太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

あると思えば、ある

2018-02-25 09:26:08 | 日記
簡単に手放したものは、また簡単に入ってくる。

それが、ときに1日に何度も心をよぎる。



たとえばお金。

100円、500円を手放すときと同じ簡単さで100円、500円単位のお金は入ってくる。

1000円、5000円を手放すとき、ちょっと抵抗があるなら、1000円、5000円単位のお金は

ちょっと手に入りにくい。

1万円、10万円を手放すとき、かなり抵抗があるなら、1万円、10万円単位のお金は

かなり手に入りにくい。

だから、お金は『欠乏の気持ちなしに』使う人のところに入ってくる。

私はそれを信じている。



何回か記事にしたが、最初の結婚相手は高給取りで、私もフルタイムで仕事をしていたから

家計はかなり潤っていたはずなのだが、私はいつも「使ったらなくなってしまう」という恐怖があり

家を建てる時も、ローンを支払っていけるのかどうか不安で眠れなかった。

実際にはたっぷりと入ってきているはずのお金が、私が必死に「ない、ない、なくなる」と念じているのだから

離婚する段になって、驚くほど現金がなかったのも無理はない。



お金そのものだけではない。

輪ゴムは買ったことがない、と言う人がいた。

商品についてくる輪ゴムを残しておいて使えばいいし、スーパーの袋詰めのカウンターで

輪ゴムやプラスティックの袋を余分にもらってくれば、買う必要がないと言うのだ。

それが良い悪いではなく、もったいないから輪ゴムやプラスティックの袋は買わないとしたら、

その人は宇宙に向かって


私は輪ゴムやプラスティックの袋を買う余裕がありませーーん


と宣言しているのと同じで、その「願い」は聞き入れられ続けるだろう。



職場に、チップを入れる場所があり、たまにそこからお金を盗んでいく人がいる。

入っているのはほぼ1ドル紙幣だから、わしづかみにしたところで10ドル(1000円)程度。

誰も見ていなくても、ちゃんと自分が見ている。

その人は宇宙に向かって


私はチップの10ドルを盗むぐらい貧しいでーーす


と宣言しているので、これからもその願いは叶い続ける。




私は自分がどんな行動をしているか、どんな気持ちでお金を手放しているかを気にするようになってから

いちいち面倒ではある。

それは私の欠乏癖が、思いのほか根深いからである。

アレ買おうかな、とふと思ったあとで、

ここで10ドル(1000円)無駄使いすることはない、10ドルといったら小さいほうの絵を1枚売った利益だし・・

という思いがスラスラと自動的に出てくる。

私はあわててそれを撤回し、「欲しくないから買ーわない!」と書き換える。


猫達を病院に連れて行き、支払いが800ドル(8万円)と言われて、ドキドキする。

そしてすぐに、払えるお金があってよかった、猫達が元気でよかった、と思う。



こんな私だから、今の夫と結婚してからは、ほぼ一切の家計は夫任せだ。

クレジットカードなどの支払いを、私が平常心でできるとは到底思えない。

その点、夫はお金には鷹揚で、なんとかなるサ、という人なので助かる。


あると思えば、ある。

ないと思えば、ない。


そんなこと言ったって、実際に収入と支出が数字で出てくるんだから、ないものはないじゃないか。


という言い分もわからないではないが、真実はその先にある。

年金がないと困ることになる、と信じていたら、そうなる。

生命保険がないと困ることになる、と信じていたら、そうなる。

もちろん私も、まだまだその途中であり、「ないと思うから、ない」という世界を自分で作って

自分で作った仕掛けに自分で引っかかって泣き笑いを繰り返しているのである。












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