初めての小池真理子本。
今、同じような人生のシチュエイションにある。新聞の寸評に魅かれて読む。
何だか恥ずかしい。そして懐かしい。息遣い、想い、年月、悔恨、世情、みんな共有共感である。
柴田翔『されど我らが日々』。『サルビアの花』。アダモ。『シバの女王』。反戦フォーク集会。清水谷公園、エトセトラ、エトセトラ。あの時代の音と臭いに包まれる。
由香と拓が高校生の時に出会った渋谷・百軒店の名曲喫茶は、実際に覚えがある。”らんぶる”か”白鳥”かだった。
著者は書く。「『始まり』は『終わり』の始まりだが、『終わりは』はまた、次の『始まり』を意味する。始まったり終わったり、また始まったりを繰り返しながら、人は生きる。それぞれの幕が降りるその瞬間まで」
あとがきで著者は、幻冬舎の見城社長の足掛け2年にわたる執筆依頼、「30枚でいい」の熱意に押されて、結果100枚の作品になったことを明かしている。社長手ずから駆けずり回っている。彼の社の勢いの基を知った。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます