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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

星と祭

2019-04-20 18:42:26 | 日記

雲ひとつない青空に長浜の町はもう連休が来たようににぎわっている。連休はどうなることやら。せめて連休に、ちょっと一息温泉にでも と思ったが宿はもう取れない。静かに身辺整理に徹することにした。今日は、井上靖の「星と祭」の復刊プロジェクト、医王寺(木之本)の木造11面観音立像の解説、拝顔のイベントに参加してきた。「星と祭」に登場する観音様を、その小説部分の朗読と講演し、そして拝顔する企画だ。長浜の広報に出ていたのだが、なぜか急に気になって出かけた。だれに聞いたのか定かではないが、井上靖の「星とまつり」は湖北を訪れるきっかけになった本だ。

「逆縁」で琵琶湖で娘を亡くした父親が、滋賀県各地の十一面観音を巡り、次第に心の平安を取り戻していくという物語だ。今回の医王寺は北陸本線木之本駅から車で15分くらい。大出という小さな山里にある。この里人達が、観音さまを守っている。この日も、里の方がご説明くださった。藤原時代に作られたであろうという一本彫りの観音さまだ。この観音さまは、明治時代に医王寺の僧が長浜の美術所の店頭から買い受けて寺に持ち帰ったという。だから、それ以前のことは全くわからないという。

お顔は少女のようにやさしい。なんとも愛くるしい口元をされている。この日は、講演後特別にお近くで拝顔することができた。それもゆっくりと。目頭が熱くなった。そのやさしいまなざしのせいだろうか。湖北の観音さまはそのお姿ゆえに胸に迫るものがある。ここに安置されるまでにどこにおられたのだろうか・・・。

「星と祭」の父親たちが(琵琶湖で亡くなった娘と一緒にボート乗ったいた男の人の父親)、二人で観音めぐりをすることで、「運命」(ある意味のあきらめ)と「祈り」(鎮静と希望)を感じていくのではないだろうか。娘に限らず、大切な人を亡くした人がこのお姿を見れば、必ず心の平安を取り戻していく気がする。私が湖北の観音さまに惹かれるのは、その色あせ傷ついたお姿ゆえのように思う。

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どくおや

2019-04-19 17:40:55 | 日記

今日は昨日と違ってどんよりした夕方だ。「ゆったり癒しのハープ演奏」などを聞いていると、まどろみそうだ。外へ出ても冷たい風が吹いている。なんとなくさびしい。今朝頂いたメールに、過ごした(大事な方と)土地のこと(時間)を「遺品めいた時間探し」という表現をしてあった。なにかを辿っていくとひも解かれていく時間がある。やはり、それは20代などのことが多いようだ。無意識のうちにも、50歳ごろから、その土地へ気持ちが向いていくのかもしれない。

昨夜のNHKで「毒親」を特集していた。なんともこわい言葉だが、子供に「毒」になるような言動を取る親をいうらしい。そのときの出演者が「愛着」とか「安全地帯」という言葉を使っていた。心理学の言葉だった。やはり、「毒親」の問題も母親と(養育者)子供の幼いときに形成される「愛着行動」からきているらしい。過干渉もネグレクトもその原因になるという。「愛着」が正常ならば、子供は安心して親から離れて行動ができるようになる。つまり、それが「安全地帯」という言葉になる。必ず、親が見守っていてくれるという安心感だ。

15年前くらいに心理学を学んでいたときは「毒親」という言葉はなかった気がする。ただ、子供のころの親子関係が大人になるまで影響するということを学んだ。私自身そうだったからだ。わけのわからない不安感がどこからくるのかが知りたくて心理学を学んだ。無意識に親に心配をかけたのだろう。そうすることで、愛情を得ようとしていた。

心のブラックホールみたいなものだ。でも、このごろは親は親でそれどころでなかったのだろう と思うようになった。親自身も大事なときに保護されなかったり、干渉されて育ったのかもしれない。完璧な親はいない。それでも、だれかから「安心」をもらえれば、いくつからでも癒されて生きていけるのではないだろうか。そう、「安全地帯」があれば。長いくらいトンネルも抜けられる。

 

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観音の里

2019-04-18 18:55:01 | 日記

セーター2枚を着て出かけると、暑いくらいだった。桜は終わっても、海棠、レンギョウなどのほか色とりどりの花が咲き誇っている。春じゃ、春じゃ。夕方は部屋がオレンジ色に染まった。琵琶湖も赤く染まっているのだろう。

昼ごろ買い物に出かけていつもと一通り違う道に入るとお寺があった。こんなところにお寺が という感じだ。この長浜の地は、姉川の戦い、そして賎ケ丘の戦いがあり、特に姉川の戦いでは川は血の川となり、野原は血原となったとも言われている。少し岐阜によれば、関が原があり、京に近いだけに城も多く、権力を争う舞台ばかりだ。今日見つけたお寺は、その戦国の世に嫌気がさし、高野山に出家した武将がこの地に建てたと言う。

