教会の棟上げ式だった。想像がつかなかったが、棟上げ式のキリスト教の祝い方がある。もう経験はできないだろうなぁ。
触れたくない話題がある。連日、ネットに出てくる記事だ。それを品格あるブログにするには・・・。
『あかねさす 紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る』 (額田王)
『紫野にほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑにわれ恋ひめやも』 (大海人皇子)
近江にいるとさらに身近に感じる歌だ。これはこの歌を習ったとき、額田王は、はじめは大海人皇子(天武天皇)の愛人でのちに天智天皇の後宮に入った女性、三角関係の代表のように言われた。
白洲正子さんの書物によれば、この二人は公の席で人目を忍ぶには、年を取りすぎていたという。(若く見積もっても、彼女が34・5くらい、皇子が50近い年ごろ)一種の戯歌、品よく言えば儀礼の詠歌 と言っている。
このころの額田王君の歌
『君待つと吾が恋ひをれば吾が屋戸の 簾うごかし秋の風吹く』
この歌のほうが、まさしく恋歌だといっている。たしかにこの歌はいい。
それぞれにそれぞれの事情があり、他人のわかりうるところでないのがこの男と女の世界。いわんや、夫婦おや。
一つだけ書いておこう。これはあの渡辺淳一氏が言った言葉だ。「三年以上続けば一時の気の迷いではないことが多い」と。 (最後にきよらかな梅の花を)