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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

残ったものは

2019-04-24 19:13:43 | 日記

雨で1日が始まった。新緑の黄緑がさらにみずみずしく見える。田んぼも耕されている。田園風景が春になった。

実家が来月解体される。うさぎ小屋のような家だが、処分するとなるとそれなりに大変だ。家族誰もがさびしい思いをして越した家だ。最近、私だけがつらかったのではないと、気がついた。その家がなくなる。もう戻るところはない。

家具も道具ももちろん人もいない家はただの物体だ。人は何を大事に暮らしていたのだろう?何を守っていたのだろう?残ったものは形のないもののようだ。

家族が仲よく笑って暮らした思い出なのだろうか。残るのは、「あい」だけのような気がした。

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残ったもの

2019-04-24 18:51:08 | 日記

雨で1日が始まった。新緑の黄緑がさらにみずみずしく見える。田んぼも耕されている。田園風景が春になった。

実家が来月解体される。うさぎ小屋のような家だが、処分するとなるとそれなりに大変だ。家族誰もがさびしい思いをして越した家だ。最近、私だけがつらかったのではないと、気がついた。その家がなくなる。もう戻るところはない。

家具も道具ももちろん人もいない家はただの物体だ。人は何を大事に暮らしていたのだろう?何を守っていたのだろう?残ったものは形のないもののようだ。

家族が仲よく笑って暮らした思い出なのだろうか。残るのは、「あい」だけのような気がした。

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あいたくて

2019-04-23 18:39:03 | 日記

晴れの日が続く。市役所へ住民票を取りに出かけた。近くのコンビにでも取れるが、マイナンバーカードのパスワードがあやしい。他のパスワードはメモがあるが、マイナンバーカードはない。天気もいいので市役所に出かけた。いつも違う道を通るようにしている。今日は長浜八幡宮を通り抜けた。隣に舎那院というお寺があった。八幡宮の神宮寺で、秀吉の篤い保護を受けていた寺と説明があった。自然のままの寺だった。これから夏に向けてふようが境内に咲くという。一つ楽しみが増えた。こんな自然な感じが長浜が好きな理由だ。

「あいたくて」は、先日井上靖の「星と祭」の復刊イベントで知り合った方の、書房名だ。本を通してあなたと会ってお話がしたい というところらしい。こんな名前をつける人は私に似ているとおもったら、やはりそんな感じの方だ。母が心筋梗塞で倒れて入院したのが今頃だ。昨年の今日のぶろぐが「あなたがいない」だった。いつもいるはずの人がその部屋にいないさびしさを書いていた。そう、「あいたくて」なのだ。この物騒な世の中、これからは「どうしてる?」と声をたまには聞こうと思う。母はデーサービスから帰ると電話をくれた。最近までその留守電を消せなかった。

ふと思う。彼女にも「あいたくて」と思う人がいるのかしらと。声が残るのがいいのではなくて、電話をくれた母の心が大事に思えるのだ。私が心配するといけないと思って電話してくれたのだろう。そういう心が時にはうれしく、あとで苦しくもなり、やがてあたたかいぬくりとなる。

このぶろぐを「ぬくもり」と名づけた。ぬくもりをたよりに「あいたくて」と思ったのだろうか。いまもその心は変わらない。あいたくて・・・。

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さわやかな季節のなかで 祈りを

2019-04-22 20:07:39 | 日記

薄手のシャツで歩けるくらい暖かかかった。(暑かった)風が強いので、木々の新緑揺れるのか風の音よりもさわさわと聞こえて心地よい。こんな季節に痛ましい事故が相次いでいる。事故に遭われた方のご家族の悲しみはどれほどであろうか。連休に海外に行かれる方がぞっとしたようなスリランカの事件。それも(それだからか)復活祭に教会で事件が起きるなんて!スリランカは治安がいいと聞いていた。海外(ベトナム)にいる弟やこれから海外に出かける知人の安全を祈らずにはいられない。そして、交通事故。わが身もそうだったかも と思うと恐くなる。一番危ないのが、横断歩道だと警察の人から言われた。安心して歩いているだけに恐い。事故というのは、一命を取り留めても、精神的な後遺症が残る。フラッシュバックするので、カウンセリングも必要になる。どこでもだれでも事故に遭遇する時代なので、どうしたらいいのかわからない。それを「不運」などとは片付けられない。キリスト教でも仏教でも、祈りだけでは救えないのが悲しい。

そういえば、250グラムくらいで生まれた赤ちゃんが無事退院された。映像で見ると、どんなにか医療関係者が心を砕いて育つように力を注がれたかがわかる。あらためて「いのち」というものを感じぜずにはいられなかった。「いのち」について、さまざまな想いが起きた1週間だった。「人生があなたに期待をしているという言葉も思い出した。また、どんないのちでもなにかの使命をもって生まれてくると聞いたこともある。

新緑のなかで、ウグイスがだいぶ上手に鳴けるようになった。さわやかの5月も近い。この「いのち」のちからのみなぎるときに、どうかこれ以上事件や事故が起こりませんようにと、教会に祈りにいこうと思う。

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じんせいのえにし

2019-04-21 18:48:33 | 日記

17260歩、今日歩いた歩数だ。家の中の分はないので18000歩は歩いているだろう。朝ミサに出かけ、それから買い物に出かけたので、これくらいになった。毎日10000歩は越える。身体にはいいのだろうが、時間がかかって仕事が進まない。自転車を買おうかとも思うが、歩く快感は捨てがたい。

教会でまた、隣に座った方から話しかけられた。年配のご夫婦で、ご主人が足が悪いので杖をつかれていた。それで、あまり教会には来られないそうだ。お嬢さんが2年前に東京に嫁がれて、そろそろ一緒に住むのに東京か神奈川に2世帯住宅を購入しようという話をお聞きした。平塚はお薦めだった。私は寒いところに来てしまったが、平塚は暖かくて暮らしやすい。なにやかやで20分以上をミサのあと、話した。ご主人のご姉妹が平塚の修道会におられるという。それで平塚のお世話になった不動産屋さんをご紹介した。なんとも不思議なご縁だ。

この頃、特に神さまはいろいろお助けくださる。実家の土地の売買や遺品整理の業者さんはいい業者さんで担当の方も親切だ。お友だちが「まちこさんは本当にいい業者サンに会うわね」という。これは本当に直感だけだ。昔からそうだ。お金には縁がないが、人には縁がある。昨日の「星と祭」のイベントでもすてきな仲間に会うことができた。なにか気持ちが動く所にすなおにアプローチしている。ただそれだけだ。とくに長浜に来てからは恵まれている。

長浜市と台東区が姉妹都市だと言う。そのパンフを見て思い出した。祖父母が関東大震災の前は、台東区に住んでいた。父は4.5歳だったらしい。祖父はよく、私や弟を入谷の朝顔市、ほおずき市、上野の納涼大会、上野動物園、上野の映画館へ連れて行ってくれた。それも不思議だ。この長浜の地がなにか不思議さを持っているようだ。

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