女が3人いると、2人で1人の悪口をいい、男が3人いると、3人で争いを始めるという話がある。人の歴史は、戦争の歴史だといってもいいだろう。宗教ですらその争いに巻き込まれていく。それでも、心理学によると、戦いで1対1で出会ったときは、人は人を殺さないそうだ。

春の美しい花の季節に血なまぐさい話になってしまった。長浜駅で「東京にある長浜の観音堂」というパンフレットをみつけた。長浜市は、観音信仰が篤く、住民の手で守られてきた観音様が点在している。そして、東京上野の「不忍池」は江戸時代に、寛永寺の開祖・天海が琵琶湖に見立て竹生寺になぞらえて弁天島を築かせたそうだ。その上野の池の近くに「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」があるという。「不忍池」は子供のころよく出かけたところだ。なにかの縁なのだろうか。観音さまの慈悲の心を受けて安らぎの気持ちになれば、戦いなどなかったかもしれないし、カトリックならマリア像をみて、あわれみを頂いたろうに・・・。人のおろかさ、権力欲というのはどこからくるのだろうか。

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ハナミズキのかなしみ

2019-04-17 18:55:38 | 日記

また、雨になった。春の静かな雨だ。パリも雨だろうか?ノートルダム大聖堂の火事の映像を昨日の朝見たときは、現実に起こっていることとは信じがたかった。美術品は無事だったらしいが、なんとも痛ましい姿だ。

キリスト教では、最後の晩餐でイエスが弟子達の足を洗うので、明日、洗足式を行います。そして、ユダの裏切りも許し、裁判にかけられて、聖金曜日に十字架刑に処せられます。日曜日が復活祭(イースター)になります。そんな時期の、火事なのでなにか複雑な思いです。

北米では、十字架の木がハナミズキだったという言い伝えがあるそうです。かつてハナミズキはカシのように強くて大きな木で、それゆえに十字架刑の木材として選ばれたそうです。ハナミズキは、そのことを深く悲しんで泣いていましたが、イエス様が「もう大きな木になることはない」と慰め、それ以来ハナミズキは今のように小さな木になったそうです。

実際には、パレスチナにはハナミズキはないそうです。桜の季節が終わると、ハナミズキが白やピンクの十字の4枚の花をつけます。北米の言い伝えの話を聞いてから、ハナミズキを見ると祈りたくなるのです。

ノートルダム大聖堂の火事でも、私にできることは『祈ること』とささやかな寄付を教会を通じてすることくらいです。キリスト者になったのは、難しい理由はありませんでした。ただ、『祈りたい』だけでした。イエス様の誕生も復活も、神が全てを造られたことも、ただ信じただけでした。たまたま、交通事故のように神に出逢ってしまいました。

ハナミズキが言われたように私も『もう、がんばることはない。ただ祈りなさい』といわれた気がします。

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父親の意外なすがた

2019-04-16 17:52:11 | 日記

昨夜9時ごろ帰宅した。たどり着くと疲れが一気に出た。それでも帰る家があることはうれしい。マンションより木の家はなんとなくあたたかい。「おかえりなさい」の声があれば最高だが・・・・。

昨日は、久しぶりに友だちとNPOの事業の『蹴る』の上映会の企画を考えていた。あれのこれの寄り道をしながらの打合せだった。日が長くなったので外は明るいが、気がつくと5時半に近くなっていた。それ!大変。急がないと新幹線に乗れなくなると、喫茶店を飛び出した。駅までは近いので、二人で走った!荷物がコインロッカーにあるので間に合うかどうか微妙だった。普段走らない二人が必死で走った。予定していた電車の1分前にはぁはぁいって着いた。『青春したね』と二人で笑った。

「青春」と言えば、今朝の朝ドラの二人はなんとうつくしいことか!美女と美男とはまさにああいう感じだ。二人が馬に乗る景色、お互いにスケッチをし合っているシーン。うっとりしたし人が多かっただろう。あんな思い出があったらなぁ。

思い出といえば、昨日、友だちが話してくれた『父親」の意外な一面の話もよかった。彼女は父親が50歳のときに子だという。だから、おじいちゃんというイメージで、弁護士さんで家で仕事をしていたので、お酒を飲んでいて、なにもしない父親だった記憶しかないという。遠縁の親戚の人と今年会うことがあって、その彼女が若いときに彼女の家に遊びに来ていたときの話をしてくれたそうだ。なにもしないという父親が、その人と夕方一緒に買い物に行って、魚屋さんで魚を見繕って、料理の仕方まで話したという。その晩の夕食の買い物を二人でしたそうだ。彼女の全く想像できない父親の姿が、その人の思い出の中で生きていたという。それがとてもうれしかったと彼女は話してくれた。「そんな父がいたのだ」と。私の父も、私の全く知らない姿で誰かの心の中に存在しているのだろうか。

 

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