太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

予知

2017-05-04 07:22:39 | 不思議なはなし
気になっていることがある。

起こることは決まっていて避けられない、と言った友人の話を書いたが(その記事はコチラ

私達は自分に起こるできごとをあらかじめ知っているのではないか、と思わせることがあった。



叔母に借りた車が、レッカーで持っていかれた日のことだ。

駐車場に車を停めたあと、私は車のナンバープレートを確認した。

なぜそうしたのかはわからない。

ハワイのナンバープレートは、3つのアルファベットと3桁の数字からなっている。

私はアルファベットを頭の中で復唱し、数字をゴロ合わせで覚えた。

だから、車が消えていたとき、近くにいた警察官にスラスラとナンバープレートを言うことができた。

もし確認していなかったら、消えた車を探してもらうことはできなかったろう。


職場で、レジスター担当の日、

私は何か思うところがあり、それに備えて、事なきを得たことがあった。

肝心の内容を覚えていないのが残念なところだが、そのときも「あ、まただ」と思った。




起こる出来事は決まっているのかもしれない。

10年余前、何をやっても人生がうまくいかないと苦しかった時に、

何をどうしたところで起こる出来事は決まっているのだから、あがくのをやめ、行き先の書いていない電車に乗り、

何かを望まず、流れ着いたところが私の幸せだ、と思った。

私は疲れていて、心からそう思って、すべてを放り出そうとしたその瞬間、

エンストした車のエンジンがかかるように、私の人生は「自分で切り拓く」方向に猛スピードで走り出した。




起こる出来事は決まっているのかもしれないけれど、

そのシナリオは私が想像しうるだけの数があり、「今」、私が何を願い、何を思い、何をするかによって、

その先に起こる出来事はどんどん変わってゆくのだと思う。

そして、起きた出来事をどうとらえてゆくかによって、さらにその先の景色は変わってゆくだろう。

それが本当かどうかわからないが、それは私の真実である。



虫の知らせ。

それは、その人の潜在意識が知っている予知のことだろう。

叔母の車のナンバーを記憶したときに、レッカーされることまで予知できたらもっといいように思うけれど、

災難をことごとく避けて生きることは、果たして本当に幸せなんだろうかとも思うのである。








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