太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

不幸ハイ

2018-02-07 19:56:43 | 日記
前の職場の同僚だったAちゃんは、ハワイ生まれの日本人。

日本語の読み書きはできないけれど、日常会話は上手に話す。

彼女はとても謙虚で、波風を立てず、怒ったり不機嫌なところを見たことがない。

いつも真面目に働き、ズルをせず、常に相手に嫌な思いをさせないように気を配っている、とても良い人だ。


あるとき、何人かでカラオケに行こうということになった。

Aちゃんは、あまり気乗りがしないのだけれど、しつこく誘われるので断れない。

それで、カラオケには来るのだが、自分は歌わないでニコニコと人の歌を聞いている。

2回目のカラオケの時、来ないはずだったAちゃんに、やめればいいのに誰かがカラオケ屋から電話をし、

どう説得したのか、だいぶ遅れてAちゃんがやってきた。

やはり自分は歌わないで人が歌うのを終始聞いている。



友人が、夜、前の職場の前を通りかかったら、店は閉まっているのにAちゃんが一人で黙々と働いていたという。

ちなみにAちゃんはマネージャーでもなく、一般の社員だ。

「なんだかすごくかわいそうになっちゃってさぁ」

と友人はしきりに言う。

「かわいそうじゃないよ。あの子はそうしている自分が好きでやっているだけだから幸せだと思うよ」

「ええー、そうなの?」

私には、わかる。

Aちゃんは、昔の私だからだ。



傍目にどう見えていたかはともかく(暢気に見えていたらしい)、公私ともにぎゅうぎゅうに辛かった時期、

私は自分が追い込まれるほど、燃えた。

『こんなことを我慢できるのは私だけ』

思考のベクトルが、どんどんそっちのほうに向いてゆき、

『こんなことがあっても怒らないで笑っているのは私だけ』

そうやって、私は割に合わないことをこれでもかと背負いこんでいった。

クライマーズ・ハイならぬ、不幸・ハイとでもいおうか。

かつての私のセラピストは『不幸マニア』と呼んでいた。

私はブチ切れて2回辞表を出し、つねに辞表を引き出しに入れたまま、父の会社で22年間働いた。

最初の結婚の11年間は、仕事に行っても家に帰ってもぎゅうぎゅうパツンパツンで、

きっと不幸・ハイにでもならなけりゃ、やっていけなかっただろう。




Aちゃんを見ていると、昔の自分が重なる。

万人に対して良い人でいようとした。

誰も傷つけず、誰よりもまじめに働いて、私はそれを誰かに認めてもらいたかったし、

必ず人は認めてくれるはずだと思っていた。



勤続17年目の年、私は今の夫と再婚し、夫が住んでいた街にある営業所に配属されることになった。

本社での仕事が今日で最後という日、タイムカードを押した私が近くにいた社員に

「私、今日で最後だから」

と言うと、机に半分腰掛けて携帯電話を見ていた社員は、目だけこちらに向けて

「おつかれっす」

と言い、すぐにまた携帯電話に没頭した。

そのとき、私の中で何かがガラガラと崩れ、それはもうもうと埃をたてて砕け散った。



私が欲しかったのは、人の評価。

私が我慢してきたのは、「すごいね」と言われたいため。

しかし、すべては一人相撲で、あまりのばかばかしさに涙も出なかった。

営業所での5年間、私はすっかり重荷をおろし、始業ぎりぎりに来て、5時きっかりに帰った。

自分がこんなに楽チンに仕事ができることに驚いた。

結局は、自分で自分の首を絞めて、誰かがスゴイと言ってくれるのを待っていただけだったのだ。





今はどうかといえば、今でも真面目に働き、「すごいと言われたい」という気持ちはあるが

大きな違いは、私は自分で自分を評価してあげているし、

なによりも「すごいと思われたい、と思っている私」を客観視できていることだろう。

Aちゃんは、私とは違うのかもしれない。

けれども、Aちゃんはけしてかわいそうではないと私は思うのである。










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