さを感じるが、いまは価値観が多様化した。昔ほど生きにくくはないのだろう。隣はなにをしていてもいい時代になった。でも、秋はさびしい。理屈なく人が恋しい。

 

 

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きょうはおやすみ

2018-10-24 11:00:47 | 日記

お天気もいいし、の~んびりしたいなぁー。「きょうはおやすみ」 ということでぶろぐは手抜きです。(でも、しごと)

ハロウィンのかぼちゃさんです。今年は渋谷は自粛とか。この辺のママ達も化け物になる。(ま)チコちゃんに「ハロウィンの意味も知らないで化け物になっている大人がなんと多いことでしょう」と叱られるよね。

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ひさしぶりのぬくもり

2018-10-23 17:36:26 | 日記

久しぶりにお花屋さんに出かける。今月は出かける日が多く、お花もかわいそうなので今まで買いに行かなかった。いつもは母の月命日に飾るのがとんでもなく遅い。11月は祖父母、父、叔父の命日がある。寒くなって身体に堪えたのだろう。だから、母は11月が嫌いだった。それで5月に亡くなったのか。それも私が忘れることないような日に。

貧乏な我が家は食器洗い機もないので、手で一つ一つ洗う。まぁ2人分なのでたかがしれているが。陶器の方が多いので、手へのぬくもりがいい。磁器と違いあたたかくやわらかい。こんな風に物に実際に触れたりする機会が減っているのだろうな と思う。先日、サッカーの大会でお手伝いの高校生があまりにもものを知らないのにびっりした。電気のスイッチが入れられないのではないかと思う。ますます、この傾向は強くなるのだろうな。土のあたたかさ、水の冷たさなどにも触れたことがないのかもしれない。

そういう意味で、私の育った世代は、いい時代だったのかもしれない。まだ、火鉢があったし、練炭の炬燵もあった。祖父が夜こっそりと火鉢で蕎麦掻を作っていた。冷たい水で白菜や大根を洗うのを手伝った。大きな樽に一冬分の漬物を漬けていた。大掃除では、障子を破ることが許された。障子を冷たい水で洗って母たちが障子貼りをしていた。畳替えもした。いまは畳がない家も多い。なにかとたたみは新しいほうがいいというが、新しい畳の匂いを今の人は知らないのだろうな。

こんなことを話していたら切がないが、今に比べたら不便だが、味わいのある時代だった。

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冷蔵庫のメモ

2018-10-22 20:37:11 | 日記

堺の取材から帰ると忙しい現実が待っている。でも、無理はしないと、午後からは身体のメンテナンスに出かける。痛かった身体がうそのようによくなる。夕焼けチャイムの時間(16:30)ごろ帰宅すると、部屋が暗く、空寒い。冷たい空気が入ってくる。ああ、もうすぐ11月だなぁ と思う。部屋の寒さでなんとなく心細くなる。いつもの食卓に父が出かけていていないような感じだ。暖房を入れるほどでもないので、急いで上着を羽織る。

夕食の仕度に取り掛かる。冷蔵庫の横にメモが貼り付けてある。「ガス工事」のお知らせだ。この冷蔵庫にメモを貼るのに憧れるのだ。よく家庭教師でお宅におじゃますると、お子さんの学校からのお知らせ等がたくさん貼ってある。「ちょっと待ってね。予定表見てみるから」とお母さまが言う。これは子供のいる家庭の風景だ。我が家には、子供がいなかったし、同じ仕事をしていたから予定表は不要だった。二人とも家で仕事の話はしなかった。だから、冷蔵庫の張り紙は憧れだった。

カレンダーにも予定などを書き込む家が多い。デジタル化されていてもどうも手帳やカレンダーに予定を書く人が多いようだ。友だちのご主人がおかしい。トイレに予定表があるのだが、お友だちがいうには、「あんなに予定はないのに、作って書いているのよ。変な見栄なの」と。ご主人はフリーで仕事をしている。おもわず微笑んでします。予定表にない予定が多い。書くとうんざりするので書かないでおく。

一人暮らしの部屋は寂しくなりがちだ。整理整頓もいいが味気なくていけない。(と言い訳をする)我が家はほどよく散らかっている。本質的にだらしないのだ。でも、それでもいいように言ってくれたので(たぶん本心ではないだろうが)適当にしか片付けない。生活感のない家はあまり好きでないのだ。あたたかさは適当なゆるやかさにある と弁解しているが。

 

 

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逢ひみての

2018-10-21 19:50:57 | 日記

堺の町は快晴に近かった。南海線の堺駅は思ったより開けていない。JRの西堺駅の周辺は繁華街だ。堺の町は今も利休の「さび」の文化を大事にしているようだ。そんな断片を取材の帰りにみようかと思ったが、なにかそんなに簡単に味わってはいけないように思い、帰路についた。

どこも観光客が多い。大きなキャリーバックをもったあらゆる世代の人たちが移動している。みなさん豊かなのだなぁ と思う。私など取材がなければどこへもいけないだろう。そう思うとNPOの仕事は有難い。今日は4年ぶりにピッチでお会いできた人がいた。ご病気などでピッチから遠ざかっていた方だ。その間もNPOを支援してくださっていた。時折、味のある言葉を味のある毛筆でお送りくださった。ピッチでの姿とはまた違う面だった。いつもプログラムにお名前があるので、お会いできるのを楽しみにしていた。やっと、今日、叶った。それがこの仕事の喜びでもある。

「また、会ったねぇ」とお互いに挨拶を交わすチームもある。今日もいつものように敗戦が続いていた。でも、私はこのチームが好きだ。旅費だって半端ないのに、にこにこしながら参加している。いかにも、というメンバーをそろえて相手チームを軽く見るようなチームもある。個人的には長いお付き合いの人もあり挨拶もしているが、なにか?マークがつく。私がエリートでないからかもしれないが。

新幹線の車窓から月が見えた。それも澄んでうつくしい。フェイスブックを開くと、十三夜だそうだ。同じような感性の人もいるのだなぁ と思う。この月はほかの国でも同じように見えるのかな?なんて単純な疑問を持つ。あなたも月を見ましたか

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