著 者 佐藤優
出版社 幻冬舎文庫(412頁)
”知の快人”は、生まれるべくして生まれた。快人本人が綴る幼少期から思春期に至る思い出の記である。
何より驚くのは、記憶力である。フィクションの如くに往時の状況や会話や思いが大量に書き連ねられている。すべてが著者の記憶なのである。
この家庭環境ありてこそ。素晴らしい両親。満腔の愛情を注ぎつつも、年端もいかぬ我が子の自主性と人格を尊重する。日々の会話が成長の栄養素。
連合赤軍のあさま山荘事件を捉えて当時小学6年生の著者に母は言う。「あんたが将来過激派になって『あさま山荘』のような事件を犯したら、お母さんはあんたを殺して自分も死ぬ。これだけは覚えておいてね。沖縄戦で弾に当たってあたしが死んでいれば、あなたが産まれてくることもなかったんだから」
そして父。「自分が本当に正しいと思うことをして、警察に捕まるならば、それはそれでいいと俺は思う。連合赤軍の連中だって、戦時中に生まれていれば、特攻攻撃を真っ先に志願していたと思うよ。むしろあの青年たちをそういう状況に追い込んだ周囲の大人たちが悪い。特に大学教授たちに悪い連中がいるのだと思う。自分が思っていることを、怖いから自分ではせずに若い青年たちにやらせる。それは卑怯だ」
著者の最も書きたかったのは、おそらく進学塾の先生たちのこと。タイトルもそこに由来するのではないか。その先生たちは殆んどが大学の先生か学生。彼らが佐藤少年に向き合う姿が、真摯で誠実で個性的。少年の著者は、彼らから人生・学問・思想・知識を吸収してゆく。進学・進路に悩み揺れ動く少年の心と、その少年の未来のために寄り添い考え語る先生たち。濃密な教育世界が胸を打つ。
時代は、1975年浦和高校入学まで。直前の春休み、北海道一人旅での大学生のお兄さんたちとの出会いや交流も著者の成長の一ページである。
一読、彼此の違いに愕然としている。勉強はしなかったし進学も行き当たりばったりだし人生を深く考えたこともない。人生は求める人に開かれるし蓄積も成る。もうやり直しはできない。嗚呼。
世の若きお父さんお母さんに呼びかけたい。是非一読を!!
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