太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

痩せすぎのきんいろのキリン

2020-05-18 09:42:42 | 絵とか、いろいろ
父が亡くなり、母もグループホームに入って留守になった両親の住まいを
姉や義兄が少しずつ片づけている。
「これ、覚えてる?」
と言って送られてきたのは、


覚えている、覚えているともさ!
あれは9歳か10歳ぐらいの頃の、図画工作の時間に作った。
B4判ほどの大きさの銅板を、先の尖ったもの(釘だったか)をハンマーで打って
完成させる、なんて呼ぶのかわからないけど、そういうもの。
下書きをして、まわりを凹ませていくのだけれど、やっているうちにだんだんキリンが痩せてしまい、
ガリガリのキリンになってしまった。
キリンの体の柄は、紙やすりか何かでこすって付けてある。
「バランスとか、余白をちゃんと残しておくところとか、完成度が高いよ」
姉も義兄も、これを大変気に入って、家に飾ると言っている。

「昔から絵心があったんだねー」

と姉は言うが、私は図画工作の時間が大っ嫌いだった。
画用紙に白い部分が残ってはいけない、と言われる理由もわからないし、
みんなそれぞれ個性があるのに、優劣つけるのも納得がいかないし、
小学校3年になるときには、私は既に図画工作の授業を見限っていた。
先生の主観で良い・悪いを決められてたまるか、生意気な小学生だった。

それは中学に行っても同じで、吹奏楽部だったのもあって、音楽か美術かの選択は、
高校を出るまで音楽だった。

「そういう人が美大に行って、今、絵を売っているなんて・・・・」

姉がしみじみと言う。
ほんとうにそうだ。
ちゃんと絵を習ったことなどない。
きっと私のこの人生での道は、こっちのほうにできていたんだろう。
デッサンを描いたこともない私が(デッサンの意味も知らなかった)
高校三年の夏休みに付け焼刃的に勉強して、美大に入れてしまったのも、
今、絵を売っているのも。

自慢にもならないが、私がこうしたいと思うことを実現するために、コツコツと努力したことは、ほぼ皆無といっていい。
高3の夏休みにデッサンを習ったのも、再婚相手を見つけるのも、
努力はしたが、振り返ればどちらも1か月ほどの短期間でしかない。
何にしても、短期集中でないと私はダメなのだろう。


45年の時を経て、ひょっこり出てきた私のキリン。
私は『ももいろのきりん』という絵本が大好きで、それでキリンを作ろうと決めたのも覚えている。
あの時の私に、会ってみたいと思う。